第10話 わたしの正体
私はなんとか立ち上がり、家に向かう。常田くんにキスをされた頬、正確に言えば私のコンプレックスである頬骨にキスをされたところに手を充てる。
もちろん今触ってもその時の感触は思い出せないけど……。酔っ払ってキスをしたのか、そうしよう。事故だったのよ、事故。
私の心の中をかき回して……明日どんな顔で会えばいいの?
よく考えたら頬にキスなんてされたことがない。するなら唇と唇である。
にしても彼女はいません、チャラい見た目で彼女いないのは恥ずかしいって。30歳でしょ。
チャラいから恋人未満の人とたくさん抱えているのよ。チャラい男はそういうものよ。ってまた偏見。
で、わたしも恋人未満のうちの1人になってしまうところだった。セーフ。
いやまだセーフじゃない。これからどんどん押しに押されてわたしの中に浸食してくるのね、きっと。
嫌だ嫌だ嫌だ。
気づけば着いた。我が家に。アパート三階建の三階角部屋。エレベーターは無くて階段を上る。夜中だからゆっくり歩かないと音が響いてしまう。
……もう、まだ電気ついてる。もう寝てなさいって言ったのに。
わたしは帰る、あの子のいる部屋に。浮かれて妄想してる時間はもう終わり。
鍵でドアを開ける。
「ただいま」
と声をかける。
「おかえりなさい」
「ただいま、ネネ。先に寝てなさいって言ったのに」
「だって……梛がいないと寝られないの」
とわたしに抱きつくのは、同居人のネネだ。あくまでも同居人で恋人ではない。
彼女はアパレル店で働く35歳。わたしと同じ歳。一年前に私の部屋に転がり込んできた。数年前知り合った。わたしが客で、彼女が店員。仲良くなって遊び友達に。
「あまえないで頂戴。明日もお仕事でしょ」
と言っても彼女は首を横に振る。それよりもネネの着ているモコモコのパジャマが可愛い。わたしはそれを触る。
「梛も気になった? 新商品のもこもこパジャマ。梛の分も買ってきたよ」
「ありがとう、シャワー浴びてそれに着替えて寝るわ」
「うん。用意しておく」
わたしは風呂場まで行き、服を脱ぐ。今日に限ってお気に入りのワンピース。タバコとお酒と焼き鳥の煙の匂いついちゃった。
急に誘われると困ったものである。しょうがないけどさ。このワンピもネネのお店の商品。
ワンピを脱ぐと黒色のキャミワンピ。とても可愛くて気分が上がる。もしあの後キスで終わらなかったらこの黒色のキャミワンピ見られたのかな。恥ずかしいよ。
でもこれを脱ぐとわたしの魔法は解ける。
鏡のわたしには胸の膨らみなんてない。冷えとりレギンスを脱いで、キャミワンピのお揃いのショーツを脱ぐとさらに落ち込む。なんでこんなもの付いているのだろうか。
無駄毛は処理しているけど現実が鏡を映し出す。嫌だ。嫌だ。
本当にあの後ラブホテルに行くことにならなくてよかった。わたしの妄想の中ではラブホテルでラブラブできるのに。
浴槽に入るとネネが覗き込む。
「こら、先にベッドに入ってなさい」
「それはできない」
「なんでよ」
「梛、お酒飲んでるし夜遅いしいつもぼーっとしてるからお風呂で暴れたら困るもん」
「そんなことないから。大丈夫」
心配してくれるのは嬉しいけどわたしはお風呂に入ってまったり妄想するのが好き。
また常田くんとの妄想の続きをさせて。……だんまりしてたらネネは出て行った。
ボーッとしてるのはわたしの妄想タイム中のことね。ネネといてもボーッとしてしまう。休みの日は布団の中でボーッとしてしまうし。それが私の至福の時。邪魔しないで。
さて、常田くんとのことを妄想しよう。もしあの後ラブホに行くことになったら……ホテルの部屋に入ってすぐキスをして。
きっと恥ずかしがりながらキスをしそう。今度こそ唇。彼は私の正体を知っているのにそれを承知でキスをしたのだ。この体を受け入れてくれる、ということなのね。
お風呂は別々で入って……私はガウンの下にあのキャミワンピと下着を着用して出てくる。
ガウンを脱いで、と言われてもあのキャミワンピ姿を見せればいい。キャミワンピが私の正体を隠してくれる。
ベッドの上で抱き合って、キスをして、部屋を真っ暗にして、布団の中で……。
ダメダメ、いくら暗くしても布団のなかにいても私は隠せないだろう。キスだけで時間はもつのか?
「やっぱり梛が心配だからきた。もうかなり時間経ってますけど」
「ああ、ごめん。もう出るよ」
「心配してたんだから、はい……タオル。で、パジャマ。色違いだよ」
ネネは淡いイエロー。私は淡いピンク。腕を通すとテンション上がってきた。もこもこに可愛いピンク。
「似合うー!」
「可愛い、気持ちいいし。ありがとう、ネネ」
「どういたしまして。梛は可愛いもん」
と私を撫でてくれた。私を女の子として大切にしてくれる人。
「ありがとう」
さて、もう寝るとしよう……彼女のリクエストで横で添い寝する。でもそれ以上のことはしない。したことない。
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