第2話 私
私が最寄りの駅までたどり着いたのは今日も終電ギリギリだった。
学校まで電車で1時間、駅から歩いて30分が私の通学路。
デザインの勉強をしているので課題や提出物が多く、提出締め切り前になると遅くまで学校に残り課題をするので終電間近の帰りになることが多い。
入学してすぐに学校の近くで一人暮らしをしたいと両親に言ったがどうしても首を縦に振らなかったので私はこうやって自宅から通学している。
先週、20
電話しても迎えに来てくれるわけではないが、電話の向こうでいつも私を案じてくれる母の声を聞くと心強く思う。
大丈夫、今日もいつもの道を通って帰れば母が笑顔で玄関を開けてくれる。
自分に言い聞かせて私は今日も家路を急ぐ。
いつもならなるべく急ぎ足で帰るのだが今宵は満月、月見でもしながら帰るとするか。
母に今から駅を出ると連絡して改札口を抜けると眩いほどの月明かりが背後から私の行く先を明るく照らし、進むべき道を指し示していた。
しかし…
私は、母が電話で言ったことが引っかかっていた。
「明るい月夜は闇もまた深いの。だから、今晩だけは何があっても振り向かず、帰ってきなさい。」
たしかに最近、不審者が出るという話を耳にした。
しかし、母の言葉にはそれ以外の含みがあるようで心に引っかかったのだが、それ以上は母も言わなかったので私も深く追及することをせず電話を切った。
駅前の大通りを渡り、商店街の中をぶらぶらと歩く。
昼間の賑わいとは違い、さすがにこの時間になるとほとんどの商店はシャッターを下ろし静謐な時を迎えている。
課題のないときは夕刻の喧騒の中を通り抜けるので最近の静かな商店街を通るのは不思議な気持ちであった。
夕刻のタイムサービスの呼び声、お惣菜屋さんから漂ってくる香ばしい香り。
小さな頃は母の買物について行きお惣菜屋さんでコロッケを買ってもらうのが楽しみだったなぁ…。
学校へ行きだしてから母と買い物へ来る時間もない。
先日、久しぶりに早く帰られたときはそこの本屋に寄ってファッション誌を買った。
帰る時間も惜しくて帰り道の公園で雑誌を開いたっけ。
点滅信号のついた小さな十字路を右に曲がるとき、少しくたびれた小さな花束とペットボトルの飲料が目に入った。
たしか、警察官から職質を受けそうになり気が動転した高校生が車にはねられたんだっけ。
かわいそう…でもこういうところで同情するとついてくるっていつかテレビで言ってたっけ。
私はなるべく考えないようにして横を通り抜けた。
住宅街の小さな路地を抜けブランコがひとつだけの公園へ立ち寄る。
最近、私が学校から帰る時間はこどもの帰ったあと。
私はブランコに腰掛け足をぶらぶらさせながら買ったばかりの本を読んだり、おやつを食べて公園をひとりじめする。
卒業を控え、卒業制作の完成を目標に毎日終電ギリギリまで学校に残って頑張っている。
そのまま帰宅し、張り詰めた気持ちのまま日々の生活時間に追われるのが嫌なので公園に寄り道して気持ちをリセットしてから帰宅している。
今日もすっかり遅くなってしまったが、いつも通り公園でブランコに腰掛ける。
夜も更け、ブランコの手すりがひんやりとして掌が心地いい。
月明かりを背に私は自分の影を大きく揺らしながらブランコに乗り、冬の入り口に立った晩秋の夜を満喫していた。
明るい月夜は闇もまた深い。
ふと、母から電話で言われた言葉が頭をよぎる。
ブランコをぼんやり揺らしていると人の気配もないのに突然、背後から視線を強く感じた。
気のせいだと思いたいが、否が応でも先ほど点滅信号のところで見かけた花束とペットボトルが頭をよぎる。
後ろの大きな木の下にある深い闇の中に何かいる…。
私はブランコを揺らしながら闇の中の存在に
ずずっ…ずるっ…ずるずるっ…。
重いものが這ってくるような音に思わず息を呑む。
どうする…。
このまま走り出して逃げおおせるだろうか。
それとも大きな声で助けを呼んだほうがいいのか?
そう
振り向いてはいけない…頭ではわかってても好奇心という本能に抗えず、私は木陰の作りだした深い闇の中の気配にゆっくりと振り向く。
しかし闇に目を向ける前、雲一つない空に浮かぶ満月に私は目を奪われた。
今まで早鐘のように鳴っていた心臓が水を打ったように落ち着きを取り戻す。
「月が綺麗…。」
私は思わず呟く。
いつもより大きく空に映る満月を見ながら、私は体の中から湧き上がる衝動に戸惑った。
しかし、私はそのときを迎えることがわかっていたかのように自然と奥歯を噛みしめその衝動を静かに体の中で昇華させた。
体内に流れるすべての血が逆流し毛穴が総毛立つような感覚。
お気に入りの服は破れてしまったが、骨を軋ませ筋肉が盛り上がるさまは人ならざるものへと変わる喜びすら感じられる。
薄墨色の毛並みや大地を捉えるように伸びた爪の先は月明かりの下で輝き、また噛みしめていた奥歯を押し上げるように鋭く伸びた犬歯で大きく開いた口はきっとこの上ない笑みを浮かべているように見えるだろう。
実際、私は浮かれていた。
私は変身する恐怖よりもなぜか、変身後の私の可能性に浮足立っていた。
完全な変身を遂げた私はまるで魔法少女にでもなった気分でぐっと体に力を込めて地面を蹴る。
ブランコの支柱を軽く超える高さまでしなやかに跳び、木陰の作った深い闇の中へ狙いを定めダイブすると人間だったものを前脚で捉えた。
顔半分が崩れ、首と手足がバラバラの方向を向いた少年は点滅信号ではねられた高校生か。
私は彼をまじまじと見つめる。
きっと彼は人生半ばでこの世を去り、思い残すことがあったのだろう。
しかし、いつまでもここに未練を残すのもよくない。
私はそれが当たり前のことのようにぐっと前脚に力を込め彼を踏みぬいた。
「綺麗だ…。」
彼は消滅する寸前、崩れた顔を私に向けると小さく笑って消えた。
なぜ彼が私に賛辞の言葉を残し、笑いながら消えたのかわからない。
ただ、私の行いが彼を救う手助けになっていればいいが…。
「見つけた。」
私が彼の消えた地面をしばらく見つめていると背後から声が聞こえ、振り向くとそこに母が立っていた。
お母さん…。
私はそう言ったつもりだが口から出たのは低い唸り声だった。
狼の姿になった私を母はそっと抱きしめた。
母は自分がかつて
しかし、私は狼のまま沢山の情報を処理できずに戸惑っていた。
戸惑う私を見て母はただ、あなたは好きに生きればいい、ただし満月の夜には浮かれすぎないようにといつもの笑顔で私の長い鼻先を撫でてくれた。
「…いろいろ訊きたいこともあるだろうけど、話の続きは家でするわ。さ、帰って夕飯にしましょう。」
私の荷物を持ち先を行く母の後を四つ足で追う私を月の光が優しく照らしていた。
みおくりおおかみ 真田真実 @ms1055
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