第2話 諸行無常の家庭事情

「すごい!お姉ちゃんクッキー作れるの!?」


弟の遥が、キラキラと尊敬のまなざしを向けてくる。


私は本とにらめっこしながら


「うん、この間、家庭科で作ったんだ。出来立てがすごく美味しかったから、ハルくんにも食べさせたかったの、だから頑張って作るから、遊びながら待っててね。」


そういうと、イエーーーー!!と言って、遥はリビングをバタバタと走り回った。


「えっと、小麦粉100グラム・・・」


私は、材料を測りながら、チラチラと遥の様子を観察する。


 母がいない今、遥が危険な目に合わないよう、私がしっかり見ていなければならない。何しろ弟は、まだ小さいのだから。


 だけど、それが思わぬミスを招いた。




焦こがすこともなく綺麗に焼き上がったクッキーは、バターのとても良い香りがした。


「いただきまーす!」


遥は可愛い顔の上に、更に可愛い笑顔をのせて、その表情だけで頑張った甲斐があったというものだ。


遥は勢いよく1個目を食べた。


「美味しい?」


恐る恐る聞くと


「・・・・・・おいしい!!」


そう言って、2個3個とパクついた。・・・しかし様子が変である。


何だか、だんだん顔色が悪くなっているような・・・。私は、不意に心配になり、クッキーに手を伸ばした。すると突然。




「!!だめ」




そう言い、遥がそれを阻はばんだ。


「~~~こ、これは全部僕のだよ!お姉ちゃんはダメ!!」


「・・・・・・。」


遥は、いつもは、こんなに幼いながらも、独り占めをするような子では決してない。


 むしろいつもなら、自分のおやつを何ならくれる時だってある位、優しい子だ。それなのに・・・・・・私はますますおかしいと思い、遥の隙をついて、クッキーを一個取ると、自分の口に放った。


「ああーーーーーーーーー!!」


「!!」


口に入れると、甘いと想像してたのとは違う、しょっぱすぎて、辛くて喉が焼けるような味。


「!!ハル君、これ、お砂糖とお塩間違えてる。これ以上食べちゃダメだよ!病気になっちゃう!」


私はそう言って、お皿を掴み、捨てようとすると、反対側を遥がガシりと掴んだ。


「大丈夫!ぼく、甘いお菓子だけじゃなくて、しょっぱいお菓子も好きだから!」


「しょっぱいにしても限度があるよ!!」


そう言い、押し合いへし合いになったが。


そこは年長者で、体も成長している私の方が力も強く。何とか皿を奪い取り、残りの塩クッキーは捨てることが出来た。


 だけど、それでも何個か食べてしまった遥を私は心配した。・・・案の定、遥はお腹を壊し、寝込んでしまった。


 私は、遥の枕元に行き、看病しながら


「・・・ごめんね。ハル君・・・あんなものを食べさせたりして・・・。」


私は、目に熱い水たまりの予感がした。申し訳なくて、いたたまれなくて・・・。しかし、その感情で高ぶり、熱を帯びた私の手の上に、そっと優しい温もりが重なった。それは、遥のちいさな手だった。


「お姉ちゃん、ぼくね、クッキーね、しょっぱい以外は、本当においしかったんだよ?だから、ぜったいにまた作ってね?ぜったいにだよ?」


そう言い、具合が悪いながらも弱弱しく笑って見せた。


神様・・・この子はやっぱり、間違って地上に降りてしまった、天使なのだと思います。でなければ、こんなに優しい説明がつかないもの・・・。


 わたしは、今度は絶対に味見をしようと誓い。


 それから、クッキー含め、私はお菓子作りで失敗しなくなった。




 そして、現在、


 目の前にいるのが、かつてのその大正義にして、大天使だったリュシフェル様です(完)




 ・・・かつての笑顔はどこへ行ってしまったのやら、眉間には常に不機嫌そうに皺が刻まれ、その瞳は、眼光鋭く、常に周りに威嚇いかくの視線を向ける。


 今日は、格式高いレストランに来ているので、形こそ礼服を着て、髪もワックスで撫でつけているが、雰囲気は明らかに、他のお客さんと違うせいか、ボーイさんも若干じゃっかんビビってる。・・・ですよねー?


 ・・・けれど180cmをゆうに超える高身長。並外れて優れた容貌は、誰よりも礼服が様になっているから、これまた皮肉である。


 これで柔和な雰囲気だったなら。間違いなく芸能人だと思われた事だろう。




「珍しいこともあるわよね?遥がついて来るだなんて、だから今日は雨振ったのかしら?」


遥の生母である。母がそう言った。


 母は、遥を生んだだけあって、御年、ン十ン歳とは思えない細腰の華麗な美女だ。この人が母親になった時、私は素直に嬉しかった。


 幼くして、実母を亡くしていた私は、母親との思い出があんまり無い。だからそれも、すんなり継母ままははを受け入れられた要因だと思う。私は、父が再婚するまでは、ほとんど祖母によって育てられてきた。


 祖母は好きだったが、皆が若い母親と一緒にいる中、祖母と一緒にいるのが後ろめたく感じる時が、私は度々たびたびあったから・・・。


 私は参観日に、母が来てくれたことが嬉しかったことを、いまだに鮮明に覚えている。


「でも、雨が降っても、遥が一緒に来てくれて私はやっぱり嬉しいな・・・。こんな風に記念日に全員揃って・・・。」


本当は、普段からも全員揃っていたなら、もっと最高だけどね。


「ほら、二人とも、家族10年目のお祝いのプレゼントだ。受け取ってくれ!」


そう言われ、父が大きめの箱を二つ取り出した。私は何だろう?と受け取り、父を見ると、父が頷いて開けるよう視線で私達を促した。遥は包装紙に触れもしなかったが、私は早速リボンを解ほどき、包装紙を破かないようにテープを外した。箱を見て、私は息を飲んだ。


「!!一眼レフカメラ、しかも上位機種の・・・!」


しずかずっと欲しがってただろう?だから、今回奮発したよ。勉強も家事も頑張っているしね。」


私は、喜びで手が震えた。箱のテープを外しを段ボール紙状の蓋を開け、そっと中身を取り出してみる。ずしりとする独特の重み。その重みに感動がお腹の方から湧いてくるのを感じた。


「お父さん、お母さんありがとう・・・!大切に、・・・ううん、一生の宝物にする!!」


「喜んでもらって嬉しいわ。」


「・・・遥は、開けなくていいのか?」


遥は、箱を一瞥いちべつして


「・・・大きさ的にPS5かその辺りだろ?」


と、つまらなそうに返した。


「・・・相変わらず鋭いな。それでも、遥の品とは値段に差があり過ぎるから、ギフトカードも入っているよ?後で見てみなさい。」


「・・・・・・。」


しかし、遥の態度に変化はなかった。


 運ばれた料理は、コース料理で、久々に歓談しながら食事が進む。どれも何だか夢の様に美味しい。


ああ、何て幸せなんだろう!私は、終始、馬鹿みたいに笑っていた。


 そして、食事も中盤に差し掛かり、メインディッシュを待つ合間。父はナフキンで口を拭うと、母に何事か目で合図を送った。母もその視線に深く頷いて見せる。


 何?今度はどんなサプライズを仕掛けるつもりなの??私は思わず胸をワクワクとさせた。


 その様子が馬鹿みたいだからなのか、


遥はそんな私を見て、眉間の皺を深めた。


「では、そろそろ、いい頃合いかな?・・・・・・私たちはここまで10年家族として歩んできた。」


うんうん、色々あったけど、思い出もいっぱいの10年だったね!


「これを節目に宣言しようと思う。」


なに、 ナニ、 何!?


「遥はるかか閑しずかの学校の卒業を期きに、私達は離婚しようと思う。」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・な・・・に・・・?


指先が、急に固く、冷たくなるのを感じた。


「私たち夫婦は、長年寄り添うため努力をしてきたが・・・もうそれに、そろそろ限界を感じている。


私たちはあまりに、すれ違いの期間が長すぎたんだ。


 ・・・けれど、親として、それでお前たちの勉学や進路に、支障をきたすわけにはいかない。だから、


どちらかが卒業と進路が決まり、落ち着いた頃に、私達は改めて離れようと思う。」


世界が足元から崩れていく感覚って、こういう事を言うのかもしれない。


私は、そのまま崩れて、


建物の下に、落ちてしまうのではないかと錯覚した。


「お前たちも、もう大人と言えるくらいしっかりしてきたし、この機会に言うのが良いだろうと思い。今日話をさせてもらった。」


・・・何を勝手な・・・。私は、わなわなと震える手を膝の上に置き、


今日のために着た、よそ行きの服のスカートを、引きちぎりそうなくらい、ぎゅううっと握った。


 スカートの布越しに、自分の手の爪が、跡になるくらい手のひらに食い込み、刺さる。




 夢の様に美味しかった食事は、肝心のメインディッシュは、


砂でも噛んでいるように、味がまるで感じず、私は2・3口、口に運んだら、それでもうフォークを皿の横に置いてしまった。




 こんなに何を食べているのか分からない食事は初めてだった。




 なんだか急に、昔、自分が作った、失敗して塩辛くて、喉の焼けるようなクッキーが、


どうしてか今、無性に食べてみたくなった・・・。




 それから、後はどんな話をして、どんな風に食事を終え、どうやって家に帰ってきたのか・・・いつの間にか私は家路に着き、自分のベッドにゴロンと仰向けになって横になっていた。


 気付いたら、私の頬はすでに、じっとりと濡れているようだった。


 まるで、甘美な罠に見事に嵌はまり、奈落の底に突き落とされたみたい・・・。私は、眼鏡を取って目を拭うと、下のお風呂場に向かった。


 洗面所で飛沫しぶきが盛大に鏡を濡らすのも気にせず、バシャバシャと乱暴に顔を洗った。何度も、何度も、何度も・・・。


 タオルで皮膚がめくれるほどタオルをごしごしとすり付けると、


眼鏡をかけようと手を伸ばした。


「・・・・・・。」


ない、ない・・・また無い!どうして無いのよ!?さっきそこに置いたでしょうが!!




「2度もおんなじ目に合うなんて、・・・どんだけ間抜けなんだ?」


「!・・・遥、いつの間にそこに・・・。」


「あんた・・ほんとに頭良いんだよね?確か?」


そう言って、遥は私の手に眼鏡を置いた。


 眼鏡をかけてそちらを見ると、遥はネクタイを外し、少し前を開けたワイシャツと礼服のズボンを履いている。


 どうやら、まだ着替えていないようだ。


「・・・風呂入るから、出てってくれる?」


そう言い、遥は私を追い出しにかかった。


「うん・・・ううん・・・その前に・・・遥に聞きたいことがあるの!」


「・・・何?」


遥は至極面倒しごくめんどうくさそうに答えた。


「は、遥は良いの?お父さんとお母さんが離婚しても・・・?」


それに遥はつまらなそうに


「別にいいんじゃない?迷惑かけなければ、勝手にすれば?」


私は、最近、全然遥と喧嘩しなくなっていた。普通に負けるのは目に見えているし、遥の言い分は、なんだかんだ筋が通っていることが多いからだ。


 しかし、今の私は、胸の内側から湧き上がる感情を、どうにも抑えきれなくなってきていた。


「何それ!!遥・・・わかってるの!?お父さんたちが離婚したら・・・・私達も・・・姉弟じゃなくなっちゃうんだよ!?」


私は、自分の喉が震えるのが分かった。その震えに合わせて声も震えて、我ながらどうしようもなくダサくて格好悪い。けれど、私の思いのたけに対する、遥の答えは絶望的なものだった。


「・・・くだらねえな?」


顔に冷水をバシャりとひっかけられたような心地がする。


「というか、本当に気付いて無いの?親父もお袋も不倫していて、お互いに恋人がいるんだぜ?」


「え・・・・・・!?」


更なる衝撃が私を襲う。


「・・・だから、それが原因で俺が、こうなったんだと思ってるから、あの人たちも俺に強く出れなくて、好きにさせてるんだぞ?」


「・・・・・・。」


全然知らなかった・・・いつも遅いのは、お仕事が大変だからなんだと、信じて疑ってこなかった・・・。


「それに、俺もあんたの事、今は特別、姉だと思ってないし・・・。」


そう言いながら、いつまでも出て行かない私にしびれを切らし、着替えだした遥の上半身は、既すでに裸になっていた。


「そんな・・・どうしてなの・・・?遥は、やっぱり、もう私が嫌い・・・?」




「お姉ちゃん、大好き!!僕、お姉ちゃんとずっとずっと一緒にいるんだ!」


・・・あんな風に言ってくれた、私の大切な天使は、


やっぱりもうどこにもいないの・・・?




私は、いよいよ目に熱いものが溢れてくるのを感じた。


だが遥は、私のそんな顔をその長い指で、乱暴に掴むと、


「!!?」


私の唇を自らの唇で、黙らせてしまった。




 諸行無常の響きあり・・・


本当に・・・昔の人の言う通りだ。この世には、変わらないものなんて、無いのかもしれない。

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