第二章 4

――British Empire(大英帝國)

  Londinium(ロンデニウム)

  Liverpool St. Terminal Sta.(リヴァプール・ストリート終着駅)



 駅の大きさは外から見ればわかるものだが、内部の規模はまた、それはそれでバルナの想像をはるかに超えていた。

 30以上もあるプラットフォームは帝國の内外の各種鉄道のターミナルとなっており、それらを行き来するための駅構内のフロアの広さ、通路の複雑さ、それらの数のあまりの多さ。それが何階層もある建物がまたさらに複数組み合わさって、一つの駅になっているという。

 バルナは事前に列車内で入手しておいた地図を幻視波動奇械スペクトラムによって常時視野に入れつつ、かつ通信奇械MAG案内表示をしながら歩いていた。この二つの奇械MAGは応用できる範囲が広く、なにかと重宝する。もちろんそうなるようにバルナが独自に改良を加え、ほかの奇械MAGの機能も取り込んだり、機能同士が相互連携できるようにしたことが大きいのだが。

 しかし、今回は勝手が違った。逆に表示される情報の多さに頭がついていかないのだ。

 そもそも奇械MAGを使わなくても情報はある。そこらじゅうに設置された案内板。天井からぶら下がる道標の数々。何もかもが膨大な数で、逆に見るものを混乱させるのでは、と思えてしまう。結局、表示を消してウィルの道案内に従うことにした。

 バルナはまだまだ奇械MAGに改良の余地があることを痛感した。これからは情報がますます膨大になり、蓄積されていくだろう。奇械MAGにはその整理をさせるのがいい。自分に不要な情報を排除して、本当に必要な情報を自動で提示するような判断をできるスペラを構築するのだ。

「インディアではこれで充分だったんだけどな……」と思わず独り言をこぼす。

「どうした?」ウィルに聞こえたらしい。

「なんでもない!」

 ウィルに言ったら〝だから奇械MAGに頼り切るのはよくない″なんて言われるに決まっている。むしろ、この駅の奇械MAGが拙いのだ。ただやみくもに案内情報を垂れ流すだけなのがよくない。そうは思ったが、それでもやはり高度に奇械MAG化された設備に圧倒されているのは確かだった。

「あちこち目移りする気持ちはわかるが、急いでくれ」

 ウィルの背中を追う形で歩く。

 ウィルに言われる通り、何もかもが目新しくてついついあちこち見てしまう。興味深いのは奇械MAGばかりじゃない。この駅の建物じたいが、インディアの王族たちが暮らしていたような宮殿よりもさらに大きいのではないかと思われる。奇械MAGによる新しい建築技術を駆使されているに違いない。そして周囲を行く帝國の人々。ラーホールにも帝國からの移住者は大勢いたので、帝國人メトロポリタンはめずらしくない。だけれど、彼らの身に着けている服装、装飾、そして奇械MAG――結局注目するのは奇械MAGなのだが――や、その使いこなしは、ラーホールで暮らす帝國人メトロポリタンのそれとは大きく違う。立ち振る舞いや喧騒の中にふと聞こえる話題、それらが合わさってラーホールでは、いや、インディアでは感じることのできない雰囲気――都会風と言えばいいのだろうか――をひしひしと感じる。自分が遠く離れた属領から来た田舎者の混血種ユーラシアンであることを思い知らされる。

 軍人に顔を見られにくいよう深めの帽子をかぶって外套の襟を立てた服装としているバルナだが、その事情を抜きにしても、バルナは自分の顔や肌の色を見られるのが嫌で、なんとなく襟を立て直し、帽子の唾を持って自分の顔を隠しながら歩くようにしてしまう。これだけ大勢の人間の中だ。誰も自分のことなど気にせず通り過ぎていくはず。そう思っていても、気分としてはどうしても見られているのでは、と思わずにいられない。実際に人目を忍ぶようにして行動しているのだから、それも仕方がないのだろう。

 しかし一方でウィルは慣れた様子でどんどん進んでいく。建物にも人混みにも慣れているのだろう。ラーホールではこちらのほうが人混みの中だろうがすいすいと進んでいける自信があったが、やはり土地勘の違いは出るものだ、と感じる。

「合流場所まで行けば、もう少し人は減る」

 心配してくれるのか、ウィルはそう声をかけてくる。

「大丈夫、すぐに慣れるから。そしたらもう少し早く歩ける」

 バルナは少し強がりを言うが、ウィルは

「無理をしている姿は本人が思う以上に周りには伝わる。慌てず、今以上に目立たないようにして来てくれ」

などとフォローなのか、それとも単なる注意と取ればいいのかわからないことを言う。

 この二週間ほどで思ったのだが、ウィルの物言いは端的・簡潔で、伝達だけが目的ならそれでもいいのだが、人には感情というものがある。無味乾燥な会話が続くとどこか胸の内にわだかまりができてくるもので、今にしてもウィルに言い返したいことがぼんやりと浮かぶ合間に、ウィルはさっさと会話を切ってしまう。それだけ本来の目的行動に集中していると言えなくもないのだが、あまりにぶっきらぼうでこちらの言い分を聞き入れる気がないようにも思えてくる。まあ、身の回りの同業者である奇械MAG技師にはそういうタイプの人がそれなりにいたし、バルナはそういう人間との関わりにこそ、慣れてはいるのだが。

「向かってるのは地下鉄だ。それも下層の貧民街行きだから、自然と人通りも減る。いろんな種類の人間がこの駅を使うが、それでも下層の労働者階級は少ないほうだからな」

 そうウィルが説明するころには、いくつも階段を上り下りし、通路も少しずつ細く、薄暗くなってきていた。雰囲気だけでウィルの言葉の通りであることは伝わる。通路の隅や壁面には汚れも目立ち、駅の中心部から離れて、人の手が行き届いていない場所であるのが歴然だ。ある意味で、ラーホールの旧市街で育ったバルナには見慣れた景色ではある。狭く、細く、暗く、汚れている。

 広くて大きくて豪華な中央部と、この離れ。

 バルナはこの差を不思議に思った。

 だが、今は口にしないでおく。

 少し広い空間に出た。ロビーだろうか。通路ではほとんど人気がなかったが、ここにはそこそこに人が集まり、行き来している。奥には改札口や路線・時刻表などの情報板がある。

「ここが地下鉄?」

 と聞くと、ウィルは頷く。

 少しあたりを見回す。ここはラーホールとそれほど雰囲気が変わらない。バルナたちが来た通路とは別の通路からもここに来られるようで、あちこちから人が出入りしている。そのだいたいの人が質素な身なりで、帝國人メトロポリタンであれば皆がいい暮らしをしているわけではないことが明らかだった。待ち合わせをしているようでもないのに、ただそこに立っている男。路上で敷物をし、看板を立てて物売りや手入れなどの商売をしている少年。ぼろを被って座り込んでいる老人。女性は少ない。

 その間にウィルはもうバルナの分の乗車券を購入していた。

「待ち合わせは三番乗り場だ」

 乗車券を受け取る。すぐに動き出すウィルについて、一緒に改札口を抜ける。

 さらに階段を降りたところに地下鉄があった。地下鉄というが、階段を登ったり降りたりし過ぎて、自分が今いる位置がすでにわからなくなっていた。

「ここって地下なの?」

「どうだろうな。ロンデニウムの地下は、一概に地面の下とは限らない。いや、土の下とは限らない、か。ここには宙に浮いた地面があちこちにあるからな」

 そうなのだ。この街のほかとはまったく違うところが、そこだ。

 建物だけではなく、街全体が何階もの階層に別れていて、一つの巨大な建築物のようになってそびえているのだ。建物と建物をつなぐ空中回廊の数があまりに多くなり、もはや回廊というよりは地面そのもので、それが建物どうしの隙間を埋めてしまっているのだという。ウィルのいう宙に浮いた地面とはそのことだ。ロンデニウムの地下鉄は、その地面――中空地盤、あるいは単にプレートと言うそうだ――の中のトンネルを走る路線がたくさんあるらしい。

 三番乗り場にはちょうど列車が到着したところだった。車両からそこそこな数の乗客が降りてきて、ウィルやバルナとすれ違う。乗客の波が過ぎ去ると、プラットフォームにただ一人、立ったままこちらを見ている人物が残っていた。

 ウィルが近づいていくと、その人物は片手を上げつつ、頭をひょこっと下げる。目線はこちらを合わせたままで、お辞儀としては奇妙な仕草だった。

「やっ、『鬼火ウィスプ』の旦那。それにそちらのかわいらしいのがバルナだね」

 そう言って目じりを細めて口の端をゆがめる。笑顔というには歪な表情。白髪交じりの乱れた髪に、先が尖った耳や鼻。フードをかぶって背が大きく曲げている。一見して老婆のような風貌だが、その声音はそれに不釣り合いなくらいに陽気な若い男性のものだった。

 バルナは相手を観察するあまり、自分が名前を呼ばれたことに遅れて気が付いた。

「ようこそロンデニウムへ。ここはまさに伏魔殿パンデモニウム奇械MAGにとりつかれた連中の集う栄光と破滅の楽園さ」

 大げさな身振りでそんなことを言う。大英帝國では舞台劇が名物の一つらしいが、その役者がこんな風に演技しているのを、バルナは観賞用の虚像映写奇械ホロウ・グラフィカで見たことがあるが、目の前の男はまさにそんな様子で大げさに話す。

「久しぶりだが、相変わらずのようだな」

「相変わらずも相変わらず。少しは良いほうに変わってほしいもんだよ」

 二人は気さくに言葉を交わす。

「ウィル、知り合いなの?」

 バルナが聞く。

「昔、仕事のさなかに知り合った。紹介しよう。ミゼットだ」

 ウィルが名を呼ぶと、ミゼットはハハッ、と笑い声を上げる。

「ご紹介にあずかったミゼットだ。旦那にはちょっと昔に世話になってね。今回はたまたま偶然、あんたたちをイルミナのところに連れていく役を預かってる。あんた、イルミナが見込んだ才児なんだろ? 歓迎するぜ」

 バルナのところに近づいてきて細い腕をバルナのほうに伸ばし、握手を求める。

 側に並んでいると、腰を曲げているせいもあってバルナの半分くらいの背丈しかない。あまりに異形な姿と、それに不釣り合いな陽気さに、バルナは躊躇してしまう。

「もしかして、怯えてるのか? 大丈夫だよ。誰もあんたを奇械漬けDOPEになんかしやしないさ」

 よくわからないことを言ってまたハハッと笑うミゼット。

奇械漬けDOPE?」

 黙っていると向こうのペースが続きそうで、とりあえずわからないことを口にする。

「知らないか? 奇械MAGの作用にどっぷり浸って、奇械MAGなしじゃ生きていられなくなっちまった奴らのことさ。ありゃ阿片より性質が悪いぜ」

「帝國の、とりわけロンデニウムの流行り病のようなものだ。奇械MAGは人を狂わせる。ロンデニウムはそんな人間で溢れてる」

 ミゼットの答えをウィルが補足する。

「なに、ちょっとした冗談だ。気にするなよ。それよりも……俺が言うのもなんだけど、厄介なことに巻き込まれちまってるな、お二人とも」

「厄介ごとはいつものことだが、今回は特別そうだ」

「まったく。今回の一件じゃイーストエンドも大騒ぎだ。いよいよ上と戦争かって、みんな火がついちまってる。こっちにくれば安全に匿ってもらえる、なんて思わないほうがいいぜ、バルナの坊ちゃん」

「イーストエンド? 戦争? 匿ってもらえる? ちょっと待って、さっぱりわからないよ」

 ラーホールでもすべてが突然だったが、ロンデニウムに来てもまた、置いてけぼりだ。

「だろうな」

 ウィルの答えはやっぱり素っ気ない。

「だが、ここで説明している時間はない」

「ああ。そうだな。軍もあちこち探し回ってる。連中、ほんとにM&Iからイノバティスのくそったれどもを奪い取って傘下に入れちまったらしい。あの血も涙もない奴らまであんたらを捜索してるんだったら、こりゃほんとにヤバいからな」

 またしてもミゼットの口から聞いたことのない言葉が飛び出す。

「イノバティス? M&Iがなんだって?」

 苛立ちを隠せず、叫ぶようにミゼットに疑問をぶつける。このところ、わからないことを聞いてばかりだ。

 ミゼットは肩をすくめ、

「ま、おいおいわかってくさ。ロンデニウムはてんこ盛りの大皿フルコース。絶品あれば下手物あり。一度に飲み込もうとすると胸やけ起こすぜ」

「もう次の列車が来る。それに乗るぞ」

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