4章:切り裂きジャックを待ちながら

 チラリ、とジャックは翔を盗み見る。

 翔は何も言わなかった。ただ、その目には怒りが浮かんでいた。

 ジャックはひと呼吸おいて、また口を開いた。

「何のためにあの野郎が翼の絵を盗んでいったのかはわからない。だからエースには

 裏のルートから盗まれた絵を追ってもらってたんだ」

「今まで見つからなかったけどね」

 エースがお手上げというジェスチャーをした。

「……なんで、」

 翔が搾り出すように呟いた。ジャックとエースが視線をそちらに移すと、唇を噛んだ翔がジャックの胸ぐらに掴みかかった。

「何で今まで黙ってた?俺に教えてくれていてもいいことじゃないか!」

 病院には似つかわしくないボリュームの声で怒鳴りつける。

 通りかかった看護師に「静かにしてくださいね」と注意を受け、エースが頭を下げた。当の本人たちは睨み合ったままだったが、先に目を逸らしたジャックが胸ぐらを掴む翔の手を取り、そのまま離させる。

「その話聞いて、暴走しない自信あった?」

「……」

「翼をこんな目に遭わせた男に自分で復讐しようと思うだろ、お前なら」

 そう言うと、相手は返事に詰まった。図星なのだろう。

「あの時点で大した情報がなかったのに騙すようなことをして悪かったとは思ってる。だけど、中途半端に情報を与えても焦らせるだけだろ。俺たちですら、あの野郎の居場所を見つけ出すのにこれだけ時間がかかったんだ」

 エースの手から先ほど持ってきた書類を受け取ると、今度はそれを翔に投げて寄越す。

「持つべきものは裏社会の親戚ってな」

 ニッと口角を引き上げ、そのまま立ち上がる。

「翼の絵を取り戻しに行くぞ」


***


 ここで手を引くと言うエースと別れ、ジャックと翔はふたりでアパートに帰ってきた。何となく言葉を交わすこともなく、ジャックはそのまま自室に入っていった。

 翔は手持ち無沙汰になり、冷蔵庫を開けて中身をチェックしたりしながら、彼が出てくるのを待っていた。

 先程まで胸にあった怒りの炎は時間を置いて少し落ち着きつつあった。もしかしたら、ジャックは翔がクールダウンするのを待っていたのかもしれない。

 おもむろに扉が開いた。出てきたジャックはいつもと全く変わらないパーカーとジャージという格好だった。持っている紙袋にはきっとテディベアが入っているのだろう。

「行こうか」

 言うと、翔もこくりと頷く。

 いつも通りに借りてきたレンタカーにふたりで乗り込むと、キーを回す手が震えているのに気がついた。今まで、それこそ初めての現場だってこんな風にはならなかった。そんな自分に翔は小さく笑い、アクセルを踏み込んだ。

 助手席のジャックのナビ通りに三十分ほど車を走らせると、外観はそこそこいいマンションが目に入った。

「ターゲットは今中晋也、職業は自称絵描き」

「自称?」

「行けばわかるよ」

 言っていることはよくわからなかったが、とりあえずマンションから数百メートル離れた場所に車を駐めて、ふたりはマンションのエントランスホールに立つ。

 もちろん入口はオートロックになっていた。今回はジャックも現場にいるということはいつものようにハッキングで開けるわけではなさそうだ。

 ジャックは紙袋の中から帽子を取り出して目深にかぶると、自然な仕草で適当に部屋の番号を押してインターフォンを鳴らした。

『はい』

「あ、すみません。宅配便です」

『ご苦労様です』

 鍵が開いた。

 あまりの簡単さに呆気にとられていると、帽子を仕舞いながらジャックは翔の背中を軽く押した。

「この程度の防犯対策しかしてないマンションなんてこんなもんだよ」

 他人事ながら住民の防犯意識の低さに心配になる。

 促されるまま、開いた入口に足を踏み込んだ。

 非常階段を上がるジャックの様子をちらりと盗み見る。

 出会って半年になるが、一緒にいるのは基本的に仕事外のことが多かった。仕事中はジャックは家、翔は現場だったので、彼の仕事モードの表情を見ることはほとんどなかったと言っても過言ではないだろう。

(もう少し、楽しそうなのかと思ってた)

 少なくとも、今までは準備や事後処理はハイテンションでやっていたように思う。

 仕事中だって、インカムから聞こえる声はいつも弾んでいた。

 きっと、今回の仕事―特に依頼主はいないのだから、仕事ではないのかもしれないが―はそれ程に真剣に取り組むものなのだ。

 ジャックが翼のことを本当に大切な友人だと思ってくれているのだと理解して、病院で殴りかけたことを心の中で謝った。

「……何?」

 後ろから刺さる視線にジャックは翔を振り返って聞いた。

「何でも」

 心中を読まれたようで照れくさくなって、翔はかけていた伊達眼鏡を押し上げて短く答える。何故か身につけるように指示された眼鏡だが、こういう時に表情を隠すにはちょうど良かった。

 ジャックは一瞬怪訝な表情を見せたが、また前に向き直り、一段一段登っていく。

「部屋は何階なんだ?」

「七階」

 階数表示を見ると、あと二階分の階段を登らなくてはならないようだ。普段から身体を張っている翔にはどうということのない距離だが、ジャックは三階を過ぎたあたりから徐々に肩で息をするようになっている。何たる運動不足だと若干呆れながらも、弱音を吐くでもないジャックの後ろを付いていく。

 いつもより口数の少ないままジャックは七階分の階段を制覇し、大きく息を吐いた。

 翔の腕が後ろから伸びてきて、ミネラルウオーターの入ったペットボトルを手渡される。

「体力ないな」

「うっせ」

 受け取ったペットボトルの中身を半分ほど一気に呷り、ぐいと口元を手で拭う。空になったそれを翔に向かって投げ渡す。体勢を立て直すと小さく「よし」と呟いて廊下を進み始めたジャックの背を、翔は黙って追いかけた。

 何軒かの部屋のドアを素通りして、暫くすると足を止める。

「ここだ」

「中に入るのか?」

「当然」

 言うと、今度はポケットから針金を取り出した。それを鍵穴に差し込んで、カチャカチャと動かす。

 あまりに古典的なピッキングだ。

「おい、そんなので開くのか?」

「言っただろ?ここの防犯はザルなんだよ。住んでる人間は可哀想だな」

 カチャ、と鍵が開いた音がした。ジャックは「な?」とこちらを見る。

 ジャックが家でサポートに回らなかった理由のひとつが、このマンションの防犯対策の穴だらけさなのだろう。アナログ過ぎてサポートのしようがない。

「さっさと入るぞ」

 ジャックに促され、部屋に足を踏み入れた。靴はそのままだ。

 翔が部屋の中を見回しているそばで、ジャックは部屋のドアを片っ端から開けていく。リビングに隣接する部屋を開けると、ジャックがこちらを見て手招きした。

「ここだ」

 部屋の中を覗き込むとそこはアトリエとして使っているようだった。描きかけの絵やスケッチが散らかっている。

 ジャックは黙って置いてある絵をひっくり返し始めた。やがて手が止まり、スケッチブックを引っ張り出す。

「ん」

 渡されたそれを開き、翔が息を呑む。

 そこに描かれていたのは確かに翼の絵だった。ということは、これがあの日に持ち去られた翼のスケッチブックなのか。

「……これを取り戻すために頑張ってくれてたんだな」

 翔が言うと、ジャックは今度は完成しているだろうキャンバスを持ち上げる。

「もうひとつ、理由はあるよ」

「……?」

 描かれている絵には見覚えがあった。タッチは全く違うものになっているが、それは翼のスケッチブックに描かれた絵とそっくりの構図をしていた。

「これと、これとかも」

 見せられたスケッチと完成された絵は先ほどの絵と同じく、構図だけが同じものだった。しかし、どう見ても双方は違う人物が描いたものだというのは初心者の翔でも分かった。

「つまり、」

「誰かいるのか!?」

 低い声が響く。部屋の主の帰宅だ。

 慌ててジャックを見ると、彼は楽しそうに笑っていた。

 ジャックと翔がいる部屋に入ってきた今中は、鞄から携帯電話を取り出した。

「泥棒!今、警察を呼ぶからじっとしていろよ!」

 今中が電話をしている最中もジャックは逃げる素振りも見せない。翔が彼のパーカーの裾を引っ張っても小さく首を振るだけだった。

 乱暴に電話を切った今中は、ぎっとふたりを睨みつける。すると、ジャックが静かに口を開いた。

「あんたは覚えてないかもしれないけど、俺たち一度会ってるんだよ」

「……?知らないな」

「半年前に藤堂翼のアトリエに盗みに入ったの、あんただよね」

 一気に顔から血の気が引いた。

「お前、藤堂の……?」

「まさか、予備校の講師が犯人だったとはねえ。すぐに足がついても不思議じゃないのに。俺もなかなか見つけられなかったけど」

 何も言わない今中に向かってジャックは更に言葉を重ねる。

「いくら絵描きになりたいからって、自分とこの生徒の作品パクるのどうなの?マーケットで見当たらないはずだよ、生徒の発表前にスケッチを盗んで自分の画風に描き直してたんでしょ?先に発表しちゃったら勝ちだと思ってたの?悪質ー」

 ケラケラ笑いながらだったが、目は全く笑っていない。

「お金がない中予備校に通ってる生徒を狙ってたんだよね?お金渡して口止め?ああ、証拠がないって押し切った?」

 一歩、今中に歩み寄る。今中は逆に一歩引いた。

「残念。証拠はここにあんたが保管してたんだから、今から警察が押収してくれるよ」

 言われて、今中の目が見開かれる。

 慌ててジャックを突き飛ばして部屋に入り、手当たり次第に絵を掻き集め始めた。

「別に警察に突き出したかったわけじゃないんだけど、きっと泥棒が入れば警察呼ぶし、そうなれば告発のチャンスだしって?」

 今中の襟首を引っ張って後ろに転かすと、ジャックは口角を上げながら言った。

「一番わかりやすい復讐だろ?これであんたも俺の道連れだ」

 ジャックは翔を見ると、今度は毒気のない顔で笑った。

「そういうことだから、お前はさっさと逃げろ。道連れはこいつだけ。」

「何言ってんだよ、俺も共犯だ!」

「いいから。俺はお前にこいつの顔を見せてやりたかっただけだよ。一発殴らせてやりたいけど、傷害になるしな。それだけのために、今まで振り回して悪かった」

 はは、とジャックの口から漏れた笑いに、翔は自分の目に涙が溜まっていくのがわかった。

「いや、だ、」

 それでも頭を振ると、ジャックは悲しそうな目をする。

「仕方ないな」という声が聞こえたのと翔が頭に衝撃を受けたのはほぼ同時だった。


***


 誰かに揺り起こされた。

「大丈夫ですか?」

 頭が痛い。

 痛む部分を手で押さえて起き上がると、目の前にいたのは警察官だった。

「……あれ」

 そこは今中の家のベランダで、周りでは警察が忙しなく動いていた。

 状況がよく分からず、翔は記憶を呼び戻そうと目を強く瞑った。

「えーと……?」

「我々が駆けつけた時には窃盗犯にベランダに転がされていたんですよ」

「……はあ」

 窃盗犯。

 それがジャックを指すことに思い至って、翔は勢いよく立ち上がった。

「ジャック、」

「ジャック・ザ・リッパーならもう逮捕しましたから大丈夫ですよ。頭を打ってるか

ら動かないほうがいいです」

「俺、ジャックと一緒に泥棒してたんです、俺も、逮捕して、」

 すると、その警察官は困ったような顔をして翔を宥める。

「ここにいたふたりともあなたは無関係だと言っています。たまたま今中を訪ねてきたあなたに犯行現場を見られたから殺そうとしたんだと」

「そんな、」

 二の句が繋げなかった。

 それがジャックの最後の優しさだとわかっても、知らず涙がこぼれ落ちて止まらなかった。

 もう二度と彼が翔の前に姿を現すことはないのだった。


▽▽▽


 長い間、眠っていたそうだ。

 その間に大学受験が終わっていて、無事浪人することになった。

 ただでさえ馬鹿にならない予備校代を出してもらっていたのにもう一年だなんて申し訳なくて、「もう働く」と言ったら、兄貴に殴り飛ばされた。

 退院して、描きかけだった絵を完成させようとアトリエに行ってみた。

 ジャックの絵だ。

 眠っていた間のことは兄貴が話してくれた。だから描き上げなければと思った。

 今日もキャンバスに色を置く。

 切り裂きジャックを待ちながら。

                            


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切り裂きジャックを待ちながら 伊東かやの @kayano0413

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