第三章 4

 できる。

 俺は目の前の男に対峙して直観した。

 そして、この殺気には覚えがある、とも感じていた。

「あんた……列車の中で俺たちを見張ってたな」

 口にしてみる。

 しかし相手は答えない。

「だったらあんたが俺たちをつけて、軍の連中をここまで連れてきたはずなんだが……それにしちゃ時間が合わない。それにイーストエンドに来てからは本当にあんたの気配はなかった」

 話ながらも集中は途切れないよう努める。

「あんた、ただの兵隊じゃないな」

 この一言に、相手がわずかだが反応を示した。

 相手の静けさと対象的に、内に秘めた殺気は尋常ではない。

「あんた、兵隊にしちゃ血の気が多すぎる……まるで下層も下層、反吐の底の吹き溜まりを這いずる最底辺の臭いがするな」

 それはつまり俺と同じ、と心に付け足す。

 ただ、その殺気はこちらに直接は向いていないのが気になった。

「俺は、ただの障害物ってことか。いいだろう。通ってみろ」

 勝負は一瞬になるだろう。

 なぜ、俺はこんなところで命を張っているのか……そんな思いが瞬間、脳裏をよぎる。

 イルミナのためか?

 バルナのためか?

 わからない。

 結局、イルミナに再会したところで自分がどうしたかったのかわからなかった。

 くそっ……集中できていない。これほどの相手が来るとは思っていなかった。

 焼きが回ったか……。

 真横に振るわれた短剣を上半身を引いてかわす。

 向こうの踏み込みが深い。刃先はこちらの目を狙っていた。

 胴ののけぞりだけではかわしきれず、顎を上げ、ほぼ海老ぞりに倒れこむかたちになった。

 これでもう勝負ありだった。

 横腹に蹴りを入れられた。激痛が走るが、その痛みよりも、衝撃で大きくその場を吹き飛ばされたのが致命的だった。

 残りの階段を駆け上がっていく音がした。すぐに起き上がってそちらを見るが、すでに男の姿はそこにはない。

 慌ててあとを追う。


 墓所に戻ったとき、男はイルミナに銃を突き付けていた。

「まさかあなたがここに来るなんてね」

 イルミナは、男のことを知っているようだった。

「ウィルでも止められないなんて……私には想像もつかないような修練を積んできたんでしょうね」

「あなたに救われた命だ。相応に使わせてもらっている」

「これが、相応?」

「ミトラを渡せ」

「どうするつもり?」

「インディアに帰る」

「彼女がそれを望むかしら」

「帝國に歪められた意志ならば、なおのこと、ここを離れなければならない」

「復讐なの? そうしてあなたが嫌う帝國の人間になりすまし、奇械MAGをここまで使いこなすことまでして」

「復讐……違うな。復讐とは己の怨恨を晴らす行いだ。俺にそんなものはない」

「ではなぜ……」

 発砲。

 イルミナは崩れ落ちた。

 すかさず男を組み伏せる。

 男はすぐさま己に銃口を向け、発砲した。

 男の全身がびくりと跳ね上がると、すぐに力を失う。銃が男の手から抜け落ち、いやに軽い音を立てて転がった。

 男がすでに息をしていないのを確かめ、すぐにイルミナのもとに行く。

 胸を撃たれている。

「イルミナ!」

 イルミナは呼びかけに応じない。せき込むと同時に吐血が口を伝う。

 そのとき、脳裏にイルミナの思念が流れ込んでくるのを感じた。

 これは――テラ=スペラの力か。俺にまで働くとは。バルナ――。

 イルミナの過去の思い出が見える。軍人時代。俺とルーファスとともにいたころ。奇械MAGにかける情熱と、未来への希望。プロメテウス計画。挫折。俺とイルミナの別離。ルーファスの支援。情熱が執念へと変わっていく。インディアへ。世界を回り、人のアニマとエーテルの秘密の一端に触れる。イグナイトの統一理論の発見。着々と世界を呑み込む帝國主義。再び始まるプロメテウス計画。ミトラへの思い。ルーファスとの決別……。

 様々な記憶と情実の断片が俺の思考を染めていく。

 だが俺は、すぐにそれを振り払う。エーテル反応を拒む力がそれを助ける。

 イルミナの思考が過ぎ去ったあと、また別の力が働くのを感じた。

 ミトラの存在を感じる。強烈な感情だった。

「そうだ、バルナは……」

 墓所の奥を見る。

 教会の祭壇に埋め尽くされた奇械MAG。その中心の座にバルナが、ミトラが座っている。

 苦悶の表情を浮かべていた。



       * * *



 一度は制御に成功したはずだった。

 しかし、その直後だった。

「よくやった、ミトラ。テラ=スペラの起動は成功だ」

 一人の男のアニマがミトラに直接働きかけてきた。

 この墓所の人間ではない。

「誰?」

「テラ=スペラは私のものだ。私がつくり、私が動かす。誰にも渡さん。ミトラ、君には機関エンジンの役目を担ってもらうが、操縦者である必要はない。機関エンジンに心は要らない」

「ルーファス……!」

「イルミナは本当に困った女だった。一人では無軌道にただおもちゃ弄りをしていることしかできない子供のままだ。俺が道筋を敷いてやらねばどこへも行けない。列車と同じだ。しかしあいつはその道筋からも脱線し、あげく野垂れ死に。まったく、ふさわしい最後だな」

「なにを言ってるの……?」

「おや、気づいていないのか? 見ろ。いや、感じろ。俺に逆らった女の無様な最期を。無能に成り下がった男の腕の中で冷たくなっていくのをな」

 イルミナの思念にミトラは気づいた。

 それだけではない。イルミナを襲った凶弾の主、その張本人の姿をミトラは確認した。

「あなたは……アナン!!」

 焼けただれた顔面。失われた右腕。奇械MAGによって偽装しているが、それらは間違いなくコーンポーでアナンが負った傷そのものだった。

「どうして……」

「奴は有能な代行者エージェントだった。なによりその気概を買ったのだ。奴は俺を殺すために過去の自分を捨てて俺に近づいた。俺は奴により広い視野を与えた。俺一人殺したところでこの世界は変わらん、とな。真の革新と自由は、奇械MAGを完全に人の制御においてこそ成されるのだ。今はまだ途上にすぎない。だがテラ=スペラがその礎となる。ミトラ、君は世界を動かす機関エンジンとなるのだ。それは神に等しい存在だ」

「ルーファス……あなたは……許さない……」

「結構だ。その怒りをおおいに燃やせ。私が燃料をくべてやろう」

 私はまた同じ失敗を犯していることに気が付けなかった。

 自分の思いのすべてを、ルーファスにぶつけた。

 だが、ルーファスはそれを軽々と受け止め、解き放った。

「すばらしいな。だがその感情は不要だ。スペラの構築術とイグナイトのポテンシャル。その特性を持つアニマのみをいただこう。体もそこに置いていけ」

「やめ……」

 叫びはかき消された。



       * * *



 ルーファスの存在の存在を感じる。

「ルーファス、お前……」

「ウィル。臆病な鬼火ウィスプのウィル。お前がぐずぐずと立ち止まっているうちに、時代はどんどん進んでいくぞ。いつまで非現実主義者アンリアルを気取るつもりか知らないが、目障りだ。そこでイルミナとともに消えてくれ」

「ルーファス……いや、お前は何だ?」

 俺はバルナに感じていた違和感と同じものを、ルーファスの思念に感じ取っていた。ミトラとバルナの経歴に不審な点があることには気づいていたが、あえてバルナに何も言わず接していた。ここに来て、バルナがミトラのアニマ複製物レプリカントであると知り、気づきは間違いでなかったと確信した。

「お前も複製物レプリカントか、ルーファスの」

「ほう、探偵だけに察しはいいようだな。そのとおり、テラ=スペラの根幹に眠り、ミトラの接触を待っていたのだ」

「全部、お前の計画どおりなのか」

「賭けの部分もあった。勝てる賭けだと踏んではいたが。おおむね俺の予想どおりに事態は進行したよ」

「なぜ、こんな周りくどい真似をする」

「テラ=スペラを完成させるには必要な手順だったのさ。ミトラの覚醒だけは俺の手では不可能だった。なにより、俺自身があれこれ動いては不都合が大きい。フラタニティの連中にテラ=スペラそのものの存在を知られるわけにはいかなかった。たとえM&Iが奪われることがあってもな」

「こいつを寄越したのもお前なのか……」

「サドラー、いやアナンか。そんなところで失う人材ではなかったはずだが、仕方がないな」

「お前は……昔から頭が回るやつだったが……ずいぶんと悪党になったもんだな」

「何とでも言え。いつの世も力を持つのは勝者の言葉のみだ」

「お前も結局、持つ側の連中と同じになっちまったんだな」

「違うな。俺は持つ者も持たざる者の、等しく同じ地に立てる世界をつくる。生まれがどうあれ関係なく、真の力を持つものが、勝つべくして勝つ世界だ。俺は独裁者に成り下がる自称革命家とは違う」

「変わらないな。一度お前をぶん殴って頭冷やしにいく。待ってろ」

「ほざけ。そこはもう無事では済まん。終わりだ」

 轟音が聞こえる。大きな地響きだ。

 墓所の壁のあちこちに亀裂が入り、天井が崩落し始める。

「バルナ!」

 駆け寄るが、同時にそこらじゅうの奇械MAGが爆発し、引火する。バルナがいる祭壇の奇械MAGも同じだった。

「バルナーッ!」

 続けて襲ってきたのは、壁を突き破って噴き出した水流だった。

 水流がすべてを飲み込む。バルナ、イルミナ、アナン、そして墓所のアニマも流し去っていく。



       * * *



 私は微かな意識の中で、イーストエンドの崩壊を感じていた。

 炎に包まれるイーストエンドを大量に水が流れ込む。

 テムズ河の水だ、とミトラにはわかる。テラ=スペラが、それに接続リンクした奇械MAGが教えてくれる。

 私は人を超えた感覚を手にしている。だのに、私は無力だ。

 スペラとは何なのか。不可能を可能にする魔法?

 そんなことはない。結局は、人の意のままになどならない力?

 せっかく手に入れた力に、人は翻弄される。ある人はその力に溺れ、ある人は行使された力にただ打ちのめされるばかり。

 インディアでも、ロンデニウムでも同じだ。

 支配される側もする側も、結局は同じ。支配の論理に支配されている。

 私とは、なんなのだろう。

 ほんの短い間に、いろいろな人を見た。

 今の私には、その人たちも、それ以外の人たちも、多くの人の今と、それにつながる過去の姿が知覚できる。

 人とは、人の世とは、なんと脆く儚いものなのか。

 そんな脆弱な世を確かなものに変えるはずの奇械MAG奇械MAGによる現実化リアライズ

 それもまた、不確かな世をさらに捻じ曲げ、何もかもが確かな形を失っていく。

 ウィルが非現実主義者アンリアルを名乗って憚らないのは、そうした現実への抵抗なのだろうか……。

 ウィルも、ミーナも、ルーファスも、みんな時間とともに立場を変え、主義を変え、同じ志から始まった道は分かたれていった。

 私は幼いころ、悲しみを、怒りを、恐怖を受け入れられず、自分を閉ざし、別の姿を纏った。バルナ。それは私の願望の表れなのか。

 ロンデニウムの人たち。層の上にいても下にいても、本当の安心を得られることがないのは同じ。

 人とは、生とは、なんなのだろう。

 一つ一つのアニマの暖かさ。それらを取り巻くエーテルの輝き。

 それらはこんなにも美しいのに……。

 意識が、拡散していく。

 私が、私という境界を失おうとしている。

 眠い……という感覚に近い。

 私は、結局また眠るのか。

 こんなことなら、最後までバルナのままでいてあげればよかった。

 ごめんなさい、バルナ……。

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