第十二話


 二〇XX年○月○日○曜日

 ○○山で狩猟中に遭難した瀕死状態の○○大学教授Y氏が、犬のような毛並みをした狼と思われる四匹の群れに遭遇。発見当時、悪天候と地震によって、急斜面を登っていたY氏は、折れた木に巻き込まれ山奥で足を負傷していた。水や食料をまる四日間摂取していなかった為、脱水症状により意識が朦朧としていた。

 そんな瀕死状態のY氏の前に現れた四匹の狼たちの後方から突然、四足歩行で現れたNo.1008の患者が、水の在り処に誘導してくれた。なおその時の患者は怪我だらけだった。


 二〇XX年○月○日○曜日

 ○○山で遭難したY氏は、水を摂取し何とか命の危機を乗り越える。しばらく眠る。目を覚ましたY氏はやがて冷静な意識を取り戻す。だが近くに患者が一人、犬のような姿勢で眠っていたことに驚き怖くなってその場を離れる。天候は回復しており、怪我はあったものの何とか下山に成功する。


 二〇XX年○月○日○曜日

 下山したY氏は、約二十日間の安静のあと、猟銃を所持した二人の知人を連れて再度○○山に登山。記憶を頼りに患者と遭遇した場所を捜索。一時捜索は難航を示したが、時刻の二十二時を過ぎた辺りで患者を発見、保護。

 身体は痩せ型。推定年齢は五歳児前後と思われた(これはあくまで通常環境で育てられた子供の身体特徴と比較した要素からの推測。なお正確な年齢は二歳前後の余地があってもおかしくはない)。

 患者は全くの抵抗を見せず、生死を彷徨う衰弱状態にあった。(補足するとY氏を助けたことによって仲間たちは、患者を裏切り者とみなしたが、それには仲間の思惑あってのことだったと後にY氏は知る)

 三人で相談した結果、一度患者を下山させることに。Y氏が先頭で懐中電灯と道案内係を務め、後方で知人の二人は患者を交代で背負い、もう片方は熊などの警戒にあたっていた。

 しかし下山途中、後方にいた知人の二人は熊に襲われる。即座に頭部や頸動脈、腹部及び内蔵、太腿などを無残に食いちぎられ死亡(なお二人は道中も狼の存在自体を否定していた)。

 最後にY氏も熊に襲われかけたが、衰弱状態の患者が突然、飛び起きて狼のように吠え、歯を擦り合わせ、威嚇を見せた。その直後、四匹の狼が現れ、熊に襲いかかる。始終恐怖のあまりY氏は腰を抜かしていた。

 熊は逃走し、残った四匹の狼と患者は会話をするように近づきあった。が最後に一匹の狼に突き放された患者は、獰猛に吠えられていた。やがて狼の群れはその場から離れていった。患者はすぐさまぐったりとして気を失う。

 Y氏は恐怖のあまりその場で何も出来ずにうずくまっていた。数時間後(時間不明)、まだ暗闇に包まれた夜だった。眠ることもせずただ白痴のようになっていたY氏は驚くべき光景を目にする。

 気を失っていた患者の前に再び四匹の狼が現れる(その時のY氏は殺しにきたんだと思った)。が狼たちは大量の木の実や果実を患者の前に落としてすぐに去っていった。気配で目を覚ました患者は、落ちている木の実や果実を見て、瞳から静かに涙を流していた。患者は高らかに吠えていた。

 患者は木の実や果実を口に咥えてY氏の前に落とした。赤い実(ハナマスの実)を一緒に食べたとき、種があって甘酢っぱい味だった。Y氏は自然に泣いてしまっていた。遠くで山の神が高らかに鳴いていた。


 二〇XX年○月○日○曜日

 Y氏は狼と患者の光景に感銘を受けた。知人を殺された悲しみよりも遥かに感動してしまった自分は、もう人間社会に紛れて生きる資格はないと思った。研究や論文以外にも自分には出来ることがあると再認識した。

 それにY氏の祖先は、自然と共存し独自の文化を築き上げ、かつては狼を神と称え祀る民族だったことを思い出し、これは自分に与えられた山の神からの使命だと受け入れ、患者を人間として育てる為に森の中で暮らしはじめる。

 ここで一旦当時の患者の容姿を記述しておく。

 1患者の容姿

 ・身体年齢は推定五歳児前後。精神知能は一二歳前後。

 ・四足歩行で裸。

 ・性別は女。

 ・手足の爪は約四五センチ程度伸びていて折り曲がっている。

 ・掌や肘、膝や足の甲には何度も皮膚が剥けてタコのような厚みを確認。

 ・絡み合った髪は肩に触れるほど。身体は全体的に薄汚れて黒かった。


 『患者の人間的コミュニケーションについて』

 徐々に怪我が治っていく過程で、患者とのコミュニケーションは非常に困難が生じた。Y氏は初め表情や仕草、ジェスチャーなどのボディランゲージで意思疎通を図ろうと試みたが、あまり有効性を感じなかった。だがそれも患者の精神知能が元々幼稚で(人間の一二歳前後と推測)あったことに要因があった。逆にそれが幸いとなって一般的な人間の幼児と同じように髪をなでたり、寝るときは寄り添って寝るなど、精神の安らぎを互いに共有し続けることが可能だった。その際に指をさす仕草や一単語などの日本語は絶え間なく使用した。ある程度の関係性が築けると、次にY氏が土に書いた一単語習得からはじめ、次に二単語習得と段階を上げていった。

 言語獲得において発達心理学的観点から照らし合わせると臨界期が存在し、その一定期間を過ぎると言語獲得は不能と言われているが(臨界期には個人差があり正確な証明はない)のちに患者は言語獲得に成功する。


 『患者の人間的行動性について』

 患者は少しずつ木に捕まって二足歩行を練習することからはじめた。患者は四足歩行(疑似ハイハイ)が可能なので、習得まで多少の時間はかかったが、言語獲得よりは習得に苦労はなかった。

 三ヶ月前後で患者は自発的微笑も獲得。その数ヶ月後には、山を歩いていると熊の糞を見て指をさしY氏に笑いかけるなど社会的微笑の獲得にも成功した。


 『患者の人間的食事について』

 初期は木の実や果実、山菜、川魚などが主流でY氏は患者の元々の生活に出来るだけ近い状態で、過ごすことから接触を図ることにした(患者は肉食動物などの狩りを避けていた傾向があり、狩りは主に親か仲間が担っていた?)。

 Y氏は患者がある程度成熟してくるにつれて、食材などの場所を教えてもらい、代わりにその食材が人間に食べられるのかどうかや、手を使った(人間らしい)食べ方、火の起こし方などを教えた。患者は最初、火に怯えていたが徐々に慣れていった。

 患者の人間的行動性が伴ってくるにつれて、道具を使った調理の仕方や箸などを使った食べ方をのちに教えていき、成功する。

 なおY氏が調理する際の補助などから自発的調理まで可能になり、段階を経て人間的食事のレベルも上げていった。


 二〇XX年○月?日?曜日

 患者との人間的生活をはじめて一年半が過ぎた頃、ある発見をした。洞穴に住んでいたY氏はそろそろ患者との住居を必要に感じていた。

 ある日山菜を摘みに出かけたとき「あちあち」と指をさしながら二足歩行でいつもとは違った場所に誘導する素振りを見せた患者。ついていくと目の前には高い大岩壁があって、一つの岩をさして「うう(押してみろ)」と連呼した。Y氏は疑問に思いながらも両手力一杯押すと岩は見事にくり抜け、洞窟に繋がっていた。そして洞窟を奥に進むと一つの出口に繋がり近くには小さな池が浮かんでいた。 

 感激したY氏はのちに周辺に家を建てることを決意。その結果凶暴性のある動物(熊や猪など)からの被害の心配はなくなった(のちにその場所は以前狼たちが住処の一つにしていた池のほとりであったと患者から知った)。

 なおその頃にY氏は何度か山を降りて街に帰ることがあった。

 先祖の住居を部分的参考にして、患者にも手伝ってもらいながら約一年の期間をかけて家を建てた。が、問題は患者の排便にあった。患者はどこにでも糞尿をするので、まず一つの場所ですることを覚えさせた。

 三年後の患者の容姿

 ・身体年齢は推定八歳児前後。精神知能は六歳前後。

 ・二足歩行でY氏が与えた子供服を着ている。

 ・外見に野性的部分は見られなくなったが、稀に動物の前だと唸る、犬のように匂いを嗅ぐ仕草などを見せることがある。

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