第37話 事務所

日曜日の朝。


「あ〜、幸せだ……」


ゴロゴロ ゴロゴロ


俺はベッドの上で寝転がっていた。


俺は平日が学校なので必然的に土日が仕事に入ることが多く、休みがないのだが今日は珍しく何も用事がない。


さて、今日は何をしようか——


プルルルッ プルルルッ


電話が鳴っている。誰からだろう?


「もしもし、根倉です」


『朝早くからすまないね。おはよう、ryogaくん』


「ああ、おはようございます——関さん」


電話をかけてきたのはマネージャーの関さんだった。


『渡したいものがあるから、今から事務所に来てくれないかい?話したいこともあるしね』


「はい、分かりました」


恐らくアフレコの台本やリハV(アフレコ練習用の未完成映像)、オーデションの詳細などの書類を取りに来て欲しいということだろう。


あとはそれぞれの仕事の細かい内容とスケジュールを口頭で伝えたいってところか。


最近はありがたいことに仕事も増えてきたから、多少時間はかかるだろう。


『じゃあ、事務所で待ってるからよろしく〜』


「はい、失礼します」


プツッ


俺は電話を切り、外出用の服に着替える。


「あれ、お兄ちゃん出掛けるの?」


リビングに行くと、そこにいたのはパジャマ姿で朝ご飯を食べる朱理。


いつもはパッチリと開けている目を細めて、「ふわぁ〜」と眠そうにアクビをしている。


「ああ、ちょっと事務所に行ってくる」


「そっか……残念」


「ご、ごめんな?用事が終わったらすぐに帰ってくるから」


「いいよ、気にしないで。留守番ちゃんとやっとくから」


そう言って向日葵のような笑顔を見せる朱理。

俺なんかを慕ってくれる、よくできた妹だ。


「帰りは夜遅くなる感じ?」


「いや、晩御飯までには帰るよ」


「は〜い、じゃあお兄ちゃんの大好きなハンバーグ作ってあげるから。お仕事頑張ってね?」


「ああ、もちろん」


やっぱり朱理が世界一可愛いんじゃないかと本気で思う今日この頃……。


ナデナデ ナデナデ


「んっ……。は、恥ずかしいよぉ……」


「イヤか?」


「い、嫌じゃない。かも」


しばらく朱理の頭をナデナデして堪能した俺は、洗面所で髪をセットし、身支度を整えて準備完了。


さあ、出かけるか————





タッタッ


家を出て電車に乗り、2駅ほどで事務所の最寄駅に到着した俺は事務所へと歩いていた。


「あ、ここだな」


間もなく、事務所の入っているビルの前に到着。


それにしても、


「緊張するな……」


その理由は——まあ、入れば分かるだろう。


ガチャッ


「し、失礼しま——」


「「「「こんにちは!!」」」」


ビクッ!


思わず身構えてしまう。

これなんだよなぁ……。


俺の目に映っているのは、事務所の入口に名札をぶら下げた人達がずらりと並んで頭を下げている光景。


一般の人が見たら目を疑うような状況だが、俺の所属する事務所『アオノエンタープライズ』ではこれが当たり前なのだ。


まだ1年目の新人や仕事をもらえていない若手声優たちが、事務所を訪れる制作会社の人や先輩声優・マネージャーに自分のことを知ってもらうために、首から名札をぶら下げ、挨拶をするという伝統。


顔を覚えてもらえないと仕事に繋がらず、それが続くと事務所の正所属の審査で落ちてしまうのだ。


そして、それはつまり——『声優になれない』、という事を意味する。


だから、みんな必死に声を出して挨拶をし、自分を売り込もうとするのだ。


かく言う俺も、つい2年前までは俺も挨拶をする側だったから気持ちは痛いほど分かる。


けど、苦手なんだよなぁ……。

学校でボッチでいることに慣れてしまった俺にとって、同年代の人達と喋るのは苦手なのだ。


でも無言で通り過ぎるわけには行かないしな……。


「ど、どうも……」


ザワザワ ザワザワ


なぜか女の人達が俺を指さして何かブツブツと話し合っている。


俺があまりにもブサイクすぎて引いているのだろう。


くっ……、やっぱりマスクと眼鏡してきた方が良かったか?

あそこまで露骨にされると凹むな……。


「……」


タタタッ


「あ、あのっ!」


「ryogaさんですよね?」


なるべく存在感を消して通り過ぎようとすると、女の人達に囲まれる。


な、なんだ?


「な、なんですか?」


俺がそう言うとみんな目配せしあっている。

お互いをけん制しあっているような……、でも何を?


いや、まさかこれは——カツアゲ?


お、お金なら財布にはあんまり入ってないぞ!


「あ、あの俺お金は——」


「ライン教えてください!」


「へっ?」


ら、ライン?

俺なんかのラインをゲットしても仕方ないだろ……。


「ちょ、ちょっと真美ズルい!わ、私も教えてください」


「あ、あの私もライン交換したいです」「私も!」


「お、おいちょっと……」


女の子達は押し合うように俺にスマホと体を押し付けてくる。

さ、流石にこれはまずいだろ。


ムニュッ ムニュッムニュッ


柔らかい、というかあ、甘い匂いで頭が……。

だ、だれか助けてくれ!


「あ、ryogaくん来てる?」


声のする方向に目を向けるとキョロキョロと周りを見渡している関さんの姿。

た、助かった……。


「ご、ごめん!」


「あっ」「ま、待って」


バッ!


タッタッ


俺は包囲網から抜け出して関さんの元へ。


「こんにちは、今来ました」


「ははっ、相変わらずすごいねryogaくん」


苦笑いで肩をすくめる関さん。

何のことだろうか?


「えっ、何がですか?」


「いや、何でもないよ。じゃあ会議室借りてるから行こうか」


「はい」


俺は関さんについて会議室へと向かったのだった。


それにしても、さっきのアレはなんだったんだ?


今思い出しても——はぁ……、意味が分からないぞ、本当に。

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