第三章 1

――Covent Garden(コヴェント・ガーデン)

  Pub "Pigs fly"(パブ・ピッグス・フライ)



 サドラーの通信奇械ナビガントに下層都市制圧の指令が通達されたそのとき、彼は彼の所属するイノバティスの仲間とともに、パブリック・ハウス――パブに繰り出して安酒に喉を湿らせている最中だった。

 「忌々しい。軍は本気で俺たちを飼い犬のように使うつもりだ」

 一人がそう吐き捨てて、掴んでいたグラスをテーブルに叩き付ける。

「しかしボスの指示でもある。『軍に従え』だ。それがボスのオーダーだ」

「それだ! なぜボスはあの飾りばかりの権威主義者どもに従うんだ? 俺はそれにも納得がいかん」

「従わないのか?」

「……従うさ。ボスの指示は絶対だ。今回も何か意味があってそうしてるんだろ。本当に忌々しい。忌々しいが、やってやるよ」

 仲間たちにも知らされていないことで、サドラーが知っていることが一つだけある。

 それは、これからおこなわれる下層都市の制圧が、あくまで軍の指令によって行われることに意味があるのだという、ボス――ルーファスの狙いだ。

「行くぞ。俺たちはイノバティス。どんな内容でも、それが任務ならイノバティスにふさわしい成果を上げねばならない」

 腰を上げるサドラー。

 彼にはもう一つ、秘密にしておかなければいけないことがある。

 それは彼のミッションがもう一つ、別にあることだった。

 彼が通常の作戦指令書とは別に受け取った機密文書コンフィデンシャルには、ウィル、バルナ、イルミナの名記され、それぞれのポートレイトが添えられていた。

――City(シティ)



 反ルーファス勢力の主要人物が大勢集まる中、リッチ・ギャリオットによるルーファスへの詰問は続いていた。

「長く行方不明とされてきたイルミナ嬢だが、有力な情報を手に入れたのだ。彼女は忌まわしき下層へと降りたとな」

「ほう。なぜそれをすぐに知らせてもらえなかったのかな?」

「彼女が降りたのは下層の中でも更に深部。知っているだろう。帝國の恥部だ。ただ、恥部ゆえにむやみに触れられぬ場所でもある。それに、彼女には疑惑があった」

「疑惑?」

反奇械主義者ラッダイトどもとの接触の疑惑。それにもう一つ、疑惑がある。それが貴様だ。イルミナ嬢を下層に送ったのはほかでもない貴様であるという疑惑だ」

「何を証拠に」

「貴様も下層都市の独立運動を支援する意向を示していたであろう」

「それが何か? M&Iとしては、奇械MAGの生産管理工程のほとんどを下層都市から供給される労働者に依存している現状を打開したかっただけのことです。奇械MAGの生産は奇械MAGにさせればよい。自動化です。それによって労働者たちをイグニス汚染の危険や過重労働から解放できる。極めて人道的な見地に基づく計画です」

「それは隠れ蓑にすぎんよ。貴様はその影で、イルミナ嬢を通じて反奇械主義者ラッダイトに兵器提供をしていたはずだ」

「兵器などとんでもない。彼らの生活に必要な物資を提供していただけのこと。彼らは闇雲に奇械MAGを嫌っているのではない。蒙昧は非現実主義者アンリアルとは違います。奇械MAGの正しい理解のために、M&Iとしては安全な製品を提供すべきとの判断です。仮想都市には違法な奇械MAGが蔓延していますからね」

「その動きからして、すでに我々の意思に反する行いだ。隠し立てして行うなど言語道断。やましい理由なくしてなぜ隠した」

「確かに我々M&Iはあなたがた軍とともにやってきた。だが、それはあなた方の従者としてではない。我々はあくまで対当だ。常に軍の利益だけを考えて動いたりはしない。軍の意思に反しようとも、自身の利益追求のために動くことだってある。そこは競争です。帝國の基本理念、自由貿易ですよ」

「我々の意思は帝國の意思。世界を統べる帝國の意思だ。それに逆らうは世界への反逆」

「それが傲慢だというのだ。あなたがたは」

「貴様が言えたことではない。よりにもよって反奇械主義者ラッダイトまで抱き込み、反旗を翻そうとしおって」

「鼠の尾をつかまねばならなかった。長かったよ。しかしようやく動きがあった」

「ブラッドフォード卿。貴様はイルミナ嬢にとり、信ずるに値しない男であったようだな」

「イルミナ嬢は助けを求めた。我々の動きを恐れ、そして貴様には頼れぬと判断した」

「そして別の男に頼ったのだ。それが『鬼火ウィスプ』」

「彼女は『鬼火ウィスプ』を使ってバルナを呼び寄せた。我々から隠すため。そして貴様から引き離すためでもある」

「バルナはプロメテウスの供物。イルミナ嬢はそれと、貴様から提供された多くの奇械MAGを拠り所に、ついに動いたのだ。我々はそれを止めねばならん」

「それがあなたがたの筋書きということか。好きにするがいい」

「彼女を捕えれば、おのずと貴様の容疑も固まろう。もはや貴様になすすべはない」

「茶番だ。すべて」

 軍もイルミナとバルナが欲しいのだ。そして連中が芥同然に考えている下層階級の排除も行って一石二鳥というわけだ。

「そう、うまくいくものかよ」

 地を這うものには地を這うものの意地があるのだ。

 高みの見物を決め込んでいるツケはすぐに払うことになる。

――East End(イーストエンド)



 応接間だろう。質素で小さな空間に二人は通された。

 木箱に薄いクッションを敷いただけの椅子に腰かける。

 少ししてやってきた人物の姿に、バルナは腰を浮かせる。

「ミーナ!」

「二人ともありがとう。ここまで来てくれるとは思っていなかった」

「お前がジェネラル・ラッドなのか?」

 ウィルがそう言うと、

 イルミナは、そう、とだけ答える。

 その見た目にからはかつての科学者の印象はなく、その変化は長い潜伏の日々を物語っている。

「ウィル、本当に久しぶり」

 ウィルはああ、とだけ声にする。硬い声で。その表情を覗うことはバルナの位置からはできなかった。

「バルナ、寂しい思いをさせてごめんなさい」

「はじめは寂しかったけど、今はもう大丈夫」

 嘘ではない。が、そんな簡単な言葉で表せるほど、バルナにとって三年間という月日は短くなかった。だけに、自分の言葉が空々しく思える。

 イルミナはどうにか作ったような笑顔をバルナに向けただけで、それ以上は何も言わなかった。代わりにジェネラル・ラッドとしての顔を作り直すと、

「話したいこと、聞きたいことはたくさんあるでしょう。だけど残念ながら時間がないの。

帝國軍がイーストエンドを丸ごと占拠しようと動き出したわ。M&Iの備蓄する豊富な奇械MAGとイグナイト、それに吸収したイノバティス。戦力としては十分と判断したようね。けれど、それも本当の目的にはないかもしれない……」

「ちょっと待って」

 バルナは声を上げる。

「突然すぎてわからないことばかりだよ。ミーナがジェネラル・ラッド? 反奇械主義者ラッダイトだって?」

 ごめんなさい、とイルミナは言って、

「詳しく説明をしている余裕はない。あなたにはゆっくりと考える時間を上げたかった。ここならそれも叶えられると思ったけれど……イーストエンド全体が戦場になったら、ここも安全とは言えない。それに、なにより、あなたと、それにウィルには、ジェネラル・ラッドとして、頼まなければならないことがあるわ」

 イルミナはバルナの動揺を受け止めることなく続ける。

 バルナはイルミナに駆け寄ろうとするが、ウィルがその肩をつかんで止めた。

「ウィル!」

「落ち着くんだ」

「でも!」

「俺もわからないことばかりだ」

 ウィルはかぶりをふった。

「だから、まず一通り聞いてみる」

 イルミナが困ったような笑顔を浮かべる。

「ウィル、あなたは相変わらず落ち着いているわね」

「イルミナ、お前もそう変わっちゃいない」

 そうかな、と言って溜息を洩らしかけるが、すぐにその息を飲むと、ジェネラル・ラッドとしての顔を取り戻す。

「バルナ、あなたには真実に向き合ってもらう。上に来て頂戴。話せることは、道すがら話すわ」

 イルミナはそういうとすぐに部屋を出ていく。

 バルナはウィルを見る。

 ウィルは頷く。

 二人はイルミナの後を追う。


「ここを登るわ。ついてきて」

 そこは螺旋階段になっていた。

 見上げると、途方のない高さがある。

 地下を突き抜けて、下層都市の天井にまで届くか、というところまで伸びているように見える。

 イルミナは速足で上っていく。バルナとウィルはついていく。

「私はジェネラル・ラッドとして死ぬ覚悟はできている。でも、バルナ、あなたにはインディアでふつうの暮らしをしてほしかった……でもルーは、ルーファスはあなたを放っておく気はなかった」

「ルーファス……社長が?」

「あなたはずっとルーファスの指示でM&Iから監視されていたのよ。プロメテウス計画によってあなたは高いイグナイトのポテンシャルと、それを自在に操る才能を持って誕生した」

「プロメテウス、計画?」

「結局、まだ続けていたのか、あれを」

 ウィルが反応した。

「知っているの?」

 ウィルは頷く。

「俺がまだ軍にいたころだ。いろいろといやな目にあったと言っただろう。その最たるものがプロメテウス計画だ。奇械MAGとスペラによる人の種としての強化計画。種の進化なんて考え方にとりつかれた連中の狂気の計画だ。奇械MAGをより最適に使用できるように、人間そのものを作り替える。その作り替えにも奇械MAGが使われた。俺はその実験台だ。そうして俺はこの奇械MAGが使えない体質になった」

 ウィルの顔がゆがむ。

「バルナも俺と同じ実験台にされたってのか」

「……ええ。そうよ。あなたが放棄したものを完成させるために。それにバルナ、いいえ、ミトラにはこの計画が必要だった」

「ミトラが? 妹もその計画に?」

 イルミナはうなずく。

「ルーファスはプロメテウス計画をさらに推し進めていた。あなたが私たちから離れてからもね。そして、第二の成果がミトラであり、バルナよ。さらにあの大叛乱はイグナイトの研究を飛躍的に進めた。プロメテウス計画は完成と言ってよかった。イグナイトを自在にコントロールできる人間……そう、まさに魔術師と呼ぶにふさわしい才能を持つ人間の因子を発見できた。それが今のM&Iのイノバティスにも応用されている」

「でも僕はそんなこと、まったく知らなかった。どうして? なぜイルミナは黙っていたの?」

 イルミナはこちらを見ないで、階段を上り続けている。すこしの沈黙。

 螺旋階段を覆っていた外壁がなくなる。地下から大聖堂の尖塔の一つまで続いていたらしい。その尖塔の外壁が崩れてなくなり、螺旋階段とそれを支える柱だけがむき出しになって、そのままさらに高く上にまで伸びている。ここはここでロンデニウムの巨大な壁と天井の覆われた下層、巨大な屋内空間なのだが、それでも強い風が吹き、地上からはるか高所の不安定な足場を歩いていることに、バルナは不安を感じる。

「見て」

 沈黙していたイルミナが立ち止まり、足下に広がる巨大な廃墟を指し示す。

「ここからだとセント・ポール大聖堂の全貌が見えるでしょう」

 いうとおり、下から見たのとは違う視点で、大聖堂の大きさがうかがえる。

「かつてはロンデニウムの中心地、シティのシンボルであり、國教会のシンボルだった。それが今では廃墟同然。國教会もその実態はすでにない。かたちのない権威だけが政治の道具として利用されている。このセント・ポール大聖堂の姿がそれを示しているわ。今はロンデニウムの最初の支柱のふもとで朽ちるのを待つだけ」

 再び歩き出す。

奇械MAGはすべてを変えてしまった。この帝國の姿も、帝國にかかわるたくさんの人々の生き方も、何もかもを……。ルーファスと私は、奇械MAGの発展が世界をよりよくする方法をだと信じていたわ。軍に協力するのが正しいこととは思えなかった。ウィル、あなたのこともあるしね。だけど、私一人でできることには限界がある。協力者が必要だったわ。ルーのおかげよ。でも、軍も、そしてルーも、奇械MAGを野望に使おうとするようになった。私にはそれを止める義務がある。ただ、それもまた、私一人でできることじゃない」

 再び立ち止まると、振り返った。螺旋階段は頂上に達しかけているところまで進んでいた。

「ごめんなさい。バルナ。あなたにはなんの責務もない。ただ、協力してほしい。いえ、私は強制しなくてはいけない」

 そのとき、下界から轟音がとどろき、あちこちで火の手が上がるのが見えた。

「来たわね。戦闘が始まったわ。もう、本当に猶予は残されていない……バルナ。いいえ、その呼びかたがふさわしいのかどうか……ともかく、多くの命の運命が、あなたにかかっているわ。あなた自身の運命も大きく変わる」

 イルミナはじっとバルナの目を見る。

 バルナは目をそらせない。何かを言いたいのに、喉がつかえて言葉が出てこない。

「いえ、ここに、ロンデニウムに来た時点で、運命はもう決まっていたのよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る