冒険者養成所の譚

『冒険者養成所の受難』

 冒険者養成所と呼ばれる施設も、今ではそう珍しくもない存在となった。

 義務教育課程を経た人間であれば誰でも入所する資格を与えられ、必要課程を終えれば冒険者としてのライセンスを発行してもらい晴れて立派な冒険者の一員となれる。

 昨年度に文科省が公表した高校への進学率は、一昨年の数字に比べて凡そ十数パーセントも下がったとされ大きな波紋を呼んだ。加えて、より深刻だったのは所属する高校から養成所への編入希望数の著しい増加傾向の方であった。

 この事態を重く見た政府は冒険者養成所の入所資格を高等教育課程修了までに引き上げる発表を出したが、これに反発する声も多く上がり養成所前でデモの活動隊まで現れる事態となった。


 世間の冒険者への評価が大きく二極化している最中、日本の東北地方に位置する長閑な集落跡に居を構える養成所の前では、今まさに冒険者としての第一歩を踏み出そうとしている人物がいた。

 蒼井あおいあおいは昨年に高校を卒業して実家を飛び出して以来、進学する訳でもなく職に就く訳でもなくアルバイトを転々とする生活を送っていた。借り受けているアパートの家賃や光熱費、そして生活費をやりくりするのがやっと、という状況が続き、先々の展望が見えない毎日に言い知れぬ焦燥感を抱き始めた頃、SNSで話題となっていた冒険者養成所の存在を知り、現在に至る。

 冒険者という職業について葵が持ち合わせている知識は、危ないけれど実入りの良い仕事、程度である。大枠は掴んでいるものの、本質的には些かズレていると言わざるを得ない認識である。


「ここが冒険者養成所……思ったよりも、普通だ」


 乗り越えようと思えば容易に乗り越えられてしまう程度の高さしかない鉄門の向こうに見える光景に、葵は思わず声を漏らす。冒険者なる危険と隣り合わせの職業にまつわる施設である、一見してその厳しさを思い知らされるような凄惨な光景が待っているものとばかり身構えていた事もあり、なんだか肩透かしを喰らった気分になった。

 「とは言え」鉄門を横に滑らせて施設内へと進んで行く。「中はすごいのかも」

 敷地内へ足を踏み入れたところで再び身構えたが、何らかの警報が鳴るでもなく長閑な空気が漂うばかり。段々と身構えている自分が滑稽に思え、一切の警戒心を解いてまず目に付いた建物の方へ歩み寄っていく。

 廃校を改装して使われているのか、三階建てから成る外観は完全に学校のそれである。入口のガラス戸を開け、横手に見える受付と思しき小窓を覗き込む。


「あのー、すみません」


 昼間ではあるものの建物内は少し薄暗く、小窓からも電灯の明かりが漏れている。室内に電気が灯っているのを見るに誰かしらが在室しているはずだが、一向に姿を見せる気配はなく、それどころか物音のひとつもしてこない。


「出払ってるのかな」


 間が悪かったのか、周囲を見渡しながら葵がそんなことを考えていると、背後からガラス戸を押し開ける音が聞こえてくる。


「ん、誰?」


 そこに居たのは百四十もないであろう背丈の見るからに小学生か幼稚園児か、という風貌の女の子だった。見た目の頃とは裏腹に少女はスーツを着こなす。サイズ感が小さい所為で霞むが、暗がりの中でも葵の持っている就活用の安物のスーツとは生地の感じが全くの別物であることは明白である。

 しかし、葵の脳が最初に反応を示したのはその高級そうなスーツではなく、少女の可愛らしい容姿についてだった。


「ロリ幼女っ!」

「ロリ言うなっ、幼女でもないっ、これでも二十三、立派な成人だっ」


 骨髄反射と称すのだろう、目の前の女性はやや喰い気味に声を被せてきた。長くて柔らかそうな茶色い髪がふわり、と浮く。


「し、失礼、つい……」

「ついうっかりで他人の容姿をなじるな、しかも初対面で」


 至極真っ当な正論である。

 所謂ギャグ漫画的な展開の雰囲気に流されかけたところで葵は元来の目的を思い出し、流れや段取りを無視して咄嗟にそれを口に出してしまう。


「あ、そだ。私、ここに入所しに来たんですっ」

「いきなりか、おい。文脈メチャクチャか……まあ、冒険者になりたがる奴なんて、この国じゃ決まって学のない落ちこぼればっかりだものね」


 女性は溜息と嘲笑を交えて吐き捨てる。

 この場の関係者であると勝手に認識していた葵は、女性の蔑んだ物言いに面喰って黙り込んでしまう。


「で、入所希望なんでしょ? ウチ、入所者も職員も少なくてね。やる気あるってんんなら、別に入所してもらってもいいわよ」


 「へっ」目まぐるしく変わりゆく女性への認識の変化に頭の整理が追い付かない葵は頻りに瞬きを繰り返す。「なんて?」


「何も知らずにここへ来たのね、呆れた……私はここの所長、幾月いくつき文音あやね。これでも少し前までは名の知れた冒険者だったのだけれど?」


 片目を瞑って得意気な様子の女性だが、葵がその名を知っているはずもない。


「え、所長さんっ?!」

「え、そっち?!」


 互いに驚嘆し合う二人。

 するとそこへ騒ぎを聞きつけたのか、廊下の先からまた別の女性が不思議そうな面持ちで姿を見せた。


「所長さん……と、お客様ですか?」


 長いストレートヘアを片側だけ耳に掛けた眼鏡の女性。まず目を惹く大きな胸が醸し出す母性をさらに助長させている。


「入所希望だそうよ」


 「まあっ」両手を胸の前で軽く合わせ、ぱあっと笑ってみせる女性。「これで三人揃いましたね」

 新たに現れた女性の女子力の高さに気圧され気味にあった葵だが、女性の漏らしたキーワードを聞き逃しはしなかった。「三人?」


「そう。あなたが記念すべき三人目の入所希望者よ」


 少ない。そう言い掛けた所で慌てて言葉を呑み込む。良い感じにこの場がまとまろうとしているにもかかわらず、逆撫でするような発言は出来る限り控えるべきである。葵の乏しい理性が辛うじて難を逃れる。


「これで朱莉あかりちゃんたちもパーティが結成できますね、所長」

「ええ。ようやく動き出すわね、チーム幾月が」


 妙な盛り上がりをみせる二人を尻目に、葵は少しばかり不安を覚える。

 SNSを見る限りではどこの養成所も定員を大きく上回っており、入所待ちをする人間が後を絶たないという話だったはず。しかし、この養成所は自分でようやく三人目の入所者である。この奇妙な差異はいったい何を意味しているのか。

 晴れぬ疑念を胸に、葵の新たな生活が幕を開けたのだった。

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