第三話

 そもそもハングリー精神とは、自分が人より劣った環境、飢えなどから将来的に人よりも頑張って努力し、成り上がろうとする精神をさしている。でもそれは本当の底の底にいる最下層の住人を知らないから、若しくは知っていても極力見ないようにしているのかは知らないが、何はさておきそういった客観的にみれば、そこまで最下層の住人環境下ではない者たちが好き勝手に吐き出し、成功した者たちの結果論的台詞だと断言できる。

 生まれもって、様々な要因から親もおらず、名も国籍すらもなく、義務教育すら受けられず成り上がろうにも、法が許さない人たちは必ず存在する。所謂社会的弱者たちは、自分が弱者だと発言する言葉の教育ですらまともにさせてもらえないから、表舞台に立って自分を表現する力すらなく、無為に歳ばかりとって、肉体労働にしか選択肢がない者たちがかつては多くいた。

 そんな自分たちよりもハングリーハングリーな者たちが我が日本に存在しているなんて、認めたくはないのもかもしれないが、実際に多く存在し、長野が生きる今も数は減ったが間違いなく存在する。

 これは長野的にも今の公平社会を生きているからこそ言える、自由思想の一部とも言えるものだが、そもそもハングリー精神がないと頑張れない人間は、早かれ遅かれ金を持った時点から零落する。

 自発的に誰かと競い合って勝ちたい、追い抜きたい、成功を収めたい、又は自分との戦いに勝ち、究極の高みに至りたいなど、それぞれ向上心や自己満足、承認欲求などの類は、貪欲と呼ばれるハングリー精神でも何でもなく、言葉の意味をしっかりと学び理解しなくてはいけない。

 けれど、生まれもって保障されなくてはいけない環境は必ず誰にでもあって、人が生きる文明社会に必要なものだ。それが一人でも欠けているならば本当の平等、男女平等などまた夢のまた夢だ。

 では現代に本当の平等、完全なる平等社会になっているのかと言われれば、少なくともそんなことはなく、個人の能力が如何に優れているか、個人の探求心からくる学びへの姿勢が非常に試される時代でもある。だからもちろん所得格差は今もあって、それでもどんな生き方をし、働きたい時に働き、自発的に活動、表現をし、納税し、会いたい人に会いに行けるだけの時間を捻出する自由は、誰にでも当たり前に存在する権利だ。

 VR教師が言うに現代はまだ昔のように生まれもって圧倒的貧困が存在し、民に最低限の生活も保障されていない、平等云々の下地すらない時代よりかは、幾らかまともになりましたが……とも零した。

 そして本当の平等など社会が生み出した妄想的虚構であるということにいち早く気付き、多くの者が社会を公平的に捉えなかった結果が過去の労働の時代だ。

 そんな過酷な時代の狭間で、より多くの者が学問の追求に費やし、好きなことを仕事や趣味に、なんて永遠にやってくるはずもなく、それは遥か彼方の夢物語と言って鼻で笑い労働を美徳とする人たちが当時は本当に多かったとか。

 他の生徒たちはどう思ったかはそれぞれだが、長野はそれに対し、昔の我が日本では、はなから何かを自由に選択させる気もないように思えた。当時は労働の時代だったと言うのに、実に多くの能力のある者たちは異物扱いされ、つまり出る杭は打たれ、飛び級制度も存在せず、経営や独立などお金の稼ぎ方すらまともに教えない。唯一教えることといえば、まっすぐ列に並べない者を怒り排除するやり方だけだ。ただ一つの集団にすんなりと溶け込めるような液体(綺麗な)として育て上げ、個性ある個体は広く受け止めようとはしなかったらしい。天才は欲しい! ただし綺麗なものに限る。今では本当に考えられないことだ。

 全ては監視社会の奴隷を生産するシステムのように思えて仕方なくて、どこかありきたりな小説や映画にありそうで、長野は一人ゾッとしていた思い出がある。

 そもそもの話、長野や多くの生徒たちにとって労働をするもしないも選択権がないなんて、考えられないことだった。が、それに対しVR教師は「昔は国民給付金制度が存在しなかったから」と言った。中にはそれでも働かない者もいたらしいが、多くの者が社会的に虐げられたり、冷たい眼差しで見られたりしていて、社会的評価は最底辺だったとか。だが裏を返せば民が民をしっかりと監視し合う奴隷生産に成功しているともとれる。働かざる者食うべからず、なんて聖書用語を真に受けた差別用語にも等しい神をも恐れぬ言葉が日常的に横行していた過去もあったとVR教師は言う。それに今よりも人が人に対して暴力や陰湿的な虐めを繰り返し、犯罪や自殺なども半日常的に横行していたとか。

 VR教師も昔は人が務めていて、教師同士の虐めや、生徒たちにハラスメント行為が全国各地で多発、クラスでは虐めなどが平気で行われていて、それを直接的に又は間接的に知らないで卒業し大人になっていく生徒は、殆どいなかったとか。しかし驚くことに我が日本では、それでも多国に比べれば随分と平和であるなどと、本気で思いこんだどうやら未成年飲酒が疑われる酔っ払った子供が多くいて、やがてその子供が酔った勢いで大人になってしまいまた新たな酔っ払いを生む。

 全ては幸福度の低下にあって、その理由は多岐に渡るが、貧困格差、人間関係からくる蓄積ストレス、学歴社会制度により目を奪われた本当の、学問追求心への欠如、教師の過酷な労働環境制度から人手不足、虐待など他にも色々と要因があったらしい。

 それでもVR教師は「最初は我々VR教師制度すらも簡単には整わなかった」と言った。で、その理由が人間性や道徳性の欠如や喪失を心配した声だったとか。

 こんなことは最初から分かりきっている答えにも思えるが、最終的に問題視されたのは、以前の教育制度で犠牲になった多くの者たちの存在を無視するのかということだった。

 ハラスメントや虐めによって命や心を奪われた者たちの存在を見て見ぬ振りをし、碌な対処もせず同じやり方を繰り返す方が、最も残酷で人間性や道徳性の欠如、喪失にあたるという意見が強く露呈し、紆余曲折を得て今の教育制度へと徐々に切り替わっていったという。

 VR教師は「我が国もこのような人間性の欠如、喪失した非道な行為を繰り返さない為に、私達は歴史をしっかりと学ばねばなりません」と口酸っぱく言っていた。

 その時の長野や同級生たちは皆一同に「歴史には色々と恐ろしい時代があるのだな」と感じ、内心で「そのような時代に産まれなくて本当に良かった」と心底安堵していた。これは我が日本で、遥か昔に戦争があったことを学んだ時にも同じように思った。

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