第10話 新大阪

 次の日の朝。慶一郎さんがパン焼き器で焼いた食パンを食べた。ジャムはお母様のセレクトした少しお高めのジャム。

「梛さん、今日は日中でも冷えるからあとでカイロあげるわ」

「ありがとうございます、お気遣い嬉しいです」

 お父様は先に起きて洗濯物を干している。慶一郎さんは朝ご飯の準備をしている。お母様と一緒にトーストをかじり、コーヒーを飲む。なんかまたわたしにとって気まずい雰囲気。ちなみに常田くんはまだ寝ている。

 わたしお昼に帰るっていうのに……まぁ夜中過ぎまでラブラブしちゃったわけだし。


 声とか聞こえてなかったかなぁ……とか思いながらもお母様のは特に何も触れることもなく、マイペースに朝ごはんを食べている。

「梛さん、今やっている仕事はとても誇りに思っている?」

 いきなり何の前触れもなく。

「は、はい……長年続けてきましたし、こちらにきてからでも経験を生かして新しい図書館でも働きていきたいです。定年まで働ける仕事ですし」

「すごいわねぇ、でも働く場所が変わってしまうと不便よね……慣れるまで」

 それは分かってるけども……お母様はとても寛いでいる。お父様や、慶一郎さんは彼女の胸の内はしっているのだろうか。


「浩二から聞いたけど、出世を蹴ってまでついていくって決めたのよね……本当にあなたはそれでいいの?」

「えっ……」

「しかも今は正規なのに非正規になるのよ。それでいいの?」

「は、はい……」

 そう返事するとお母様はお皿とコーヒーカップを持って席を立った。


「そうなのね、まぁせいぜい頑張って……」

 その笑顔は……。家を出ていくってことは、お父様と慶一郎さんだけでなくて常田くんとも離れるってことよね。


 お母様は自分の人生を生きると決めた。……。お母様の笑顔は何かを伝えたかったというのかしら。意味深であった。


「おはよー、ええ匂いしてきたけど兄ちゃんのお手製のパンかぁ」

「おう、遅いぞ。さっさと食べろよ。出来立てが美味しんやで」

「わー、うまそう、うまそう。お、梛おはよ」

 寝癖がひどい髪の毛をボリボリかきながらやってきた常田くん。やっぱり実家はそれなりに寛いでるのかいつも以上にだらけている。

 彼とすれ違いにお母様は自室に入って行った。


 ……常田くんとはしばらくは会えない。5年も一緒に働いて、ほぼ毎日のように仕事で会っていた。

 この半年で濃密な関係となり、ほぼ毎日一緒にいたのが一気になくなってしまうのだ。


 家に戻ったらがら空きの片方の部屋、寂しくなる。でも春になったらわたしも大阪に行くんだから。ってこの語りは何度繰り返しているのだろうか。あと数回繰り返すだろう、帰る前にきっと。


「梛、そのボォッとした顔も見納めやな」

「ボォッとしてないもん……」

「その顔めっちゃ好きや」

 と笑う顔、わたしも好きよ。

「間抜けな顔でな」

「もぉっ!」

「おもろいわー」

 こうやってふざけるのも、しばらくはない。


 昼前に常田家を出る。お母様とお父様とは玄関先でお別れ。

「本当にお世話になった。また連絡します」

「はい……」

 お母様はわたしの手を握ってくれた。そしてカイロも渡してくれた。もう暖かくなっている。


「体は冷やしちゃダメよ。それと無理だけはしないように。ね」

 とても暖かいその手、そして素敵な笑顔。常田くんとは違うけど良い。


 慶一郎さんの車で新大阪の駅まで向かう。ずっと常田くんはわたしの手を握ってた。わたしも握り返す。慶一郎さんいるのに駅に近づくにつれて密着して手以外にも太ももとかも触ってきた。寂しいのね、わたしも寂しいよ。


 駅に着いて慶一郎さんが先に行くからと車を出た。すると常田くんはわたしの方を見てきた。互いにアイコンタクトを取ってキスをした。長く、長く……。

 きっと慶一郎さん、気を使って先に出てくれたのね。

「だめよ、時間来ちゃうよ」

「うん、わかった……」

 最後に軽くキスをした。



 改札前、慶一郎さんがお弁当を買ってきてくれていた。美味しそう。お腹空いてきたわ。


「じゃ、梛さんお気をつけて。また連絡します」

「はい……浩二さんをお願いします」

 下の名前で呼ぶことがないからドキドキする。お願いしますって、言い方もあれだけどさ。託すことができるのは本当の家族だけだ。

 でも慶一郎さんと常田くんは異母兄弟、年もひとまわり離れている。それでも一緒にいられるのは……すごい。


 常田くんはわたしの手を握った。寂しそうな顔をしてたけどニコッと笑いだした。

「梛、僕がんばるで……春、梛と一緒にまた過ごせるのを楽しみにしとる」

「わたしもよ」

 そして最後にハグ。流石にキスはできない。ぎゅーっとこれでもかってから抱きしめた後、わたしから離れた。


「じゃあ、手術頑張ってね」

「おう!」


 わたしは新幹線の中でずっと泣いていた。

 春になったら、春になったら……また一緒になれる。


 と思ってたのに。

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