第二話
伸びた白い息をかじかんだ手にあてながらチハは獣道を歩いていた。枝の乾いた音が聴こえてきて、手の位置を瞬時に移動させてみたが、音が誰のものでもないと知って、今度は先よりも一段と深い息を吐いた。
チハは二匹の鹿の前に膝を突いて、まず泥濘みに右手を置いて、次に汚れた右手を親鹿、子鹿の順に身体に置いて目を瞑った。
鹿の親子は寄り添うように死んでいた。
「ダイチ。カンシャ。アイ」と口元で告げてから、腕に掛けた猟銃を地面に置いた。流れ動作で腰からナイフを取り出して、まず初めに親鹿の頸動脈に刃先の先端が触れた。けれど今度こそ枝が完全に踏み潰された音が連続で鳴って、瞬時に立ち上がった。
ナイフを前に構えて周囲を見渡していくと、木と叢の間から黒い熊がじっとチハを見ていた。異様な黒さを誇った熊は、やがて斜めに動きはじめて、徐々にチハへと歩みを寄せてきた。口からはねっとりとした白い息が漏れていた。
比較的早い段階で冬眠から目を覚ました飢えた熊であった。
チハは熊の姿を認めてからほんの一瞬、その異様な黒さに固まって、すぐに猟銃を拾った。熊は獣声を震わせて走ってきた。
ナイフを腰にしまい、照準を合わせた頃には既に、熊は二本足で立っていて、威嚇を見せた。
「ヤマギシ!」とチハは叫んで、銃を打った。
割れ突き抜けるような激しい音と共に弾丸は熊の右目下に命中した。目を撃ち抜かれた熊は、血の涙を流しながら倒れてきた。
チハはすぐさま左斜め前に思い切り飛び込んで、すぐにもう一発撃ち込んでやろうとして、態勢を整え猟銃を構えなおした時には、乱暴な力によって吹き飛ばされてしまった。
飢えた熊は通常よりも遥かに俊敏であった。何とか意識を持ちこたえたチハは、すぐに起き上がって逃げた。
熊も逃げる背中を全速力で追いかけてきて、草木を薙ぎ倒す勢いだ。追いつかれるのは時間の問題だと感じたチハは、観念して大木の影に身を寄せた。
日は暮れて、辺りは随分と暗くなった。チハにとって夜の行動に問題はなかったが、この状態での山道逃走は、根本的な限界を感じていた。が同時にある存在が脳裏によぎった。
ダメ元でもう一度叫ぶことも視野に入れたが、この広い山でそれはあまり有効な手段とは思えなかった。
熊は荒い息を吐きながら、チハの血痕を確かに認識していた。
獲物はもう目の前にいた。人間にしては小さいサイズなので後は適当に覆いかぶさるだけで良かった。久しぶりに人間の肉や脳みそを貪れると思ったら躊躇など無用だった。
チハは間一髪のところで熊の覆いかぶさりをいなした。起き上がる流れから自然的に両手を地面に置いた。頬から流れる血を気にすることもなく、吹き飛ばされた銃や仕留めた鹿親子の存在は、一時的に頭から消え去っていた。
低く低く、姿勢を持っていき、その際に決して熊から瞳を逸らさず、ただゆっくりと獰猛な唸りを洩らし、歯を擦り合わせ、決して人間の叫び声では届かないような、遠吠えをあげた。
両親がお見合いコミュニティで出会って結婚し、長野が生まれた。両親は働くこともなかったので凡そごく一般的な家庭愛の中で大切な一人娘として育てられた。そんな長野は雪の降る平日の早朝にタクシーに乗り、流れるように移り変わる景色を見ていた。
人々は街をうろうろとし、皆の表情や歩く速度が心の余裕を表している。酔っ払いの五十代くらいの中年親父たち三人組が、仲良く肩を組みながら歩いていた。いつもの平和な光景を長野はつまらなそうに眺めていた。
どこを見渡しても周囲を走る道路には、タクシーかバスの公用車しか見えない。乗り物たちの速度は常に一定で、決して法定速度を破ることもなく、信号無視や交通事故もない。稀に自然災害の影響で交通事故などのトラブルがあるらしいが、長野は東京に来て以来、まだ一度も遭遇したことはなかった。
現在長野が乗っているタクシーにも長野一人しか存在しない。昔は乗り物にも運転手という役割があって、タクシーやバスでは、人々の職業にもなっていたことを長野は最近まで忘れていた。
長野の両親が生まれた我が日本のそれまでは、感染病が蔓延していて、国家的に色々と大変だったらしい。が、両親が幼少期の頃には既に過渡期を超えた終焉間近で、のちに完全収束を果たし、人口減少を八千万人に食い止めたあとだった。それもこれも全てはネットワークシステムに適合した(比較的)公平社会化の定着したあとだった。
長野は大学進学を機に上京した。長野は歴史の授業に多少の興味があって、これは学んだほんの一部分の出来事に過ぎないが当時は驚きの連続だった。
昔まで実に多くの人々が大人になるまでの間に学校へと通い勉強をしたり、技術や特技の習得に励んでいたらしい。が、それもこれも大半はお金を稼ぐ為だったとか。そして大人になった人々は、人生の大部分を労働に費やして死んでいった。その中には過労死や仕事が原因で自殺するという人も多くいたとか。
VR教師からその事実を聞いたときは、長野も同級生たちも流石に驚いていた。まず多くの生徒が挙手までして知りたがった疑問が「どうしてそんな無謀極まりない生き方をしていたのか?」だった。
どう考えても出生し将来大人になってから半強制的に働かないと生きていけない環境が整っているなんて、どんな馬鹿な子供でもそれが悪質的でかつ強制的な監視奴隷を生み出すシステムが築き上げられていることが分かる。
元来人類は、労働をする為に生まれ生きているのではないことは、現代なら誰でも知っていて当然の事実。
学問の追求は大人になったら終わるのではなく永遠にあって、じっくりと学び続けるものだ。若しくは好きな世界で自発的な生き方をする。他にもゆっくりと気ままに生きるのも選択肢の一つで、何も学問だけが全てではない。
だが働きたくないのに働いている半強制的労働者が多く存在する時代に本当の文化文明の発展成長なんて存在しないことは明白だった。別に現代でも働くこと自体は、特段珍しいことではない。そこで大事なのは、それが自発的か、強制的かが非常に重要なのであって、やるか、やらされるか、というのは天と地ほどの能力差が出てくるのは、今の時代では常識中の常識だ。
人間の脳は複雑だが、良くも悪くも正直にできていて、個人差はあれどストレスに対して強い生物ではない。
会いたくない人には会わない。これは群衆社会を生きるうえでは何よりも大事にしなくてはいけない。
ただでさえ人は生まれた時から死に向かう。生きるだけで疲弊するのはそのせいだ。そもそも生きている方が異常なのだ。歴史の長さを見れば人間がこの広大な大地で生きていることは奇跡のうえで成り立っていることが分かる。ストレス環境に身を窶し、心身を自ら急速に滅ぼしている暇は一ミリたりともない。
だから人類は便利な文明の利器を絶対に手放して来なかったし、今後も便利な方にしかいかない。それは人々が狩猟採集をしていた時代から農業へと革命を起こしていったときから何も変わらない。それが良きにしも悪きにしも、ついてこられない人々は消え去る非常な運命しか待ってくれない。おかしいかな、人が創り出した文明が人を排除するなんて誠に愚かかな。だが歴史の流れとして記録してあるのが何よりもの証明だ。もちろん歴史はあくまで歴史なので、過信はよくない。ではどうすれば良いのか。時代を見る目を養うしかない。なぜこうなったのか、あらゆる視点から、小説的に、時代背景の素材を使ってシミュレーションを脳内で繰り返し、答えを割り出すしかない。それも大切な学問の一つである。
そんな見る目も養う環境にさえ差が大きく出る半強制労働的社会システムの先にあるのは、一部の者たちだけが得をし、金と権威をばら撒くだけの衰退社会の未来しかない。だけどVR教師が言うには「ハングリー精神がないと人は零落する」と一部の者が言っていた人もいるとか。まさに本当の平等、平和的男女平等社会を謳うのにはあまりにも混迷と矛盾を孕んだ時代だったと窺える。
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