第三章 2

 螺旋階段は下層都市を覆う天井の中まで達していた。

 階段の終点に辿りつき、暗がりの重く閉じた扉を開く。

 扉の向こうは灯はわずかで薄暗いが、空気感や音の響きから広大な空間になっているのがわかる。

 突然そこが明るくなった。イルミナがここに並ぶ奇械MAGを起動したようだった。

 そこは墓地のようだった。

 ただし墓石はすべて奇械MAGに覆われている。奇械MAGの墓だ。

「ここには、インディア大叛乱で失われた多くの命、そのアニマが眠っているわ。一人一人の持つイグナイトとともにね。はじめはウェストミンスター寺院にあったはずのそれを、私たちが密かに移したの」

「大叛乱……」

 その言葉にバルナは苦しみを覚える。

「バルナ、あなたが両親だと思っている人たちも、ここにいる」

「思っている?」

「バルナ。あなたはヴィバートの息子じゃないの」

「……え?」

「正確に言うわ。あなたはミトラの閉じた心から複製レプリケーションされた存在。あなたは大叛乱の記憶をなくし、そして自分がミトラであるという自覚もなくして、自分がその兄であると思い込んでいるだけ。あなたはミトラ・ヴィバートなのよ」

「違う。僕はバルナだ。ミトラは、僕の妹だ」

 バルナが胸を押さえてうずくまる。

「ミトラ。聞こえているはずよ。バルナが苦しいのはあなたが苦しいのと同じでしょ」

 バルナは混乱している。

「ミトラ……それとも眠っているの? ならば目覚めなさい。ここならあなたは自我を強く意識できるはず。コーンポーであなたが自ら閉ざした心。それを今こそ開いて。ここに眠る多くのアニマの呼びかけに答えて頂戴」

 整然と並ぶたくさんの奇械MAGが動き始めた。

 同時に、バルナの耳にさまざまな声が聞こえ始める。死の苦しみのこえ、悲しみの声、その中に一つ、ミトラの名を呼ぶ強い声が聞こえ始める。

「とう、さん……?」

”その声は、コーンポーで戦死した、ラルフ、ヴィバート少佐の声。

 バルナとミトラの父の声。

 でも、バルナは父の声を直接聞いたことはない。ではなぜ、この声が父だとわかるのだろう……?

”ミトラ……聞こえているか……ミトラ……”

「僕は、バルナだ。ミトラは妹……ミトラ……」

”お前を化け物に変えたのは私だ……。確かにお前の命を長らえるのにはこれしかなかった。だが、そうしてまで得た命が果たして幸福なのか……”


 お父さん。


「え?」


 バルナが驚く。当然だ。あまりに奇妙な感覚のはずだ。

 自分の中にもう一人の自分がいて、頭の中で話をし始めるのだから。


”ミトラ……おお、ミトラ……”


 だいじょうぶ。わたしは幸せです。私は確かにただの人ではなくなってしまったけれど、かわりにバルナがそれを担ってくれたもの。私はそれを見ているだけで幸せだった。


”バルナ……?”


 そう、私の兄の役割と担ってくれた存在……。


「黙れ黙れ黙れっ!」

 バルナが叫ぶ。

「なんだよこれ。なんだよこれっ!」

 バルナは頭を抱えてうずくまる。

「バルナ……あなたの魂……アニマは自我の喪失を恐れている。死にも等しい恐怖が襲っていることでしょう。……ごめんなさい。でも、もう少しだけがんばって」

 イルミナはそう言うが、バルナは聞いていない。

「イルミナ。バルナに何をした」

 ウィルはイルミナにつかみかかる勢いで迫る。

「今、再生しているのは十三年前のコーンポーで採取したアニマよ。インディアのコーンポーで起きた事件を覚えてる?」

「ああ、帝國陣地を包囲した叛乱軍が籠城戦の末に、偽の停戦交渉を持ち掛け、誘い出された帝國人メトロポリタンが一人残らず殺害された……」

「ミトラはその事件の生き残り」

「なんだと? ……プロメテウス計画の露見を防ぐために秘匿されたのか……」

「そう。そもそもが、プロメテウス計画がコーンポーで継続されているのを突き止めた叛乱軍側が、計画の成果であるミトラを奪取しようとしたのが、この事件の真相よ。結果、ミトラは飽和状態にまで沸騰したイグナイトのために暴走。叛乱軍側にも大きな被害が出て、事件は終わったわ。叛乱軍の首謀者は行方不明。この事件以降、インディア側でプロメテウス計画にかかわる動きを見せるものはいない……自分たちの手に負えないとわかったんでしょうね」

「それで? そこからなぜミトラはバルナになった」

「ミトラは暴走の果てに自我を破壊するところだった。つまり、死よ。それだけは防がなければならなかった。そのときは私も、まだプロメテウス計画を必要としていたから……。ミトラの自我を眠らせ、崩壊を防ぐことはできた。しかし自我が眠ったままでは遺された肉体はやがて衰弱して、結局は死を迎えることになる。肉体を支える別の自我が必要だった。私は自分の持つイグナイトやアニマについてのすべての蓄積を、ミトラを助けるのに注いだ。結果、できたのが、アニマ複製レプリケーション技術よ。命の本質であるアニマのみを抽出し、複製するの。そうすることで、ミトラの傷ついた自我は引き継がずに、別の自我として肉体に定着させることに成功した。そうして生まれたのがバルナ」

「そんなもの……まやかしの命じゃないのか。そうやって生まれたバルナを、今度は不要になったからってミトラと入れ替えようっていうのか?」

「そうじゃない。バルナには自覚を促しているだけ。あなたは一人じゃない、と。アニマ統合マージよ。いずれは必要なことだった。いつまでのミトラを眠らせたままにはしておけないの。でないと肉体とバルナの定着が進みすぎて、ミトラを受け入れられなくなってしまう」

「僕はバルナだ、ミトラじゃない……」

 顔を真っ青にして、寒さに震えるようにしているバルナに、イルミナは呼びかける。

「受け入れて。たとえ肉体は一つでも、ミトラはあなたの大切な妹に違いないはずよ。大丈夫。あなたの居場所がなくなるわけじゃないわ」

 イルミナはウィルに向き直る。

「それにバルナはまやかしなんかじゃない。ウィル。奇械MAGを、スペラを、どうしても受け入れられないの? エーテル反応はれっきとしたこの世の節理、法則なのよ。れっきとした技だわ。そのものには善も悪もない」

「しかし……」

 ウィルはなおもイルミナに食い下がる。

 バルナはなおも、私の存在を認められずに、苦しみ続けている。

 仕方がなかった。

 私はバルナを強制的に眠らせることにした。

 賭けではある。もう十年以上もこの体はバルナのものであり続けた。突然私がそれを奪って、うまく馴染むとは思えない。

 ごめんなさい、バルナ。

「ミトラなの、本当に……」

 そう。ずっと話がしたかった。本当よ。

「僕だって……ずっと会いたかったさ」

 これからはずっと一緒にいられるようになる。だから、少しだけ我慢して。

「僕は、どうなってしまうの……」

 大丈夫、少しだけ眠っていて。麻酔のようなものだと思えばいい。

「ミトラも……ずっとそうやって眠っていたの……?」

 イルミナはそう思っていたみたいだけど、本当はもう目覚めていたの。誰にも語り掛けないように、ただあなたとその周辺を見ているだけにしていたのに……。

 ちょっと待っていて、終わったら、起こすから。

「……うん」

 バルナは眠りについた。

 これで肉体の主導権は私に移ったことになる。

 手を握って開いて、足を振ったりしてみる。

 ぎこちないが、動けないことはない。ただ、無意識に動かすのは難しいだろう。

 まだ、自分の体とは思えない。ずいぶんと体が大きく感じる。これが大人の体か。

「イルミナ、私にどうしてほしいの?」

「ミトラ。……それにバルナ。あなたたちにはイグナイトを操る力がある。あなたたちのスペラの技術は天才的だわ。それはそもそもイグナイトやエーテルというものをあなたのアニマが知り尽くしているからに他ならない。あなたの力で、ルーファスが完成させたテラ=スペラを使えば、世界中の奇械MAGからイグナイトを解き放つことができる」

「テラ=スペラ?」

「帝國は世界中に通信奇械網ナビガント・ネットワークを張り巡らせている。それを利用して、世界中のあらゆる奇械MAG接続リンクさせる。そしてそれらを集中的に操作できる仕組みよ。これがあれば世界中の奇械MAGを一人で意のままに操ることもできる。ただし、テラ=スペラの実行には、既存の汎用機関スペラエンジンでは動作しない。世界中の奇械MAGを処理するのだもの。その複雑さを既存の機関の能力では処理しきれない。そこでルーファスが目に着けたのが、プロメテウス計画だった」

 それだけ聞けば、もうルーファスの思惑が私には理解できた。

「それで強化実験を施されるのが私なのね」

「そう。あなたそのものを機関エンジンとすることで、テラ=スペラを動作させる」

「でも、機関エンジンだけではダメ。膨大なイグナイトを必要とする……」

 私はそう言いながら、そのイグナイトがある場所を、今まさに目にしていることに気が付いた。

「そうね。M&Iなら、すでにそれだけのイグナイトを保有しているでしょう。では、M&Iにしか、テラ=スペラを使うための燃料は用意できない? 答えは否」

「ここに眠る人々のアニマから、イグナイトを引き出そうというの……罰当たりね」

 イルミナは苦笑する。

「そうね。そのためにもミトラ。あなたが必要だった。あなたにしか、ここのアニマとの共鳴は難しいもの」

「同じ悲劇と経験したアニマ同士、というわけ。死者すら利用しようというの、ミーナ」

「ごめんなさい……いや、私には謝る権利すらないわね。そう。ジェネラル=ラッドとして、私は目的を達するためにはあなたたちを利用するわ。なりふりを構ってはいられないの」

「テラ=スペラにはどうやって接続リンクを?」

 私の問いに、

「それは私がすでに裏口バックドアを用意済み」

 自信ありげに言うイルミナ。その仕草は昔の好奇心にあふれた科学者だったイルミナそのもので、私は少し可笑しかった。

「では、必要なものはすでにそろっているということ」

「そう。先手を打ってルーファスよりも先にあなたを確保できたことで私たちは優位に立った。だけど、軍の動きが早かった……」

「軍もまたルーファスの狙いを知って行動を起こしたってことか。その結果がM&Iの差し押さえとバルナの捜索だな」

「そう。でも、軍もまだルーファスの本当の目的まではわかっていないみたい。鍵になるのがバルナとミトラだってことだけは把握しているようだけど」

「下の戦闘もバルナを狙っているのが本当のところなのか?」

「おそらく。もちろん私たちの殲滅も目的でしょうけど。あわよくばバルナを捕えて、私やルーファスの口を割ろうという魂胆じゃないかしら」

「乱暴すぎる。軍はもともとどうかしてたが……あまりに荒っぽい」

「きっと……フラタニティも焦っているんだわ。ルーファスがあまりに大きな力を手に入れたことで、自分たちの立場が危うくなっていることを恐れている」

「フラタニティ?」

「私はかつてフラタニティと呼ばれる団体とつながりを持っていた。深い歴史を持つ団体よ。政治や経済、軍事のような表立った権力こそ失われているけれど、フラタニティの総意は帝國のあらゆる事象に少なからず影響を与えているの」

「よくある陰謀論にしか聞こえないが」

「でも本当よ。彼らが意思をそれとなく示す。それは回りまわって実権を持つ人物たちの耳に入る。そして彼らの意思を汲んで、その意志の実現を代行する」

「まあいい、その連中が、ルーファスを恐れていると?」

「テラ=スペラには、フラタニティの影の支配すら脱却するポテンシャルを持っている。

ルーファスの最終目的もそこにあるに違いないわ」

「そうか……まあ、本当のところは、ルーファス自身に聞いてみるしかなさそうだな。そのためにも」

 ウィルは外套を脱いでその場に落とした。

「まずはこの状況をどうにかするしかないか」

「ウィル……お願い」

「俺は下に行く。ここまでやってきたイノバティスを叩いとかないとな」

 ウィルは部屋を出ていった。

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