2章 闇夜に眠る精霊

第1話


花が一面に咲き乱れている。

赤、青、黄色、白、様々な色の花。

辺りに花以外はなく、かろうじて遠くの高台に城が見える程度だ。


その中に紛れて座るのは、まるで人間の女の姿をした、白い肌と長い髪の精霊。憂いを秘めた表情で遠くの城を見ている。

今、あの城では争いが行われている。沢山の人間達の血が流れている。なぜ?

理由はあるのだ。でもなぜ?

殺し合う必要などかけらもないではないか。なぜ独占しようとする、なぜ手を取り合わない、なぜ与えない、なぜ?


精霊は人間が大好きだった。

あの争う姿も人間なのだというならば、今まで自分は間違っていたのだ。


人間など、守るに値しない。


空を飛ぶ一体のドラゴンが、自分の元へ来るのが見えた。背には甲冑の騎士が乗っている。

精霊の前に静かに降りると、手を伸ばした。


「ガトーヤか」

甲冑の男の名前だ。

甲冑の男は、伸ばした手を精霊の頬に当てる。頑丈な籠手だ、男の手のぬくもりなど感じるはずもないのに、温かい様な気がした。



***


「ですから!お願いですから許して!」

いい大人の男が、地面にヒザをつけて謝り続けていた。

その相手は体格の良い男二人で、いやらしい笑みを浮かべながら男を見下ろしている。

見降ろす男たちは、暴力にまかせて金を巻き上げようと、一人で歩く金持ちそうな人間を襲ったのだが、金どころか金目の類一切持ってなかった。

結果、男達はストレス発散でもするかの様に蹴り続け、衝撃で飛ばされていた帽子を戦利品替わりに立ち去って行った。

「なんて日だ・・・」

蹴られ続けた男はつぶやいた。

家から追い出され、全財産を街角で盗まれ、今度は追剥にあい、暴力を振るわれ、さらには思い出の帽子まで取られてしまった。

「もう消えるしかない・・・」

力無く横たわったまま、ただ目を開けた状態で目の前を見ていた。

周りに人の気配はない。男どもに脅され、人気のない裏通りまで連れてこられたのだ。なぜ大通りの時点で大声を上げなかったのか、本当に分からない。怖くて、声が出なかったんだ、情けない。その先に待つ未来が何かわかっていただろうに、勇気が出なかった。

「もうダメだ・・・」

定期的に絶望に満ちた言葉をつぶやく。


陽の光の位置が変わったな、そう思った頃、花びらが目の前に落ちて来た。

桃色の花びらだ、珍しいな、そう思った。花びらを否応なく見つめる、目の前にあるのだからしょうがない。

花びらを見つめていると、涙が出て来た。花びらが陽の光を通して透けて見える。まぶしい・・・自分が子供だった頃、母が良く手を繋いで歩いてくれた光景をなぜか思い出す。父は忙しい人だったが、家を出るまでのとても短い距離を、自分を抱きかかえて歩いてくれた。なぜこんなことを今思い出すのか。これが死に際に見る映像と言う物なのかもしれない。悔いを抱いたまま、自分は死ぬのだ。

花びらがまた舞い降りる。その二個目の花びらに、男は目が覚めた様な気がした。

もう冬だというに、どこから?

全身に走る激痛を耐え、上半身を起こす。上空から沢山の花びらが落ちて来ている。

「なんだ・・」

無意識に両手を広げ、花びらを浴びる。そのまま目を閉じ、感傷に浸る。この死に際に季節外れの花びら達・・・まるで自分を慰めてくれている様じゃないか。


「どいてー!」


空気を裂くような甲高い声が上空より振動してくる。

驚き目を開けた時には巨大な何かが死に際の自分の体に衝突しており、時が止まった様な衝撃を受けていた。

この広い世界で、なぜこの弱った自分に落ちてくるのだ、そう思った所で男は完全に意識を失った。


次に目覚めた時のは、息苦しさを感じてだった。目を開け、呼吸を急いでする。

目の前は先ほどと変わらない、殺風景な裏通りであるのを確認しながら、深く深呼吸する。

「大丈夫かいにいちゃん」

ところどころ破れた服を着た老人が自分に声をかけ顔を覗きこんでいる。

「これまた!きれいな顔が台無しじゃな」

白いヒゲを生やしたおじいさんは豪快に笑い始める。笑いごとでは無い、と言いたい所であるが、実際笑うに値する姿なのだろう。

「体は大丈夫そうじゃな」

どこが大丈夫だというのか、全身痛・・・くない!?

両手を動かして見てもさっきまであったはずの激痛がやってこない。

「なんだこれは・・・おじいさん、ありがとうございます!」

目の前の老人がまじないでもかけてくれたのかもしれないと考えたのだった。「いやあ、ワシは何もしてないが・・・」

おじいさんの言葉も聞かずに抱きつき、お礼を言い続けた。「もうほんと、今日一日優しい人にあったのはあなたが初めてですっ」「そ、そうか」


おじいさんはそのまま仲間との集会場所という所に連れて行ってくれたので、そこにいたボロボロの服を着た人達に、今日一日の出来事を語ったのだった。

「僕の家は中々の名家なんですが、両親が亡くなってから散々で・・・後見人のあった事もない伯父上一家とは上手くやれずこのザマですよ・・・」

焚火を囲んでの集会のようだった。男が身の上話を始めると、その場に居た他の者もそれぞれ昔話を始め、お互いを慰めるのだった。

「人生っちゅうもんは、何があるかわからんわい」

おじいさんが笑いながらまとめた。

「この先どうするんじゃ?」

「どうするって・・お金も取られちゃって、どうしたらいいか」

なんとなく自分の服をまさぐった。すると胸の内ポケットに何か入っているのに気がついた。取り出してみると、とてもきれいな桃色の宝石だった。

周りから、高く売れそうだな、などと聞こえてくる。確かに荒いけれども宝石だ、無一文の自分にとっては助け舟であることは確かだ。おじいさんが質屋の場所を教えてくれ、明るいうちに行った方がいいとも助言してくれた。

大通りに出る所まで送ってくれたが、それ以上はついて来てくれなかった。そっち側には行けない、おじいさんはそう言った。

少し歩いて振り向いた時もまだおじいさんは同じ場所に立っていて見守ってくれていた。


なんて優しい人たちなんだ。


質屋まではまだ距離が少しありそうだ。神経を研ぎ澄ましあやしい奴には近づかない様にし、しかめっ面をして歩く。この宝石だけは死守しなければならない。

歩いていると、遠くから悲鳴が聞こえて来た。周りはまだ気づいていない、神経を集中している自分が一番乗りで気づいたのかもしれない。

ドラゴンだ、そうも聞こえた。大空を指差す者もいた。男も慌てて空を見上げる。


真っ黒なドラゴンが、低空飛行しているのが見える。目で追うと、背には甲冑をまとった人間が乗っているのが見えた。

騎士様だ、という言葉が耳に入って来る。

騎士様?一体どこの騎士だというのか。現在この国の騎士達の甲冑には、この国の紋が描かれているが、上空の騎士の甲冑にはそれがない様に見える。

ドラゴンは通り過ぎて行ったが、すぐ様城の方角より竜に乗った兵士達が飛んで追っていった。

物騒ねぇ・・・この間も出てたドラゴンじゃないの、そんな声が耳に入って来る。一体何目的のものなのか、民としては気になる所である。ここ200年、平穏を保っているとはいえ、いつ破られてもおかしくはない。

どん、と肩に衝撃が走った。ハッとする。赤髪、頬に傷のある男と目が合った。


またか・・・!

男は胸をまさぐった、無い、宝石が!

「くそっ」全身に火がついた様な感覚がして、人ごみの中を走って赤髪の男を追いかけた。


赤髪の男は後ろを振り向く事なく走って行く。燃えるような体を頑張って動かすのだが、追いつく所か離れていく。

どうしてこうなんだ、今日はやはり人生最後の日なのか?


男の名前はマシュー・G・パントディア。今日を持って貴族では無くなった、追放者である。

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