第2話 ワッフルジュティ

山の中の農村、そう表現するのが一番しっくりくる。


定期的に人は訪れるが、見知った顔で、全く知らない人が来る事はほぼ無い。




100人にも満たない人数の村人。


昔から同じような生活をし、たまに都会から情報を取り入れて少しずつ変化して行く。




この村で育つ子供はみな元気だ。外を駆け回って自然を学び、人を学び、仕事を学び、大人になって行く。


ジュティはそんな農村で育つ、絵に描いたような元気っ子である。


今日もジュティは小さなお腹から大きな声を出す。畑の奥地で農作業をする、「隣家のおじさん」に向けて。


「おーいーーちゃーん!」


体を動かしていた「おいちゃん」は、その動作を終えてからジュティの方を向いた。




遠くの農道に、良く知った女の子が立っている。


白くも黒くもない肌と、大きく輝きを帯びた目。髪の毛は栗色で細かく波打っている。その独特な髪型はワッフルヘアと呼び、彼女のあだ名ともなっていた。




「おいちゃん」は声を出すために呼吸を整えようとしたが、少女が再び声を発する方が早かった。


「お弁当~!ここ、置いとくね~!」


両手を広げ、片手には布で包まれた弁当、もう片手には水筒。


「おいちゃん」はお礼を言おうとして腹に力を入れた。その時にはもう、ワッフル少女はおいちゃんから視線を外し、風を切って走り出していた。少女まで声が届くか不安に一瞬なったが、声を出してお礼を叫んだ。




ワッフル少女ジュティは、一軒の家の庭に向かって走っていた。


今日はその家の庭で、村出身の青年が勉強を教えてくれるのだ。精霊に関するなんたらかんたら、と聞いている。


その家へ着くと、青年はすでに話し始めていた。


「この村の歴史は古い。」


小さな子ども達が20人くらいが芝生に座っている。ジュティもさりげなく後方に座った。


この青年は村にいた頃から、下の子達に色んな事を教えるのが好きだった。


「歴史上、二度ほど消滅しかけた事があるらしいんだけど、どちらもかなり昔の事だそうだ。」


どのくらい?、何年前ですかー?、無邪気な質問が飛んで行く。


「それも山の精霊様を祭ってからは、危険なこともなくこの地は平穏そのものが続いている、らしい。」


質問に答える前に言い切った。一区切りついた青年は、子供たちの質問に答え始めるが、約80年前、などあやふやなものだった。


「ぜーんぶ”らしい”なのね!」ワッフル少女がひときわ大きな声で感想を言う。


その言葉の後、全員がワッフル少女を見た。


ワッフル少女は視線を感じて考える。この視線は何だかおかしい。なんだか変な感じがする。今のは言わない方がよかった?


一つ一つの視線を確認しながら、最後は青年の視線とぶつかった。


その瞬間、青年の表情は温かいものに変化した。ジュティはほっとして頬を赤らめた。「相変わらず元気だねワッフルジュティ」青年が言った。


「ジュティ今日もワッフルー?」「チョコかけたー?」数人の子もジュティに声をかける。


ワッフルは、彼女の髪型の事だけではなかった。彼女の大好きなお菓子の事でもあるのだ。


彼女は朝食にワッフルを取る。これを食べないと、元気が出ないのだそうだ。




座っている彼女の元に大きな犬が近寄って来た。名前はバルバルと言って、ジュティが世話をしている村の犬だ。


いつも大人しい、毛が長い犬。長すぎて目も口も隠れてしまっている。


いつものようにバルバルを撫でて気づく。


「ヒゲのおじちゃん。どこ?」


集まりごとがあれば、面白そうに寄って来る男。ヒゲのおじちゃん。




世界を旅しているという変わった男で、色んな事を知っている。




バルバルが軽く走り出す。


ジュティはそれを追う。


青年がこちらを向いているのに気がついて、ジュティは手を振った。さよならではなくて、ちょっと行ってくるね、の意味。




バルバルはヒゲのおじちゃんが寝泊まりしている家の前で止まった。


この家は5年くらい空き家状態だったので、ヒゲのおじちゃんが寝泊まりするには丁度良かった。


持ち主は別の場所に家を立てて、新しく出来た家族と暮らしている。


「ヒゲのおじちゃんーいるー?」


鍵などかけてないので、言いながら扉を開けて入った。


家の中は温かかい。窓から差し込む陽の光で温められているのだ。


「ヒゲのおじちゃんー?」


人の気配が無い。


家の中を歩き回って発見出来たのは、今朝剃ったと思われる、ヒゲの残がいだけだった。テーブルの上に無造作に散っていて、ジュティはそれを手の平で集めるとゴミ箱へ入れた。




気を取り直して、書斎へ入った。


ヒゲのおじちゃんはとても適当な感じがするが、本だけは好きなようで、沢山持っていた。


ヒゲのおじちゃんはなんでも知っていて、不思議なチカラも使えた。


自分の荷物をまるで別の世界の様な所に置いておいて、好きな時に取り出せたりしたのだ。


精霊のチカラとはまた違うものだと、はっきりわかった。


それが何なのか、ジュティはわからなかったので、聞いた事がある。


「秘密です」


それが質問に対してかえって来た言葉だった。




ヒゲのおじちゃんがいつも持ち歩いている事典をなぜか本棚の中で発見した。突き動かされるようにジュティはその事典を取ろうとし、でもそれが叶う事はなかった。


事典に手を触れた瞬間、淡い光とまとって事典は消えてしまった。




とても嫌な気持ちになった。


灰色の空だ、雨が降る前の、朝でももう夕方かと思うような天気の日。そんな気分だ。


バルバルがこちらを見ている、だけど反応する余裕はない。


肩にかけたバッグの中をまさぐって、小さなノートを取った。ヒゲのおじちゃんがくれた、魔法のノート。


このノートには、世界の秘密が書かれているらしい。


いつか、ジュティが沢山勉強をしてこのノートを読めるようになったら、その秘密がわかるように。今はまだ子供だから、教えられないんだとヒゲのおじちゃんは言ってた。


初めて見た時。中にはとても難しい言葉が書かれていて、いくら勉強したら読めるようになるのか不安になったのを良く覚えている。




ジュティはノートをめくった。




事典がまとっていた同じ淡い光を発したかと思うと、書かれていた文字達が生き物の様に動き出す。


止まった文字達は、ジュティにも読めるものだった。




-僕のかわいいワッフルジュティへ-




そんな言葉から始まっていた。


バルバルがワン、と鳴いた気がしたが、ジュティは反応出来なかった。

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