第三章 5

――Buckingham Parace(バッキンガム宮殿)



「軍の独走、ここに極まれり」

 帝國議会議員保守党党首にして女王陛下政府首相であるディズレリは、女王を前にして浪々と語っていた。

「その結果が、このような惨事を招いたことは明白でございます」

 ディズレリが語っているのは、イーストエンドの壊滅的な被害のことだ。議会や政府の承認を待たずに軍が動いた結果、叛乱分子の殲滅というにはあまりに無差別な破壊が行われた。

 軍はその理由をあくまで追い詰められた叛乱分子による奇械MAG暴走が招いたものだと説明しているが、それが事実だとしても、叛乱分子の自決的な行為を食い止められなかったこと、軍が強行した殲滅戦が叛乱分子に自決を選択させたのではないか、として、各界からの批判が殺到している。

「また、我らが盟友たるルーファス・ブラッドフォード卿もまた、此度の一件で多大なる被害を受けました。事態を平常化するには、卿への支援が欠かせません」

 ルーファスは以前からディズレリとのつながりが強かった。親ルーファス派の筆頭と言ってよい。また、彼らはともに、いわゆる成り上がりであって、また実力がありながら人種の壁があちこちに立ちはだかっている点でも共通していた。

 しかしディズレリはこうして女王陛下のお気に入りとして王宮に招かれ、意見を述べることができるまでに政界ではのし上がった。

 彼に必要なのは後援者。特に実業界での力を欲していた。これからは古めかしい仕来たりが支配する上流階級アッパークラスの老人たちよりも、実力で富と名声をつかめる人間の時代が来る。そしてその人材の筆頭こそがルーファス・ブラッドフォードであると、ディズレリは確信していた。両者はともに、ルーファスの帝國政界進出の機会を狙っていた。

 そしてその機会は扇情的センセーショナルでなくてはならない。

「英断を、女王陛下ユア マジェスティ

 と言って、ディズレリは少々大げさに首を振ると、

「もとい、女帝陛下ユア インペリアル マジェスティ。僭越ながら、そう呼ばせていただきましょう」

 ディズレリは、このしばしば政治の世界を嫌って王家の内にこもりがちな女王に、帝國の頂点としての誇りと自信をどうにか付けさせようと、日々配慮していた。

 インディアを正式に帝國の属領とし、女王に大英帝國属領インディア帝國皇帝の座に就くことを進言するなど、その最たるものだ。


 一方、当の女王本人はディズレリの言に

「そうですね」

 と、意を酌む姿勢を示すも、決断を言葉にするのは憚られ、薄く溜息を吐くのがやっとだった。

 恐らくディズレリは間違っていない。

 軍も、その背後の諸勢力も、自身の保守に焦り、このディズレリをはじめとする対抗者たちに勝算を与えたのだろう。そのことも、女王としては好ましい結果ではある。

 しかし、女王には、まだディズレリにも告げたことのない弱みを抱えていたのだ。

「どうされました。何か、懸念がありましたらご相談いただければ」

 ディズレリはいつも会話の機敏に富み、こちらの思いを先回りして言葉にしてくれる。ディズレリの才だった。その才が、伝統と格式ばかりを重んじる旧来の王宮文化に新しい風を吹き込んでくれる。女王がディズレリを好む所以である。

 だが、そのディズレリでも、ルーファスという男でも、結局は飲まれてしまうのではないか。

 奇械MAGによって世界の最先端を行く帝國でありながら、いまだ旧来の風潮という見えざる力の支配は、それほどに根強い。

 だが、今なら。そんな思いも女王にはあった。

 今、革新の風は強く吹いている。ディズレリを通じずとも、宮殿の中にいても、それを感じられるほどに。

「ディズレリ」

「はっ。陛下」

「フラタニティ、というものを耳にしたことはあって……」

 瞬間、ディズレリが強く笑みを浮かべた。

「陛下。ついに帝國主義に真の力を与える決断をなさいますか!」

 その力強い言葉は、女王の暗い胸の内に暖かな光が差し込むように響いた。

「私とブラッドフォード卿には、その準備が整っております」



――Trafalgar Square(トラファルガー広場)



 ディズレリの首相演説が続く中、彼の口から軍によって捕縛されていたルーファスの救出の報が語られた。

 観衆が湧きたつ。

 ディズレリは演説台に、裏で控えていたルーファスを招く。

 ルーファスはそこで高らかにテラ=スペラの存在と、奇械MAG文明の新時代の到来を高らかに宣言した。

 軍の失態、政府の後ろ盾、そしてテラ=スペラの完成をもって、ルーファスは打倒フラタニティの姿勢を公に示したのである。


――Crystal Palace(水晶宮)



 ルーファスは一人、水晶宮にあるM&Iの特別展示場に入る。

 隠し扉を開き、昇降機を降りると、そこには地上の総面積を上回るほどの空間が広がり、そこを奇械MAGが占拠している。

 テラ=スペラの制御装置だ。

 ルーファスは脳波伝達具を装着し、専用の座席に座りこむ。

 そのとき、ルーファスが入ってきたのと同じ扉が開いた。

 やってきたのはウィルだった。

「生きていたか」とルーファス。

「生憎だが」ウィルが返す。

「幸いだよ。頑なに非現実主義者アンリアルを気取っていたのも限界だったようだな」

「わかっていたのか」

「いいや、今のお前を見て知った。在りし日のお前のようにお前のアニマからは底なしのイグナイトが見て取れる」

 ウィルはプロメテウス計画の実験における失敗によって、人が持つエーテルへの干渉力を失ったように見せかけ、実のところそう見せかけていたのだった。常人には不可能な、常に強力なエーテル反応の打消し操作をスペラなしに行い続けていたのである。

「お前が素直になっていれば、はじめからミトラなど必要としなかったものを」

「俺を取り込むつもりか」

「イルミナにもお前にも、俺の導きが必要だ」

「御免だね」

 ウィルに強大な思念が襲い掛かる。これはルーファスの複製物レプリカントのものだ。

「ミトラを取り込んだ俺ならばお前には充分に勝る!」

 ルーファス複製物レプリカントの咆哮。

 対して、ウィルは小さくつぶやいた。

「バルナ。起きろ。兄貴なんだ。シャキッとしろ」

 それがきっかけだった。

「なんだと?」

 ルーファスの思念が大きく乱れる。

 いや、ルーファスが機関エンジンとして取り込んだミトラのアニマが揺さぶられたのだ。

「今から送るスペラを片っ端から解析してテラ=スペラで実行させろ」

 問題ない。バルナは聞いている。

 返事を待たず、ウィルは思念をルーファスに叩き付けた。

 ウィルは一切、奇械MAGを身に着けていない。

「ばかな、お前はミトラを上回っているというのか?」

「違うな。お前がミトラとバルナの足を引っ張ってるんだよ」

「そ……んな……」

 ルーファス複製物レプリカントの思念が急速に弱まっていく。ウィルが構築したスペラはルーファスがミトラに仕掛けたものの真逆の動作をするスペラだ。

 つまり、ミトラとルーファスの主客を逆転させ、ミトラにルーファスが取り込まれるかたちになる。

「ミトラ、必要なければ消去だ。すまないな。俺の知人がずいぶんと迷惑をかけた。尻拭いを任すようで情けない話だ」

「ウィル……ウィリアム……」

「ルーファス。確かにイルミナにも俺にも、お前の力は必要だったかもしれない。でもな。お前にだってイルミナが必要だったんだよ。俺にもな。間違っちまったのはそこからだ」

「イル……ミナ……だ。俺は、お前に、イルミナを…………それが、許せなかった……」

 微かな言葉を残して、ルーファス複製物レプリカントが消え去るのがわかった。

「最後の言葉は聞かなかったことにするよ。お前の名誉のために」

 部屋に荒れ狂ったイグナイトの奔流も消え去り、視界を覆い尽くしたエーテル塵も晴れた。

 ルーファスは気色を失い、ぐったりとしている。

 複製物レプリカントと言えど、自分の半身といってもいい存在が消えたことで、かなりの負担をルーファスが襲っているだろう。もはや野心を抱き、遂行するだけの意志は残されていないはずだ。

「俺たちはお前一人に何もかも背負いこませる気はないぜ。そんな世話をされなくても、なんとかやっていける。理想のかたちとは遠いかもしれないが、そういうものさ。帝國も、世界じゅうの人間たちもな」

 ウィルは静かにその場を去った。

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