第二章 2

 その広間はあまりに広く、そしてあまり大仰に過ぎる、とルーファスの目には映った。

 頭上には天球儀を抱えたブリタニアの女神の半身像が壁より突き出てこちらを見下ろしている。周囲の柱という柱やその間に、主を守護する天使像や、過去の英雄たちの像がいくつも並ぶ。ルーファスが立つ床の一面には帝國の版図を示した世界地図。そこに重ねて描かれる大英帝國の國旗、ユニオン・フラッグ――海軍出身のルーファスには、ユニオン・ジャックの名のほうが、通りがいい――。そのすべてが装飾過多であり、帝國の権威とやらをけばけばしいほどに協調している。ここに集まる連中の精神をそのまま具現化しているのがよくわかる。つまり、おめでたい頭の中をそのまま晒しているに等しい、というのがルーファスの解釈だった。

 その連中、というのは、ルーファスを円状に囲む席の向こうにいるはずの面々のことだ。軍の上層部はもちろん、財界、政界に顔が効く人間たちの顔がいくつも並んでいるはずだった。もっとも、そのどれもが実際にこの場に顔を出していることはありえない。どれも虚像映写奇械ホロウ・グラフィカが見せる化身アヴァターラにすぎないはずだ。だが、その化身の姿さえも、誰一人まともにルーファスの前に示そうとはしない。

 広間に照明はほとんどなく、数少ない照明はすべてルーファスの立つ一点に集められていた。聖ジョージ、アンドリュー、パトリックの三十字が重なるユニオン・フラッグの中心にルーファスは立たされている。ルーファスはそこから席のほうは逆光になって暗闇にしか見えない。

 彼の逆立つ赤毛は、彼が北の地、アイリッシュの人間であることを物語っている。三十字の内、パトリックの旗が、彼にとって本当の国旗と言えた。

「此度の事態、我々にとってまことに不本意であるとまずは言わねばなるまい」

 暗闇の奥より突如、厳めしい声が広間に響き渡った。

「その言葉、そのままお返しいたしましょう」

 ルーファスは即座に言い返したが、声の主はそれを無視した。

「事は密かに、國民を動揺させることなく済ませたかった。しかし事の重大さとなりふり構わぬそのやり方。もはや暗に解決できることではなくなっていた。それによる実力行使となったわけだ」

「なりふり構わぬやり方をしているのはどちらですか。これまでの関係を無にするやり方、民事に軍の都合を押し付けるやり方、法の支配する國の姿とは思えませんな」

 ルーファスが冷たく言い放つと、先ほどの厳めしい声とは別人の、ルーファスとは正反対に檄した声がいくつもルーファスに叩き付けられた。

「どの口が言うか、ルーファス・ブラッドフォード卿。貴様とて減らぬ口と腹のうちでは、己が独裁を目論んでいるのだろうが」

「そうだ! 大英帝國の繁栄が己一人の手によるものだなどと思い上がるのもそこまでだ!」

 同時に失望の声も上がるのをルーファスは耳にする。

「ブラッドフォード卿。君はもう少し賢い人物だと評していたのだが。今の自分の立場をもう少しわきまえるべきだよ」

 他にも四方八方よりルーファスに対する非難の声が上がる。

「そのように好き好きにものを言われては、こちらも答えようがない」

 その発言がさらに油に火を注ぐように避難の声が増す。ルーファスが一切動じない姿勢を見せていると、例の厳めしい声が響き、無秩序だった場がしん、と静寂に包まれる。

「貴様の狙い。ここはその詳細を問う場だ。ルーファス・ブラッドフォード卿」

「狙い、とは?」

「とぼけても無駄だ! プロメテウス計画の成果をM&Iが密かに回収し、続行していることはつかんでいるのだ」

「忌まわしき研究だ。あの計画は軍によって破棄されたものだ。それを秘密裡に続行していることがすでに何の企みかと疑われても仕方がないものだ」

奇械MAGの研究開発は帝國の利益のために行われなければならん。秘密などあってはならんのだ。M&Iはすでにただの一企業ではない。貴様の私有物であるなどとはもってのほかだ。立場をわきまえろというのは、つまりそういうことだ」

「それで? その疑惑があなた方の中に芽生えている、と。どこで吹き込まれたことか、誰の妄想か知らないが、それだけで軍を動かして営業妨害を行うなどと前代未聞の珍事を引き起こした理由としているのではありますまいな」

 再び場が盛り上がりそうな発言だったが、それを受けたのは例の声、一人だった。

「イルミナ・フェルムウォルンタスの失踪。あれもおおいに疑惑が残る。プロメテウス計画を貴様が続けているとなると、単なる失踪とは結論しがたい」

「つまり?」

「皆まで言わせるな」

 つまり、イルミナが隠れて計画を実行しており、そこには軍には明かせない後ろめたい事情が存在している、と言いたいのだろう。

「では、我々がフェルムウォルンタス特別研究員の身柄を隠匿しており、その捜索が今回の騒動ということでしょうか」

「そのうえで、貴様が保有するイノバティス、それにイグナイトにまつわる諸権利も問題となっている」

「イノバティス。M&I社の警ら隊というが、あれは軍だ。一会社が持つにふさわしい軍事力をはるかに超えている」

「イグナイトの技術的独占、市場的独占状態も問題だ。是正されねばならない」

 イノバティスとは、そもそも海外への奇械MAG輸送船を狙う海賊、あるいは他国の私掠船からの保護を目的で設立した警ら隊であった。海軍出身であるルーファスらしい組織づくりでとM&I社製の最新鋭の奇械MAG武装により、正規の帝國海軍をも凌ぐ実力を持った部隊になっているとの評判を得ている。

 現在、イノバティスは活動の幅を陸上へも広げ、要人警護や施設警備、奇械MAG犯罪者、通称「奇械狂いDOPE」の取り締まりといった治安維持全般を担うようになっている。設立当初はM&Iが帝國の繁栄に寄与していることを喜んでいた軍、議会、国教会、そしてその背後にいる保守的な上流階級アッパークラスの面々だが、いつしか大きくなりすぎたM&Iとルーファスの力を危険視するようになっており、その緊張感は当然ルーファスも認知していた。

 一方で、そうした既得権益者の中には、ルーファスと友好関係を築いて、その力にあやかろうとするものも、当然のように現れる。結果、親ルーファス派と反ルーファス派という派閥争いが始まる。それこそ、すべてルーファスの思惑どおりであり、この場が反ルーファス派の一堂に会す場であることもまた、ルーファスの思う壺であった。

 ルーファスは鼻だけで小さく溜息をつく。

「ならば法を設けるべきです。軍の力だけで抑えつけられてはたまったものではない。議会や法廷も交えて、国策として動いてもらわねば」

「そんな猶予はない。貴様に時間を与えるわけにはいかん。貴様の野望から帝國を守るためだ」

「根拠のない話しです。根も葉もない噂に踊らされているのがわかりませんか」

「噂か否か、それを今これより確かめようとしているのだ、ブラッドフォード卿。そのためにも貴様には枷をはめる必要があった」

「じゃじゃ馬にはくつわと手綱が必要ですからなあ。まあそれでもゲートまで曳くには骨が折れそうな馬ですが」

 そんな茶々が入ると、どっと笑いが起きる。帝國の間での娯楽も、奇械MAGによって大きく様変わりしたが、競馬だけは本質を変えないまま、多層都市の高層部にそのまま競馬場を建てるかたちで存続している。競走馬や騎手が奇械MAGを用いるようなレースも一般には禁止され、むしろ奇械MAGによるいかさまを以下に起こさないようにするか、その監視に奇械MAG技術が投入されている。むろん、下層市民たちの間で行われる非公認のレースや田舎の賭けレースではその限りではないようだが。ともあれ、ここに顔を出しているような面々の中には、奇械MAGの利点は認めつつも、奇械MAGを用いないやり方を伝統的なものとして尊重する傾向を持つ人物が少なくない。それにはルーファスのような人物が奇械MAG産業の発展によって中産階級から成り上がりとして権力の座に台頭してきたことと無関係ではないはずだ。

「卿への疑惑、そのうえでじっくりと追及させてもらおう。まずはイノバティス」

 何人がこの場を傍聴しているかわからないが、結局取り仕切っているのは、厳めしい声の男一人だ。この男が何者かは、ルーファスには察しがついていた。この男こそ、ルーファスがこの場の席の暗闇の向こうから引きずり出そうと、唯一の標的としている相手だった。

 リッチ・ギャリオット。大英帝國上流階級アッパークラスの社交界の裏に存在するとされる結社・フラタニティの主要メンバーの一人と噂される男。

「イノバティスは軍の配下に位置する組織とし、最高司令官である女王陛下の指揮のもと、陸海両軍によって実際に運用されることとする」

「これはむしろ喜ばしいことではないか、ブラッドフォード卿。これでイノバティスは名実ともに帝國の守護者として認められることになる」

 そうだそうだ、と同意の声、賛辞の声、拍手がいくつか起こる。あからさまで幼稚な皮肉をルーファスはいっさい無視する。

「そのような強引な再編成、果たしてうまくいきますかな。どちらにとっても不利益にならぬか心配ではありますが」

 ルーファスはあくまでギャリオットに対して話す。

「無用な心配だ。いや、今は貴様自身の身を案じるべきだな。そしてイグナイトだが」

 イグナイト――これこそ、ルーファスがイルミナとともに世に送り出した最大の成果であり、M&Iを帝國最大の企業にまで成長させ、帝國を世界最大の奇械MAG文明の國に至らしめたものに他ならない。

 奇械MAGはエーテル反応によって世界の摂理に働きかける仕組みを持つ装置であり、その働きかけ方を定義しているのがスペラだ。スペラを実行し、エーテル反応を促進するには何らかの燃料が必要であることは、奇械MAGやスペラの研究の初期段階からわかっていたことだった。従来の蒸気機関などの外燃機関や、内燃機関といった熱機関では、石炭やガス、石油などの燃料をエネルギー資源として用いて力を生み出し、働いていた。それと同じように、スペラもまたエーテル反応を起こすには、何かしらのエネルギーを消費していることは明らかであり、そのエネルギーが不足した環境下では、スペラはエーテル反応を発生させられなかった。

 スペラは魔術的と言われる。古来より魔術の類を行使するのにも、何かしらのエネルギーが必要だとする説や論はいくつも存在した。だが、そのエネルギーが具体的に何かというと、それは術の使い手自身に内在する精神の力であるとか、生命そのものの力であるとかと諸説が存在し、また別の論ではそれは自然界に偏在する不可視のエネルギーであるとか、またはこの世にあらざる異界からの力を引き出しているだとか、口伝での言い伝えだとか、カルトと呼ばれる魔術師の結社と自称する集団の文書であるとか、国教会からは異端とされている宗派の経典であるとか、などと、さまざまな出典ソースが存在していた。

 ルーファスとイルミナが研究の果てに導き出した答えは、結局のところ、どの説も間違いではない、という折衷的な結論だった。

 スペラはその働きの内容によって、必要なエネルギーの供給元をさまざまなところに求めていたのだった。諸説乱れる状況を生んでいた要因が判明するとともに、しかしそれぞれの供給元からスペラがは、最終的に同じものであることをイルミナが突き止めた。

 これはルーファス一人ではできないことだった。彼女の飽くなき好奇心、奇械MAGやスペラだけでない、万物に対する広い視野と関心が可能としたことだった。

 様々に存在する供給元より抽出し、純化にも成功し、スペラの燃料の精製法が確立し、M&I社で特許と取った。量産と販売ルートの開拓、M&Iの組織運営と拡大はすべてルーファスの仕事だった。

 スペラの燃料の名を、イルミナはインディアの古き神の名を借りてイグナイトと名付けた。現地インディアの言葉でアグニ・ヤヴィシュタ。火の神である。イグナイト発見の地がインディアであったことから、その名をつけた。

「疑惑が解消するまでM&Iにはイグナイトの一切の取り扱いを禁じる。これは決定であり、M&I社側の一切の意義は受け付けない」

 大きな拍手があがる。イグナイトの市場を狙うものは多い。自分たちが扱おうとしているものがなんであるかもわからずに。

「プロメテウス計画さえ失敗に追い込んだあなた方が、今さらどうしてイグナイトを扱えるなどと思えるのです? さらなる混乱を引き起こすだけだ」

「つまらぬ挑発は一笑に伏すとしよう。何を言おうが貴様は一切の自由を失うことになる」

「挑発? 忠告のつもりだが」

 場が沈黙する。

「私を封じたところで何も変わらない。無駄だ。よしたほうがいい。あなた方はずいぶんと物事を甘く見ているようだ。常にそうして安全な場所にいるからそうなるのです。私は田舎者の成り上がりですが、成り上がりには成り上がりの矜持がある。臆病者たちの好きにはさせませんよ」

 忍び笑いがかすかに聞こえる。負け惜しみだよ、という囁き。すでに彼らはルーファスのことを籠の中の鳥と思い、安心しきっているのだろう。

「そうかね。……そうだ、貴様に一つだけ朗報がある」

「ほう? なんです?」

「バルナ・ヴィバート・フェルムウォルンタス。イルミナ・フェルムウォルンタス嬢の養子だそうだな。奇械MAG技師としてM&Iインディア支社の社員をしていたそうだが」

「それが?」

「彼は無事にロンデニウムに向かっているそうだ。貴様は彼をなんとでも確保しておきたかったようだな。どうやら無事に帝國本土にたどり着けそうだよ」

「ほう。優秀だ。評価しないといけませんね」

「彼は第二のプロメテウスの供物。超人の適格者ではないのかね?」

 ようやく核心が向こうの口から出た。焦っているのは向こうのほうだ。

「懐かしい言葉が並びますな。それにしても、プロメテウス計画に未練があるのはよほどそちらのほうですな」

「懐かしい話はそれだけではないよ。彼を保護しているのはあの『鬼火ウィスプ』だと言うのだからな」

「『鬼火ウィスプ』、ね」

「かのウィリアム卿にイルミナ嬢、それに貴様と、役者はそろったな。これが偶然であるはずがない」

「……何やら楽しげな脚本がそちらの頭には浮かんでいるようですな。聞くだけ聞いてみましょうか」

「訊くのはこちらのほうだよ、ルーファス・ブラッドフォード卿」

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