みおくりおおかみ

真田真実

第1話 僕

その日、僕は最寄りの駅に着くとまっすぐ商店街の本屋へと急いだ。

今日は大好きな漫画家の原画集の発売日。

うっかり、ネットで頼むのを忘れ、気づいた時には発売日以降の配送日になっていた。

どうしても今日見たくて、僕は学校の帰りにいつも寄る自宅近くの小さな本屋に可能性をかけた。

駅を出て信号を待つのももどかしく、大通りを渡って僕は本屋へと急ぐ。

少し立て付けの悪いガラス戸を開け、狭い通路の先にある漫画コーナーへ行くとそこにお目当ての原画集はひっそりと置かれてあった。

ビニールで丁寧に包まれた原画集を手に僕は支払いへと向かう。

お尻のポケットにある財布を確認していつも無愛想な店主に原画集を差し出すと店主がレジスターを操作し、値段を言う。

高校生の僕には少し高価なものだが、この日のために無駄遣いをやめコツコツと目標に向かって満額を貯めておいた。

僕がトレーの上にお札を乗せると無愛想な店主は初めて相好を崩しトレーのお札を丁寧に数えレジスターへとしまう。

そして、勿体つけるようにレジスターからお釣りの小銭をつまみ上げるとトレーに乗せ、ゆっくりと紙袋へ原画集を入れてカウンターの上に置いた。

今すぐにでもその紙袋から原画集を取り出しビニールを破って眺めたい衝動を抑え、僕は紙袋を小脇に抱えお釣りの小銭をトレーから取り出そうとした。

ところが、小脇に紙袋を抱えていたからか手元が狂い小銭を床にばら撒いてしまった。

無情にも小銭はころころと僕の足元をすり抜け後ろへと転がり出す。

いつもは閑散としているのにこんな時に限って僕の後には支払い待ちの列ができていた。

僕は恥ずかしさのあまり俯いたまま振り返ると後ろへ転がっていく小銭の後を追う。

すると、すぐ後ろのロングスカートが翻り、一緒になって転がる小銭を拾い集めてくれた。

「はい、どうぞ。」

その声に顔を上げると僕より少し年上の女性が落とした小銭を差し出していた。

僅かに触れた手は柔らかく、向けられた笑顔はありきたりの言葉でしか例えられないがまるで地上に舞い降りた天使のようであった。

僕は少し彼女に見惚れてしまったことに気づき、慌てて頭を少しだけ下げて謝意を伝えると本屋から逃げ出すように出た。

家への帰り道、僕は彼女のことを想いだす。

青みがかった長い黒髪に色白の肌、少し色の薄い瞳に映った僕を彼女はどう思っただろうか…。

僕は帰宅しても彼女のことが気になり、買ってきた原画集を机の上に置いたままベッドに転がり天井を眺めていた。


その日、僕は彼女に恋をした。


僕は次の日から学校の帰りに本屋へ行き彼女がやってくるのを待った。

何度か見かけたが、声をかける勇気もなく、ただいたずらにそのルーティンを繰り返した。

1度、思い切って同じ電車に乗って隣の吊革にぶら下がって偶然を装ってみようとしたが、その日、彼女は地元の友だちと偶然乗り合わせており、入り込む余地がなかった。

それから何度も勇気を出して声をかけようとしたが、本屋でただ一度お釣りの小銭を拾ってもらっただけの彼女に気安く声かけなどできるはずもなかった。

僕は毎日彼女の姿を遠くから見つめることしかできなかったが、彼女を諦めることもできなかった。

それほど僕にとって彼女は魅力的であった。


そんな意気地のない毎日を繰り返していたが、僕はやはり彼女を諦めきれず、思い切って彼女の後をついていくことにした。

幸い、夕刻の商店街は人も多くざわついているので彼女の後を気づかれずについていくのは容易であった。

彼女は商店街を抜け子供がたくさん遊ぶ大きな児童公園の横を通り抜けて住宅地の中にある点滅信号を左に曲がる。

そこからさらに進むと背の高い木が1本とブランコがひとつだけある小さな公園に立ち寄り、彼女はブランコに乗りぶらぶらと足を揺らして買ったばかりの本を読んだり、お菓子を食べたりして小休止を取り家路を急ぐ。

僕は彼女の一部始終を写真や動画でスマホに収め自宅へ帰ると、彼女の通学路での行動すべてをゆっくりと反芻した。

僕はそれだけで幸せだと思っていた。

しかし、スマホの中の彼女が増えるたび僕の中では抑えきれない欲が頭をもたげてきた。

彼女を独り占めしたい。

僕はとうとう彼女に気持ちを伝えることにした。

彼女はあのときと変わらぬ笑顔で僕の気持ちを受け止めてくれると僕は信じて疑わなかった。


その日、僕はいつものように駅前から学校帰りの彼女の後をついていった。

彼女…りょうさんはデザイン系の専門学校に通っている。

時折、課題の提出前は駅に到着する時間が遅いときもあるが、だいたいは夕刻の同じ時間の電車で帰ってくる。

彼女が電車の中で彼女の友人と話していたことをまとめると、彼女は1人暮らしをしたいが親が厳しく、門限もあるが彼女はなんとか門限と学業を両立している。

僕と付き合うようになってもデートする時間なんてあるのだろうかと彼女の後姿を眺めながら僕はひとり小さく笑う。

駅前の大きな道を渡り、夕刻のざわついた商店街を抜ける。

今日は駅前のコンビニにも運命の出会いをしたあの本屋にも寄らずまっすぐ進んでいく。

公園で食べるおやつはもう買ったのだろうか、読みかけの本を読むのだろうかと僕の心配をよそに彼女は子供で賑わう大きな公園の横を通り、点滅信号を左に曲がる。

いつもはここから離れて公園でひと休みする彼女を見守るのだが、今日は勝手が違った。


「お巡りさん、この人!」

以前、ここで彼女を見守っているときに揉めた老人が僕を見かけて声を上げるとその後ろから制服の警察官が出てきた。

「きみ、ちょっといいかな?」

僕は少し後退りすると踵を返し走り出す。

後ろから僕を追う警察官の声が聞こえてくる。

逃げるようなことは何ひとつしてないが、ここで騒ぎになると彼女に見つかってしまう。

騒ぎが大きくなると彼女を家まで見送る日課ができなくなるかもしれない…。

しかし、それ以上に僕の彼女への想いを誰かに邪魔されるのが嫌だった。

後ろを振り返りつつ点滅信号を右に曲がったときだった。

突然、目の前に猛スピードのワンボックスカーが現れた。

声をあげる間もなく、僕は空高くはね上げられた。



気づくと僕は点滅信号のところに立っていた。

足元には小さな花束とペットボトルの飲料。

両手を見ると地面のアスファルトが透けて見える。

僕はあのとき死んだのか…。

こんな形で死ぬのなら彼女に想いを伝えておけばよかった。

たが、肉体というかせから解放されたいま、僕が彼女の側にいても気づかれることはない。

僕はそれからも彼女を見送るため点滅信号のところで彼女を待つことにした。


日付の感覚がわからなくなってきたが、僕は死んでからもずっとこの点滅信号のところで毎日彼女を見送り続けている。

しかし、僕に気づくのは散歩中の勘のいい犬ぐらいで、肝心の彼女は僕に気づくことなく目の前を通り過ぎていく。

僕は彼女を見送り続けるだけでいいと思っていたが最近、彼女の帰りが遅いことに苛立っていた。

彼氏とかできたんじゃないかと思うといてもたってもいられなかった。

僕は明日、彼女が前を通ったら公園までついていくことにした。

公園の木の下には闇が溜まる。

その闇に紛れて彼女へと近づけばやすやすと彼女を手にすることができるだろう。

少し、見た目は悪いが優しい彼女なら笑って受け止めてくれるはず。

彼女の綺麗な瞳に僕が映る様を想像し、彼女と一緒なら地獄へ行くのも悪くないと僕は少し口角を上げた。

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