第三節 忌みし火葬場


 先輩と電話して以降、ますます僕は作業に身が入らなくなった。

 誰一人として来られなかったバイトの人員達。N先輩以外も、やはり何か特別な理由があるのだろうか。


「そういえばオッサンは、体調不良とか言っていた気が………」


 無理に独り言を言いながら、僕は2つ目の木箱に釘を打ち終わる。

 これで空いた段ボールは4つと半分。午後になってペースが落ちているとは言え、一日で四万円以上稼いだことになる。


「さて……燃やしに行くか」


 二つ目の棺桶を台車で運び出し、出来るだけ無感情に火葬場へと送り込む。

 そして地下室に戻ってきた時に、奇妙な出来事が起きていた。


「あれ、無い……どこに置いたっけ……?」


 作業台の上に置いていたはずのトンカチがなくなっていたのだ。


「確か釘を打ち終わった後は、作業台に置いたはずなんだけどなぁ……」


 工具箱の中を探すが、やはり使っていたトンカチは無い。

 いや、それどころか……。


「ハサミも無い……?」


 ぬいぐるみ用の裁ちバサミ工具箱から無くなっていた。

 

「どういうことだ……?」


 オッサンが何か別のことに使うために持っていったのだろうか。

 いや……それはあり得ない。この部屋を離れる時は必ず南京錠をかけるように厳命され、鍵を渡されているのだ。だから僕が棺桶を運んでいる間に、誰かがこの部屋に入ることはない。だからトンカチもハサミも、必ずこの部屋の中にあるはずだ。たぶん僕が無意識のうちにどこかに置いてしまったとしか……。


「……なんだ、あれ……?」


 部屋の中を見回しているうちに、僕はそれに目を留めた。照明が薄暗いため、目を凝らすまで気付かなかったのだろう。入り口の鉄扉の内側に、無数の……。

 その時だった。


「ん、どうしたんさ」


 僕が凝視しているその扉が不意に開かれ、オッサンが現れたのだった。

 そしてオッサンは、


「そろそろ時間だ。今日はしまいにするさ」


 僕に向けて、そう言ったのだった。


「……もうですか? すみません。まだ全然終わってなくて」

「んなの、明日続きやれさ」

「あ、明日もですか。まあ、三連休なんで、来れなくは無いですが」

「なら明日だ。明日」

「でもまだ午後の四時すぎですし、もう少しぐらいやってから帰っても良いですか。せめて五時ぐらいまでは……」

「駄目だ」


 当然大丈夫だと思った僕の申し出を、オッサンは断固として許さなかった。

 そしてその理由を、オッサンは有無を言わせぬ口調でこう告げたのだった。


「もう日が暮れる」

「だからダメだ」


 …………なぜ??

 

 この窓一つない地下室での作業を、なぜ日が暮れるなどという理由で中断しなくてはならないのか。僕はそれに続く説明を待ったが、しかしオッサンはその言葉だけで十分だと思ったらしい。さっさと工具箱をしまい始めてしまう。


「お前さも、さっさとその箱に蓋して、ようくテープでとめろさ」


 まだ片付けきれていない五箱目の段ボールを顎で示し、そう言った。


「あ、はい」


 ……しまった。トンカチがないことを言い出す前に、工具箱を棚に片付けられてしまった。まあ、良いか。明日また相談すれば。


「四箱だから四万な。カネは帰りに事務室で渡すっから」

「はい、ありがとうございます

「あと、明日も必ず来いさ。なんなら人手足りねえし、誰かダチ公も連れて来いさ。良い稼ぎだろ? 簡単な仕事だろさ」

「……はい」


 内容を知った今としては、もう手放しに勧められる仕事ではないけれど……ともかく僕は素直に頷いて見せた。これから今日の稼ぎを払ってもらうとなれば、余計なことは言わないに限る。

 その代わりに僕は、部屋を出る時にオッサンに尋ねた。


「なんですか、この跡は?」


 僕がそう言って指さしたのは、鉄扉の内側であった。

 赤く錆びついたその古い扉の中側、その腰から下ぐらいの範囲に無数の傷がついていたのだった。尖った何かでガリガリと表面を削ったような、そんな掻き跡のような無秩序な痕跡であった。

 僕が尋ねたそれを見て、オッサンは明らかな逡巡を見せた。


「ああ………………これな」


 少し言葉を濁した後で、オッサンは何気ない風を装って言った。


「……犬だよ、犬」

「犬ぅ!? それはないでしょう」

「ホントさ。ケージから逃げた犬が、引っ掻いた跡だろさ」

「なんでこんなところに犬なんか?」


 するとオッサンは、めんどくさそうに僕に説明した。


「今はやっとらんけどな」

「はい」

「少し前は、この辺も犬猫を飼っとる家が多かったんさ。景気が良いとこが多くてな。ペット葬なんて酔狂なもんにカネ出す家も、よーさあったんさ」

「なるほど」

「けんどここ数年は特に不景気になってな。犬猫飼っとる家なんぞ、もうまるで見んようなったわけさ」

「どこも大変なんですね」


 そんな世間話をしながら、僕は今日の賃金を受け取って火葬場を後にする。

 まあともかく金さえいただけるなら、文句はないのだ。


 ……。

 …………。

 

 賃金のことが気になり、僕は聞き流していたのだ。

 帰り道も半ばを過ぎたところで、ようやく僕は気づいたのだった。

 最後にあのオッサンは、身の毛もよだつ話をしていたのだった。



「……あの火葬場……ヤバいな……」

 


 ポケットの中で四万円を握り締めながら、僕は呟いた。


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