第一章 4

 最初に動いたのは父だった。

 人質に取られた妻のことも、事の成り行きを見守り、ときに父の怒りを取り成そうとしていた従者たちのことも、意に介さないようだった。

「少佐! お、お止めくださいっ!!」

 声を上げたのはアナンだった。

 父はアナンの銃口を素早くその手に掴み、さらに銃身も掴んでひねりあげ、アナンから銃をもぎ取ろうとした。しかしその試みは失敗に終わった。アナンは抵抗に成功し、父とアナンで銃を引き合いつつ、もみ合う状態になった。

「少佐!」

「ご主人様!」

「あなたっ!」

 周囲で次々に上がる喚声。

 娘には今、眼前の出来事がすべて異様なほどゆっくりと見える。

 これから起こることをすべてその目に焼き付けさせようとするかのように。

「この銃をよこせ、アナン!」

 父が吠える。

「駄目だ! 止してください、少佐!」

 アナンが悲鳴のような声を上げる。

 誰もが、ナーナーさえも静止させることができず、その瞬間を見ているしかできなかったその一瞬のあと。

 ぱん、と、火薬の爆ぜる乾いた音が、もみ合う二人の胸元あたりで響いた。

 もみ合っていた二人がその音を合図にしたように離れた。

 いや、父のほうは吹き飛ばされるように――いや、実際に吹き飛んだのだ。

 間違いなく、奪おうとしていた銃の暴発、その破裂の勢いによって。

 甲板に倒れこむ父。その胸は血に濡れていた。

 一方で、かろうじて倒れこむのを片足で踏ん張っていたアナンは、暴発によってひしゃげた銃を取り落とした。その腕は、もとの形を留めていない。もう片方の腕、その手のひらで顔面をつかみ、声にならない声を上げて悶えていた。

 もはや娘には、この場で起きたことのすべてが、関係性を失って、バラバラになっていた。幼くも賢いと言われていたその理性も、不安も、恐怖も、心のすべてがかたちをなくした。


 それが、この時空間で高まりを見せたイグナイト――アグニ・ヤヴィシュタの観測しうる極値を示した瞬間だった。

 のちに『コーンポーの悲劇』と呼ばれることとなる、歴史的事件の最高潮の瞬間となった。


 残されたのは、帝國もインディアもなく、誰もが暴徒と化して繰り広げられた虐殺の記録。その結末として、帝國の人間が誰一人として帰らなかったという事実。ナーナー・サーヒブは姿を消し、歴史の表舞台に姿を現すことはなかった。

 父も母もコーンポーの地からの生還はかなわず、ただ一人、帝國人メトロポリタンでもインディアの民でもない娘だけが、その家の生き残りとなった。

 身よりを失ったその娘、ミトラは大英帝國に保護されることになった。

 マギテック・アンド・インタストリィ、通称M&I社の特別研究員フェロー、イルミナ・フェルムウォルンタスによるミトラの監視養育と、ミトラに内在するイグナイトのポテンシャルについての研究が、結果的に大英帝國の奇械MAG文明を次の段階へと飛躍的に進歩させることになったのは歴史の皮肉というほかない。

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