エピソード:サイカイ 4
前島トクヤは、痛みで霞む視界の中、その少女を見た。
夢の中で見たままの姿だった。
「あ、あんたは……」
何か言ってやりたかったが、それよりも胸が苦しかった。
吐き気が抑えられず、嘔吐する。
しかし口から出たのは吐瀉物ではなく、黒くて禍々しいエイリアンのような奴だった。
「ウボェっ……ッ! な、なんだぁ!?」
「ディスライトだッポ! ヒトミ!」
「お、おうっ! なんか今なら昔の必殺技できそうな気がするっ!」
仁美は必殺技である【シャイニングアロー】の構えを取った。しかしそれは過去のものとは違った。
左手の黒い炎が弓の形に変わり、右手の光が矢の形になった。黒く燃え上がる闇の弦に、光の矢をつがえる。
ディスライトは暴力的なまでの強大なエーテルに怯え、空を飛んで逃げ出した。しかし、もう遅い。
アンタはあまりにも、人の心を踏みにじりすぎた。
「くらえっ、乙女の怒りと憎しみの!
【シャイニングアロー】!!」
ディスライトに向けて、矢を放つ。
ゴウッ! と、空気を切り裂く音をたてて、光の矢は一直線に敵に向かう。そして光の矢の回りに、纏わり付くように闇の炎が螺旋を描いていた。
まるでマグナム弾だ。
『キィィィィィッ!?』
シャイニングアローは、ディスライトを容易く貫いた。
魔法生物の身体は跡形もなく弾け飛び、エーテルの一部となって空気中に飛散した。
勝ったのだ。
仁美は久しぶりのエーテル魔法を使った反動で、疲れきって膝をついた。
「はぁ……お、終わったぁ」
すると、身体から闇のエーテルが抜けていった。
それと同時に、若返っていた自分の身体がみるみるうちに老い……もとい、元の姿に戻っていった。
ああ、戻れるのかこれ。
そのままだったらどうしようかと思った。
安心したような、残念なような。
「ひ、ヒトミぃ~、よかったッポ~!」
「うん……久しぶりだったけど、何とかなった……」
残されたのは、倒れている男と、骨折して動けなくなった若者と、半壊した会社のビル。
いや、どうすんだこれ。
警察が来たらどういう扱いになるんだろう。
器物損壊?
……まるで大惨事の事故でもあったかのような光景に、コスプレした女が一人。
どう考えても不審人物だ。重要参考人として連行されるのは間違いない。
ついでに言うと今日は日曜日で、明日からまた仕事だ。
連行されたら明日の朝までかかりそうだし、そうなれば会社でもコスプレおばさんとして名を馳せることだろう。
輝かしい未来を想像して、結論を出す。
……逃げよ。
「じゃ、そーいうことで!」
右手を軽くあげて、骨折した男に挨拶する。
男、トクヤは痛みに顔を歪めながらも、反応した。
「お、おい、行っちまうのかよ」
「いやぁ、ここにいても面倒だし……めんご!」
完全なる死語で別れの挨拶を告げる。
トクヤは死語にツッコむことなく、真面目に答えた。
「……まあ、それもそうか。わかったよ。後は俺だけで後処理しとくよ」
「なんか物分かりいいね」
「アンタの状況は理解できたつもりだ。
その、ありがとな。こんなことに巻き込んで、悪かったよ」
闇のエーテルの干渉で、誰にも教えていない過去を全てさらけ出したのだ。
間違いなく、世界で一番、仁美のことを理解できている人間だった。
「変なのに操られてたってのはわかるけど、意識がなかったわけでもないんだ。これは俺がやったことだ。
罪は償うよ。それが俺の責任だと思う」
「……そっか。わかった。アンタの考え方もわかるし、否定はしない。ここは任せた」
「アンタも、いろいろ大変そうだけどな……これだけは言わせてくれ。
助けてくれてありがとう」
トクヤは痛みを我慢して、笑顔で礼を述べた。
その心意気は仁美にも伝わった。
仁美もまた、トクヤを理解できる数少ない人間なのだ。
とはいえ年の差がアレなので、恋とか愛とかに発展する可能性は感じられない。
連絡先を交換する必要はないと判断し、仁美はその場から逃げた。
その光景を、上空から眺めている者がいた。
20歳ほどの若い男だ。
羽も推力もなく、空に浮いている。
それはカポたち魔法生物と同じ、魔力によるものだった。
「……何だ、あのオバサン?」
『魔王様』に報告するべきだが……
闇に飲まれたのに、自らの力だけで正気に戻り、あまつさえ闇すら制御して攻撃してみせた。
まるで我々のように。
あの女に、興味を持つ。
個人に興味を持ったのは久しぶりのことだ。
ヒトミは、人目のない裏路地に逃げ込んだ。
そこで変身を解除する。
またしても白い光に包まれて、野外で一瞬露出するとかいうセクハラどころか猥褻物陳列罪で捕まりそうな変身シーンを経て、元の姿に戻った。
「……ふう」
だ、誰にも見られてないよね?
これ見つかったら人生終わるレベルの禍根を残すことになる。正体を隠さねば。
正体がバレたら、社会的地位と私の心が死ぬ。
「ヒトミ~! すごかったッポ!
さすがーーオブッ!」
元凶が呑気なことを抜かしてくるので、軽く顔面を一発殴っておく。
「な、なにするッポ!?」
「いや、さっきからずーっとアンタを殴りたかったから。やっと殴れたわ。少しスッキリした」
「ひ、ひどいッポ~。ボク悪いことしてないッポ~」
「自覚無しかよこの畜生は……」
と、低レベルなケンカが始まろうとしたところで、男が目の前に“舞い降りた”。
「やあ、今晩は」
20歳くらいのイケメン。黒いシャツにシルバーのアクセサリーが目立つ、キザったらしいところが仁美から見たら痛々しくもあったが、同年代くらいの若い子たちからはモテそうだなーという印象。
くっ、こんな達観した視点になってしまう自分の年齢を呪う。
いやそれよりも。
「え? 上から来なかった?」
「そんなことはどうでもいいよ。オバサン、何者?」
初対面でオバサン呼ばわりするこの若造に、社会の厳しさを教えてやりたかったが、殴っても効くのだろうか。どう考えても普通の人間ではない。
「ヒトミ! この人、魔法生物ッポ!」
「え、アンタたちと同じ?」
同じ物質でできてるとは思えん。
せめてカポもこれくらいのイケメンになってくれねーかなぁ。そうすりゃやる気出るんだけどなぁー。
と、ものすごく低俗なことを考えながら、それでも表情だけは驚きを維持していた。
うーん、演技派。
「闇のエーテル、使えたでしょ? 俺たちの仲間にならない?」
「はぁ、仲間。雇用ってこと? 給料出るの?」
「いや、そういうのじゃなくて。この人間社会を改革する仲間だよ」
なんじゃそりゃ。
社会改革って、選挙権持ってないのかこいつは。
持ってても選挙行かなそうな風貌だけど。
「給与が発生しない自己啓発的な活動なら興味ないんで」
そういうのはサービス残業でたくさんだ。
「えー、つまんないオバサンだなぁ。見込み違いかな」
いらっ。
「闇のエーテルに気に入られたってことは、オバサンも何か思うところがあるんだよね?
だったら俺たちと一緒に来なよ。もっと面白い人生にしてあげるからさ」
「宗教勧誘にも興味ないんで。
……ていうかね」
右足で地面を蹴り、左足を踏み込んで思いっきり右拳を男に向けて突き出す。
この拳は、空を切るだけだった。
男はまた上空に浮き、仁美を見下ろしていた。
それは想定のうちだ。どうせ只者ではない。
仁美は男を睨んだ。
「オバサンって呼ぶんじゃねーよ」
「危ないなぁ、オバサン」
頭きた。
もう一度変身しよう。
と、したのだが。アースステッキは微動だにしない。
「ヒトミ、連続して変身はできないッポ! 魔力が回復するまでダメだッポ!」
「チッ。んじゃこれで……!」
道に落ちていた空き缶を拾って、投げる。当たらない。
男はさらに高い場所に上がっていき……
「今日は話にならないみたいだね。また今度遊ぼうよ、オバサン」
なんかムカつく捨て台詞を吐いて去っていった。
「覚えてろよ、テメエ! 次会ったら顔面に一発ぶちこんでやる!」
「ひ、ヒトミぃ~。なんかこっちが悪者みたいッポ~」
もはや男の姿はなく、仁美の啖呵は空しく響くのみだった。
そんなこんなで、翌日。
月曜日は必ず訪れる。
それは会社の昼休みのことだった。
仁美が働く会社には社員食堂があり、大きめのテレビが備え付けてある。
昼御飯を食べながら、何となくニュースを眺めるというのがいつものルーチンだった。
昨日は疲れたし、今日はもうカロリーなぞ気にせず味噌カツ定食を食べることにしていた。そして、お目当てのものを口に運ぼうとした、まさにそのとき。
『……では次のニュースです。昨夜未明、ビルの入り口が何者かに破壊されるという事件がありました』
と、テレビのニュースが流れた。
楽しみにしていたハイカロリー味噌カツ定食への気持ちは一気に吹き飛んだ。
『目撃者の証言によると、コスプレをした女性が男性二人に暴行を加え、爆破物を使ってビルを破壊した、とのことです。警察ではテロリスト事件として捜査をする方針を固め……』
ぶわっと、冷や汗が出る。
おい。前島トクヤ。
お前、後処理するって言ったじゃねえか。おい。
何で私がテロリストになってんだ?
どうすんだこれ。
え、なに? 前科ついたの私? しかもテロリスト扱い? 罪状めっちゃ重くね?
いや、まだだ。まだ顔は割れてない。
しかし。しかしこれは……!
「まずいって、これ……」
つい、口から出る。
それを隣に座っていた同僚(38歳男性※既婚者のため毒にも薬にもならん存在)が聞いていた。
「え、おいしいじゃん味噌カツ。嫌いなのに頼んだの?」
「えっ、いやー、あはは、そっすね! ちょっと苦手っすね!」
と、苦しいながらも誤魔化す。
そんな様子は意に介さず、同僚はニュースを見ながら世間話をはじめた。
「コスプレしたテロリストかぁ。何なのこの事件。オタクってやっぱ危険なんだねぇ」
「そ、そっすね! オタクなんてヤバイ奴ばっかりっすよ! あは、あははは」
絶対に!
絶対に、正体を知られてはならない!!
仁美は固く、そう決めたのだった。
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