エピソード:フツウ 6

気がつけば、暗闇の中にいた。


ああ、これはアレか。闇のエーテルの干渉で精神的に繋がっちゃうやつか、と気付く。


「自分の居場所が、よくわからなかった」


声が聞こえる。これは、先程の清水典子の声だ。


「IQって計ったことある?」


さあね。あんまり興味はない。


「私も、計ったことはない。でもね、一般的にはこう言われてるの。IQが20も違う人間同士は、言葉がわかっていても会話にならない、ってね。それがとても印象的だった」


……何が言いたいのかわかんないけど、つまり?


「学生のとき」


すっ、と。セーラー服を着た若い頃の清水典子が姿を見せた。眼鏡に三つ編み、お手本のような姿。

まるで私はこんなにも地味な性格なんですよ、とアピールしているかのような風体だ。


「ひどい言い方。合ってるけど。

私のIQがどうだったのかはわからない。でも、同級生どころか先輩でも会話が噛み合わなかったわ」


噛み合わないって?


「恋愛も、金銭感覚も、道徳心も。とにかく合わなかった。自分の居場所はここじゃないって、いつも思ってた」


友達いなかっただけなんじゃないの?


「そうとも言える。誰に対しても友情を感じられなかった。

社会に出て働くようになって、ようやく会話ができる相手にたくさん出会えるようになったわ。

……年上の男性ばっかりで、今の旦那もその中の一人」


良かったじゃん。精神年齢が高すぎたってことか。


「学校は小さな社会の縮図。でも、そこにすら入り込めなければ苦痛だけの地獄。

クラスメイトは猿の亜種にしか見えないし、ボス猿のご機嫌を伺わなければ排除の対象になる」


……ははぁ。そりゃ友達いないわけだわ。


「低レベルな集団は本能に従うことが多くてね。恋愛は性欲でしか判断しないし、そこに馴染めなければ本能に従っていじめという名の攻撃が始まる。そこに巻き込まれないようにするためには、上部だけ合わせてやるしかない。

それが苦痛で屈辱だった。

私はもっと上のレベルの学校で生きるべきだった。そうすれば正直に生きていけた」


それで子供にその価値観を押し付けた、と。

いい迷惑なんじゃないの、それ?

レベル高い学校なら本当に良かったの?

隣の芝生は青く見えるもんだけど。


「頭の悪い小猿の集団より、人間の子供の集団の方が理性的でしょう。

少なくとも私の子供は、人間として生きて欲しかった。

でも、失敗した」


失敗?


「何が悪かったのか、実のところはわからない。

でもアカリはあの私立学校に相応しくないと判断された。たった一時間程度のテストと面接で、私とアカリの人生は否定された」


人生ってほど重く受け止めることかなぁ?


「3年間と400万円。

幼稚園児という貴重な自己形成の時期に、受験のための塾に通い、自宅での親子団らんを犠牲にした時間とお金よ」


うひゃあ。そんなかかるものなんだ。


「塾の言われるがままに努力して努力して、不合格だったら何を言われると思う?

『ああ、残念でしたね。それで、これからどうしたいですか?』だってさ。

で、隣の合格した親子には、『おめでとうございます、頑張ってきましたもんね』って、笑顔で言うの」


あー……そりゃまあ、そうだろうけど。希望者が多ければ落ちる人らもいるでしょ。


「そんなことは私もわかっている。でもね、『春からやらなきゃ間に合いません』『この夏が勝負です』とか煽りに煽っておいて、特別受講費だの何だのと金を集めて、塾生の数は合格枠の三倍なのよ」


詐欺みたいな話だね。

途中でやめれば良かったんじゃない?


「ハッ、それでも合格枠の7割はあの塾生が取ってるんだ。そこを辞めたら、もっと可能性が低くなる。だから受講費がアホみたいに高くても、納得いかなくても、笑顔で塾に通わせるしかない。上部だけ取り繕って。良いママを演じて。

結局、カネ。

私立小のパンフも、子供の可能性を伸ばすだの何だのと綺麗なことが書いてあるけど、結局カネを使うのは前提。カネがなきゃ、自分の居場所にエントリーする権利さえもない。“普通”に生きることができない」


でも、落ちたんでしょ?


「……そうだ! 落ちたんだ!

だから今度は、今度の中学受験こそは落とせない!

クソみたいな学校や塾だとわかっていても、それに耐えなきゃもっとクソな環境しか残らない!

“普通”なんてどこにもない! 少しでもマシな環境を目指すしかない!

でも、ここまで耐えて、努力して、生活費も切り詰めて……!

落ちたのは私のせい! そう思ってる! 旦那から責められても受け止めてやる!

でも!

こんなにも、こんなにも可愛い子が毎日遅くまで頑張り続けたのに! 私の子供が! あいつらに劣っているわけがない!

何が先生だ、偉そうに! アカリの良さを認めない馬鹿どもが、教師気取りするなっ!

そんなにも他の子供が優秀だったというのか!? だったら合格した奴らを皆殺しにしてやる! あの小学校だってぶち壊してやるんだ!

アカリを、私の人生を否定する奴らはみんな消えてしまえばいい!」


……それが、アンタの闇か。

見えてきたよ。

愛情と嫉妬と後悔でぐちゃぐちゃになってる。


わからないでもないけど……

それでも、他人の人生を潰せる権利はないんだよ。

他の子供たちはもちろん、アカリちゃんもね。


この騒動が終わった後で、酒飲みながら愚痴くらいには付き合うからさ。

だからその闇、とりあえず私に預けてくれる?






「ッ! らあぁあああ!!」


仁美は叫びながら、エーテルドレインを放つ右腕を掲げていた。

凄まじい量の闇だ。

こっちの心がおかしくなりそうだ。


そうだ。

この世はハッキリと貧富の差がある。

どんな国でも、場所でも、どんなに小さな集団の中でも。


もがいてももがいても、上に誰かが立っている。

そして、下でも誰かが苦しんでいる。

終わらない嫉妬の地獄。

それを誤魔化すための愛情。

気分の悪くなる世界の構成。


こんな世界、一度ぶっ壊してしまえば……


って。


「んなわけあるかぁぁぁあああ!!」


仁美は右腕を振り払った。

これ以上はダメだ。【持っていかれる】と感じた。


そんな仁美を見て、恵は驚愕する。


「しゃ、シャイン……なの!? なにそれ、どうなってんの!? す、すごい力を感じる……!」


いつの間にか。

以前のように、仁美は小学生くらいまで若返っていた。


「エーテルドレインの副産物……ってとこかな」


自分でも、おば……年を取ったり、若返ったりと、気味が悪いとは思う。引かれてもしょうがない。

しかし今は、人助けが優先だ。


「私が前に出るから、隙をつけたら思いっきり強い魔法をぶっ放して! こっちは勝手に避けるから遠慮なしでね」


「わ、わかったよ、シャイン!」


仁美は光と闇のエーテルを纏いつつ、典子に突進した。


まずは右拳、光のエーテルによる単純な打撃。

ガンッ! と命中するが、蛸足の一つにあっさりとガードされる。

それくらいは考えてある。


次は左拳、闇のエーテルによる打撃。

パァン! と、蛸足に払われる。想像よりもかなり速い。


払われた勢いを利用して、そのまま右の回し蹴り。

ドスンと鈍い感触があったが、それも蛸足に阻まれただけだった。それでも光のエーテルがぶつかり、弾け、一瞬の目眩ましのような効果が生まれた。


「今だ!」


仁美は恵に目配せして、大きくバックステップで距離を取る。

炎の力をチャージしていた恵が、全力の魔法を典子に向けて放つ!


「いっけぇぇぇぇっ!!」


ゴォォウッ!!

炎の熱は爆風のうねりも加え、凄まじい音を出しながら典子とアカリちゃんを包み込んだ。


「ちょっ……やりすぎた!? アカリちゃん!」


恵は自分の魔法に驚愕し、攻撃した相手の心配をしていた。しかしそれは、油断でしかなかった。


『グアアアアア!!』


異形の咆哮と共に爆音が身体に叩きつけられる。

典子は闇のエーテルを爆発させ、炎を吹き飛ばしたのだ。


「うそ!?」


恵が驚くのも無理はない。ここまで強い敵は、仁美の過去でも数える程しか会ったことがない。


蛸足に加えて、爆発魔法。どうやらそれが典子とアカリちゃんが持つ能力のようだった。

こんなもんが街に放たれたら……被害はとてつもないだろう。

子供たちを殺し、小学校を破壊する、か。

確かに、それくらいはあっさりと実現できるだろう。


止めなければ。


シャイニングアロー(闇)だ。

あれをディスライト本体にぶつけるしかない。


しかし爆風と蛸足、さらに典子とアカリちゃんという、何枚もの壁に遮られている


「カポ、ディスライトはどうすれば人間から叩き出せるの!?」


「本人が拒絶するか、気を失ってエーテルを引き出せないようにすればいいッポ!」


「気絶するまで殴れっての!? 相手は普通の子供と母親だよ!?」


怒鳴る仁美に対し、しかし恵は今の情報を冷静に受け止めていた。


「ねえカポちゃん、それってもしかして、アカリちゃんたちは今もハッキリと意識を持ってるってこと?」


「そうだッポ! 闇のエーテルのせいで極端に狂暴になるけど、本人が考えて動いてるはずだッポ!」


恵は策を思い付いたらしく、真剣な表情になった。


「じゃあ、意識が関係ないところに……ディスライトとかいうのから離れたら、アカリちゃんは元に戻るの!?」


「そうだッポ! ディスライトは、人間の中に入り込んで心を利用しているだけッポ!」


恵は仁美に顔を向け、必死な表情で口を開く。


「シャイン、あたしがアカリちゃんを連れ出す! あの蛸足みたいなのだけ引き付けて!」


「作戦を聞いてるヒマはない、か。わかった、任せて」


「はぁぁぁっ……!」


恵は再び、魔力を溜めた。

仁美は約束通り、蛸足を引き付けるために前に出る。


『死ィネエエエエエ!!』


典子は全ての蛸足を、仁美に集中させた。

いや、これはちょっと、多すぎない?

仁美は誰かにクレームをつけるが、もちろん答えなどどこからも来ない。


ドドド!!

連続して蛸足が襲いかかり、仁美が一瞬前に立っていた場所を地面ごと抉り取っていく。


一発一発に必殺の力がこめられているのがわかる。まるでマシンガンにでも狙われているようだ。


どうして日本の一般社員が、戦場の最前線みたいな気持ちを味わわなければならないのか。

泣きたくなってくる。そんな36歳の夜。


「くっそおおお! あとどんぐらい引き付けろって!?」


仁美の泣き言に答える余裕は、恵にはなかった。

しくじれば自分だけでなく、友達のアカリちゃんまでも救えないのだ。


先程の魔法は、炎を相手に投げつけただけ。

次は違う。自分自身を変えるイメージをして……!


名付けて!


「【ファイアバード・ストライク】!!」


恵は炎を自分の前に放つ。

その炎は、まるで鳥みたいな形をしていた。

翼を広げて典子に突き進む。

炎の火花は、舞い散る羽のようだった。


しかしそれは羽ではなく、一つ一つが爆発して加速を得るブーストだ。

ここからこのファイアバードは一気に加速するはず。


そこに恵は飛び込んだ。

ファイアバードと一体化し、自らを炎と共に加速する。


邪魔な蛸足は仁美が引き受けてくれている。

今なら真っ直ぐ突っ込んでいける!

後は、爆発される前に……!


ボォォウッ!


ファイアバードは恵と共に体当たりし、典子たちに命中した。

熱波で周囲の景色が歪むが、完全に懐に入り込めた。


「アカリちゃん!」


アカリちゃんの身体を抱えて再び炎の鳥を作り出す。

次は真上だ。


恵は全魔力を逃げるために放出した。


バゥ!

と音を立てて加速し、アカリちゃんと一緒に上空に突き抜ける。


典子からアカリちゃんを引き剥がすことに成功したのだ。


「おおっ!?」


仁美が感心して声をあげる。

あのガキ、初戦闘でここまで魔法を使いこなすなんて。


アカリちゃんを引き剥がしたことで、蛸足が消え去った。

そうか、闇の靴下も闇の蛸足も、アカリちゃんの能力だったのか、と理解する。


しかしそれでも、典子の爆発の魔法は脅威だ。

どうやってディスライトを剥がせば……


『それってもしかして、アカリちゃんたちは今もハッキリと意識を持ってるってこと?』


恵の言葉を思い出す。


……そうか。

いや、しかし、どうだろう。やってもいいのだろうか。

人としてこれは……


ええい、迷っているヒマはない。


仁美はシャイニングアロー(闇)を構え。


ーーーーそれを、上空にいる恵とアカリちゃんに向けた。


「ひ、ヒトミ、何してるッポ!?」


「えっ、ちょ、シャイン……!?」


「恨むなよ、ガキ」


そして、シャイニングアロー(闇)を、恵に向けて放つ!


バシュウッ!


「シャイ……ッ!?」


それに一番早く反応したのは、


『アカリ!!』


典子だった。


恵たちを、いや、アカリちゃんを守るために、典子は闇のエーテルを上空に放出してシャイニングアローを受け止めた。


パァン!


と、激突音が響く。

恵たちは闇のエーテルによって守られ、無傷だった。


そして、仁美はそれを狙っていた。

既に二回目のシャイニングアローの構えを取っている。


「母の愛、見せてもらったよ!」


恵に撃ったのは、軽い魔力で作った矢だ。それでは何のダメージもない。

本命はこっちだ。

二発目のシャイニングアロー(闇)を、今度は全力で放つ。


「【シャイニングアロー(闇)】!!」


ゴウッ! と、空気を切り裂く音をたてて、光の矢は一直線に典子に向かう。そして光の矢の回りは、纏わり付くように闇の炎が螺旋を描いていた。


魔法による暴力の渦。

それがマグナム弾のように渦を巻きながら、無防備になった典子を貫いた。

いや、貫くというよりは、光の奔流の中に放り込まれるように押し流されていた。


『きゃあああああ!!』


典子を覆っていた闇のエーテルは光の中に消え去り、典子の中にいたディスライトも体外に弾き飛ばされ、蒸発するように消滅した。


そして。


ようやく、この騒動は終わったのだった。

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