シノノメナギの妄想

第1話 門の横に立つ男

 開館10分前にわたしが今日やる作業は図書館の門前にある返却ポストまで行き、本を回収すること。8階建ての施設で一階は喫茶店や市のイベントフロア、地下には駐車場がある。そしてその施設の前の大きな門。昔ながらの古い門である。門の前に返却ポストがある。台車を使って取りに行く。前日は休館日だったから本がたくさんあるのだろうと思うと憂鬱である。


 そしてまたいた。あの男である。


「おはようございます」

「おはようございます」

 門前に立つ、通称・門男。ただしわたしの中だけの通称だ。


 大きな門と同じくらいの高さの初老の白髪男性。平日の朝早く、ここ2、3年はほぼ毎日来ている。

 それまでは土日にしか見たことがなかった。つまりこの男は2、3年前にきっと定年退職したであろう男だ。


 朝一番、9時開館に彼が来てやることは図書館に常設されている新聞を読むことだ。

 家では新聞を取らないだろうか。私も新聞は取ってない。実家でさえも新聞は処分が面倒、老眼で見えづらいとのことでとるのをやめたらしい。


 この門男以外でも新聞を読みに来る利用者さんは多い。男の人が比率的には高い。


 そして彼はわたしの見た限り、新聞を読み終えたら本を見ずに下に降りて一階の喫茶店でモーニングを頼んでコーヒーを嗜んでいる。


 ボーッとどこか眺めながら。


 業務の傍ら一度彼の後を追っただけだから分からないけど朝からそんなにのんびりできるものかと。羨ましい。 


 残念ながら指輪をしている時点で既婚者とわかっていたが、彼に挨拶ということで毎朝声をかけて

「おはようございます」

 と発する低い声が返ってくるのが私の楽しみなのだ。

 門ほどの大柄な男、白髪、眼鏡、昔は絶対イケメンでモテたであろう顔立ち、ファッションセンス、全てがパーフェクトなのだ。


 こんな彼を朝から野放ししている奥様はいったいどんな人なのか。彼と同じ歳なのか、まだ若いから働いているのか。


 利用者さんの個人情報は調べられないことではないが、安易には調べてはならない。ただでさえ予約された本や延滞した本の情報を家族にでさえも伝えてはいけないのだ。


 それ以前に門男は新聞だけの利用だから名前はわからない。


 にしてもあの身長、190近くあるだろう。170もないわたしは常に上を向く。首は痛くならないか?

 歩くときは凸凹カップルだなんて言われそうだし、そもそも年齢も全く違う。歳の差カップルどころか親子でないか?


 そして付き合ったとして、キスをするときは……大変だろう。ましてやセックスのときは……。ってしたことないからわからなーい!


 でも自分より背の高い人と付き合うなんて……大きな腕で包まれて。

 自分よりも年上の人、たくさん甘えて、たくさん頼りたい。

 既婚者。奥さんを気にしながらも2人甘い密会。だめだ、そんなこと……。


「あなたー」

「おう」

 門男のところに小柄の女性が駆けてきた。近くに住んでいるのであろう。スリッパである。見た感じ50前後。そしてわたしよりも背が低い。


「あなた、老眼鏡忘れている」

「ああ、助かった」

「今日は希美が帰ってくるから。莉乃ちゃんつれて」

「おう、そうだったか」

 門男が少し声のトーンが上がった。


 希美、莉乃……。


 娘と孫の名前?


 そうか、彼はおじいちゃんか……。そして小柄な可愛らしい奥さん。


「おはようございます」

 奥さんから声をかけられる。

「あ、おはようございます……」

 別に門男とは付き合ってないけど、奥さんに声をかけられて何動揺しているのよ。わたし。


「今日は喫茶店でボーッとせずにまっすぐ帰ってきてよ」

「はい、わかりましたっ」

「わたしは準備しなきゃ、忙しい……」


 わたしは見てしまった。門男が目尻にたくさんのシワができているのを。


「あのさ」

「は、はいっ」

 初めて声をかけられた、あっちから。


「ちょっとさ、絵本を選びたいのだが……」

 少し照れ臭そう。


「はい、カウンターにあとで来てください」

「わかった」

「新聞読まれてからでも良いので」

 すると門男はハッとする。


 彼はわたしに新聞を読むだけで図書館に来ている男、と思われているのだろうって思ったかもしれない。


 絵本、何を選ぼうかな。好きな人の大切な人へのための絵本。

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