エピソード:フツウ 3
清水典子は、自宅のキッチンで夕食を作りながら、一人娘の帰りを待っていた。
昨日は強く叱りすぎてしまった。そのお詫びに、アカリの好きなカレーライスと、おやつのアイスクリームを用意することにした。
人にものを教えるとき、どうして感情が高ぶってしまうのだろう。
どうしてこんな簡単なことができない?
どうして話を聞かない?
あなたのために言っているのに。
数年前の小学校受験さえ受かっていれば、高校までエスカレーター式だからこんなに苦労する必要はなかった。
だから、中学こそは。
それが終わったら、もうこんな厳しい子育てはやめよう。
普通の家庭になろう。
それまでは、心を鬼にしてでも……
と。
背後に気配を感じたので、振り返る。
娘のアカリが、そこにいた。
アカリ、のはずだ。
よくわからない、黒いモヤモヤのようなものが身にまとわりついていた。
「あ、アカリ……? おかえ、り。どうしたの、それ?」
『ママ、普通って、何?』
「……え?」
『ワタシもママもメグちゃんも、みんな普通じゃないよ。でも普通はみんな、普通なんだよね? その普通っていうのが、わからないの』
黒いモヤモヤが、うねる。
そして清水典子の首を、掴み上げた。
「ぐっ……ぇ」
『ママは普通なの? 普通じゃないの?』
「わた、しは……」
普通?
わたしは普通だっただろうか。
違う。
普通じゃない。
子供に一方的に詰め込み教育をして、それを子供のため、と自分に言い聞かせて。
そんな人間が普通であるものか。
でも、そうしなきゃ……アカリは……
ああ、意識が……
「おっ邪魔しまぁぁぁぁぁぁすッ!!」
バァン、とドアを蹴破るような勢いで登場したその女性は、清水典子を掴み上げていた黒いモヤを蹴り飛ばした。
掴んでいた力が消え失せ、典子は投げ出されるように倒れこんだ。
ガシャン!
テーブルが傾き、用意していた夕食のセットが床に落ちる。
「クソっ! これ住居侵入罪の罪状も追加されたんじゃないの!? どうなのカポ! ええ!? 懲役あんの!?」
「し、知らないッポ~。でも、そうしなきゃこの人を助けられなかったッポ~!」
変なドレスのコスプレをした、典子と同年代くらいの女性が、そこにいた。
「だ、誰ですか!?」
「……誰って、ええと。魔法……少女?」
なぜかこちらに聞いてくる。
この連中の正体は全くわからないが、少女ではないことだけは確かなので、首をふる。
女性は、ちょっとだけ傷付いたような顔をした。
悪いが、さすがに無理がある。
「と、とーにかーくっ! 家の中で暴れるとお互いに良くない! 外まで逃げるよ!」
典子は、言われるまま外に駆け出していた。
昼山恵は、アカリちゃんさんを追いかけていた。
見失っても問題はなかった。
だってあの子は、家に帰るのだろうから。
先ほどアカリちゃんを迎えに行くために走っていた道を、今度は軽く足を引きながら戻っていた。
時間はかかったが、もうすぐ到着する。
しかし、アカリちゃんの家に行って、どうする。
何ができる。
アカリちゃんさんは止められない。
大人を呼ぶべきなのでは?
いや。
大人を呼んだところで、何もできないだろう。
それは責任逃れのように思えた。
『ワタシは普通だよ』
そう叫んでいた。
アタシが追い込んだ。
アタシのせいだ。
だから、アタシが止めなきゃ。
「うおおおおっ!?」
前の方から、全く色気のない女性の悲鳴が聞こえる。
見ると、変なコスプレおばさんが、アカリちゃんのママと一緒に走っていた。
どうやら、アカリちゃんさんに追いかけられているようだ。
おばさんたちは、そのまま近くの小さな公園に逃げ込んだ。
昼山恵も、それに付いていく。
「か、かかかかカポぉぉぉ!! この人を逃がして!」
「に、逃がしてって言われてもッポ~!」
変な生き物が"見えた"。
何だろう、あれ。空を飛んでる?
公園の中央広場で、おばさんたちは立ち止まった。
それに倣って、アカリちゃんさんもまた足を止めた。
「くっそ! ここでやってやる!」
「や、やるって、私の娘に何するつもりですか!?」
「殴って落ち着ける! それしかない!」
「ふざけないで! そんなことさせません!」
おばさん同士で揉め始めた。
昼山恵も、アカリちゃんさんを傷付けられたくはないのでコスプレおばさんの方を止めようと前に出る。
「アカリちゃんさんに、手を出さないで! あれはアタシが悪いの!」
「め、恵ちゃん!? あなたどうして……怪我してるじゃない! まさかアカリが!?」
「そんなことはいいの! アタシがアカリちゃんさんを止めるから、そこから動かないで!」
おばさん二人をその場にとどめ、恵はアカリちゃんさんと向き合った。
「アカリちゃんさ……アカリちゃん。ごめんね。
アタシ、そんなに苦しんでるって気付かなくて……
ううん、気付いてた。ホントは気付いてた!」
『メグちゃん……?』
「助けてあげたいって思ってた。でも、子供には何もできないって思ってた! だから何もしなくて、それを言い訳にしてて……
ごめんね、アカリちゃん……アタシが、代わりにやるから!」
と、恵は清水典子に向けて平手打ちをした。
ぱぁん、と乾いた音が響いた。
「えっ……? 恵、ちゃん……!?」
「アカリちゃんを苦しめないでよ! ママでしょ!? 親なんでしょ!? 苦しんでるのわかるじゃん!
なんなんだよ、毎日毎日勉強勉強って!
もうやめてあげてよ! 可哀想なんだよ!!」
「っ……子供が、何を! わた、私は、アカリのためにッ!」
清水典子が手を振りかぶる。
その手を仁美が掴んで止めた。
「……それはやっちゃいけないことだね」
「部外者のド変態が何をッ!」
ものすごくクリティカルに心を抉られたが、仁美はめげなかった。
「教育ママに不満を持つ子供たち、か。ゼータクな悩みだけど、それもディスライトの好みってことね。
でも、ま……」
仁美はアカリちゃんさんに、人差し指を向けて言い放つ。
「アンタの闇、この私が受け入れた」
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