愛を許して祈らせて

小峰かおる

第1話 記者とスラムの少女

この街に最初に訪れたのは、記者としての仕事をしに来たときだった。


途中雨に振られ山賊に襲われ、散々な思いをして辿り着いた取材地は、想像していたよりも随分と酷い場所だった。


人の気配はほとんどなく、見かけるのは野犬か、生きているか死んでいるかちょっと判断に迷うようなヨボヨボの老人くらいだった。


こんな所で取材なんて出来るかよ、と悪態をつきながら、一人静かなスラム街を歩いた。


本当に静かだった。

子供の泣き声すらしなかった。


そのうち少し寂しくなってきた僕は、適当な所に腰掛けると、ぼうっと空を見上げた。

分厚い雲が空を覆い尽くしていた。


「降ってきそうだな…」


そう呟いて、はっとした。


そういや、今日泊まる場所を考えていない。


今までだったら取材ついでに現地の民家に泊まらせて頂いたり、最悪馬車の中で眠っていた。

しかし、ここまで来る間、馬車では進めないような道があった為、仕方なく近辺の街に馬車を置いてきてしまっていたのだ。


仕方ない。


人がいないことを想定出来なかった自分の失態だ。

かなり貧しい街であることは出発前かれ把握していたのに、突然来た記者を歓迎してくれる家がある訳がないことくらい簡単に分かるだろう。


自分の行いを悔やみながら雲を見ていると、頬にポツンと冷たい雫が落ちてきた。


「まずい…!」


僕は立ち上がり、大急ぎで屋根のある所を探した。

しかし、まともな建物が中々見つからない。


最初に入った家は、家具やらなんやらが散乱していて、誰も住んでいない廃墟であることがすぐに分かった。

誰も住んでいないのなら少しお邪魔させて頂こうと思ったが、よくよく見れば天井のほとんどが崩壊していた。

これでは雨を防ぐどころか、休んでいる間に瓦礫の下敷きになりかねない、と僕は廃墟を飛び出した。


2軒目は先程より綺麗な家で天井も崩壊していなかった。

これなら…と思ったが、奥の部屋から鼻をつままずにはいられないような悪臭が漂ってきた。

しかし、恐ろしいものほど気になってしまうもの。僕は好奇心に身を任せてその部屋に近付いてみた。

しかし、壊れた扉の隙間から漏れ出てくる謎の液体が目に入った瞬間、僕の好奇心は一瞬で消し飛んだ。


逃げるようにその家から飛び出した僕は、すぐに雨が本降りになってきているのに気が付いた。


まずい、替えの服は馬車の中なんだよ。


自分の体温が急激に下がっていくのを感じ、僕は更に焦る。

早く、少しでも雨から逃れられる所を見つけなければ…!



その時、人の視線を感じた。


背中を悪寒が駆け上がった。


振り返ると、フードを深く被った何者かが、こっちに来いと言うように手招きをしていた。


怪しいとは思ったが、このままこんな所で突っ立っていてもしょうがない。


僕はその人物の方に駆け寄った。


僕が近付くと、フードの人物は入り組んだ家々の間を走り出した。

そこで、その人物が随分と小柄なことに気付いた。

子供なのか?


彼は、僕よりも小さい体で僕よりも速く進んでいく。

それ故に彼と僕の間は次第に離れていく。

だが、見失ったと思って曲がり角を曲がると、大抵僕を待って立ち止まっているのだ。

そして、僕の姿を確認すると再び一定の距離を保ちながら走り出すのだ。



かなり長いこと走ったのではないだろうか。

彼は突然ぴたりと足を止めた。

こんなにも全力で走り続けたのはいつぶりだろうか、と僕がその場に座り込むと、彼はゆっくりと僕に近付いた。


「そこ…」


「え?」


自分の呼吸音で聞き取りづらかったが、その声は想定よりも高いものであった。

彼ではなく、彼女だったのだ。

僕を見下ろすフードの影に、やけに整った少女の顔が見て取れた。


「そこが、ここらへんで唯一ちゃんとした家…だから…」


少女は、自分の背後の二階建ての建物を指さした。

僕がぽかんとしていると、彼女は「人は住んでないから安心して」と言って、その場から立ち去ろうとした。


「待って!」


僕は彼女を引き留めようと手を伸ばした。

何故僕を案内してくれたのか、それだけでも聞きたかったのだ。


しかし、彼女はビクリと体を揺らし、僕が掴もうとした腕を素早く引っ込めた。


彼女は腕を抱えて、睨むような視線を僕に送ってきた。


それでも僕は構わず彼女に聞いた。


「何で見ず知らずの僕を助けてくれたんだ?見捨てたって君は何も困らないし…。それに君も雨に濡れて寒いはずだろう?」


「……」


彼女はフードを深く被り俯き、何も言おうとしなかった。

しばらく答えを待っていたが、無言のままの彼女を見て、これじゃきっと答えてくれないだろうな、と僕は諦めてよいしょと立ち上がった。


「案内してくれて本当に助かったよ。ほら、こんな所にいたら君も凍えてしまうだろうから中に入ろうよ」


そう言ってから、僕は彼女の答えを待たず家の方へと進んだ。


スラム街に住んでいる子供だ。

さっきの過剰な反応もそうだが、何かしら事情はあるだろうし、あまり詮索しない方がいいだろうと考えたのだ。


加えて、彼女が後々僕に心を開いてくれれば、何かネタになる話を教えてくれるかもしれない、という下心もあった。



少しすると、後ろから彼女がついてくる気配がした。

振り向いて彼女の姿を確認したが、相変わらず一定の距離を保っていた。


それに彼女の方が背が低いのとずっと俯いているのとで、フードの下の表情はほとんど見えなかった。

さっき少しだけ窺えた顔が整っていたように見えたから、もう一度見てみたいと思っていたのだ。

敵意は無いようだし、顔なんて後でいくらでも見れるだろう。

とりあえずこれ以上濡れる訳にはいかない、と正面に向き直ったときには、その家は目前であった。



扉は簡単に開いた。

彼女の言う通り、想像よりちゃんとした家であった。

というか普通に綺麗だった。


僕が扉を閉める前に、彼女は滑り込むように室内に入った。


僕は上着を脱ぎ、目の前にあったソファに掛ける。

そして彼女の方に振り返ると、そのフードを脱がせてやろうとした。


「いやっ!やめて…っ!!」


彼女は、大袈裟なくらい激しく拒絶した。

そりゃあある程度は拒絶はされるだろうと思っていたが、それ以上に彼女は怯えているように見えた。


「ご、ごめん…。でも脱がないと身体がもっと冷えちゃうよ、だから…」


そう言ってみるものの、彼女は頭を大きく左右に振り、水のしたたるフードを更に深く被ろうとした。


そんな仕草を見て、僕はどうしてもそのフードを脱がせたくなった。


別にやましい気持ちがある訳ではない。

先程見えたその綺麗な顔をもう一度拝みたいだけなのだ。

まあ、ちょっといじわるをしたい気持ちがあったのかもしれないが。


僕は彼女がよそ見をしたのを見計らって、その顔に被さったフードを勢いよく脱がせた。


「あっ…」


「えっ…」


思わず僕は後退りをした。


「嘘、だろ…」


僕の視線は、彼女の耳から動かなかった。


彼女の耳は長く尖っており、そして、



真っ黒であった。



「黒くて、長い…耳……。まさか…」


どの家庭でも、幼い頃に教わるのだ。


『黒くて長い耳を持つ者に会ったらすぐに逃げなさい。絶対に触れてはいけません。彼らは、触れるだけで魂を喰らう化け物なのですから。』

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愛を許して祈らせて 小峰かおる @Kaoru-Komine

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