8 芳香族化合物の香りの向こうでも

 「!」

 飛んだ意識が、戻って、開いた目に付いたのは、光と天井。

 なお、聖光による光ではなく、蛍光灯の明かりで。

 天井は、清潔の白で彩られいて、だから空の下ではない。

 意識が戻ったら、感じる、独特の薬品臭。

 芳香族の独特な。

 ある意味では、かぐわしいが、僕としては圧迫感も感じる、甘い芳香。

 分かることは、……病院か。

 「……いててて……。」

 動かそうとして、感じる痛みに苦悶しながらも。

 ゆっくり体を上げて見れば、病室の一幕。

 ……らしく、傍を見れば、僕の心臓と連動して、定期的に、リズミカルに。

 それでいて無機質に音を立てる心電図系、それと点滴がある。

 見渡すと、不思議なことにベッドあれど、ほとんど空っぽで。

 埋まり過ぎて、外まで患者が溢れる。

 凄惨な光景よりは、ましなのかもしれないが。

 それ以上に僕は、まずこんな目に遭ったことに、苛立って。

 反動として、いっそ、患者が溢れる。

 凄惨の、悲壮だらけの光景ならいいのにそう思う、せいせいするよ。

 残念ながら。

 いるのは、僕と、すぐ隣の、カーテンで外界と遮られた、病人のみ。

 ふん!平和なものだ!

 「!!あ、あの……っ!!」

 「!」

 僕が体を上げた、そのタイミングで入り口から、あの少女が姿を現す。

 僕は、こんなほとんど平和な情景への苛立ち。

 よくも痛めつけたなと相まって怒りの一睨み、ぶつけて。

 「うっ!!……や、やっぱり……。」

 明らかに、自分への非難があると察した少女は、ここでまた身を引きそうで。

 「そ、それよりも……っ!せ、先生呼ぶね!」 

 「……。」 

 逃げるようだが、当然の行為をするために。

 怒れる僕に、怯えを見せつつも、ナースコールのスイッチを押した。 

 コール聞きつけたか、看護師の足音が。

 遠くよりリノリウムの床を、速いテンポで叩く。

 入るなり僕を見て、確認したなら、さらにコールをするようで。

 「〇〇号室の萩原さんが、お目覚めになりました!」

 応援に、コールが響く。

 近付く足音が多く、あり。

 医師と、他補助のために看護師が数名、僕の前に姿を現した。

 「!」

 いきなり顔を覗き込まれ、僕は怒りよそに、身を引いてしまう。

 「……ふむ。反応がある。では、これは?」

 「?」

 覗き込んだ医者は、次に、と鏡を差し出して、僕を映す。

 「!」

 見た僕は、自分の姿に軽く悲鳴を上げそうになった。

 何せ、頭部には包帯が巻かれ、体にも。

 頬にもガーゼが当てられてと、……散々たる姿。

 途端、よそにやった怒りが、また溢れてきて。

 「っ。……僕です。この傷は……。」

 そうであっても、相手は医者で、僕を助けようとした人たちだ。

 怒りをぶちまけるのは、お門違い。怒り押さえながらも、質問に答えて。

 続けるに、傷のことを。

 聞くとお医者さんは口を開いて。

 「!ああ、そうだね。君の傷は、結構なものだったよ。火傷が少々、それと、かなりの数の打撲痕があって。事件性があるかもってね、警察の人が君の意識が戻ったらって、言ってきててね。」

 「……だ、打撲……。っ!」

 ありがたいことに質問に答えてくれて。ただ、多数の打撲という言葉聞いて。

 僕は言葉詰まらせて、軽く歯軋り一つ、残す。

 当たり前だが、その痣はあの男だ。

 人を散々痛めつけて、脅した、あいつだ。思い出したなら、歯痒くてならない。

 「?!い、いててて!!」

 「あぁ?!き、君ダメだよ!結構痛めつけられているんだから。」

 ……当たり前だが、だとすれば痛みも走るよ。

 僕は痛みに今度は軽く呻きそうになり。医者は、慌てて僕を介抱してくれた。

 介抱し、また、検査をして、僕はまた寝かされる。

 「……。」 

 「……。」 

 嫌に静かだ、それも、元気な人が傍にいるにも関わらず。

 ちらりと横目に少女を見ると、まだ僕に睨まれた感があってびくりとさせる。

 だが、いつまでもびくついているわけにもいかず。

 観念もあるが、それ以上に申し訳なさもあり、少女は静かに口を動かす。

 「……ご、ごめんなさい。ち、力になれなくて……。それ以上に、あなたにケガまでさせてしまって……。」

 「……。」  

 僕は静かに聞いていて。

 怒り、怨讐、未だ心にあれど、相手は真剣に頭を下げてきた。

 それを僕は、邪険にするほど終わってもいない。

 微かに溜息一つ、漏らして。

 「……今更だ。どうせ、運が悪いのも今更。こんな目に遭うのも、今更。どうせこうなんだろうから、君が何をしても一緒だよ。……ああ、それに僕も僕だ、無理な願いをしたのも事実だ、そこは謝るよ、ごめんね。」

 「……。」 

 何も、落ち度が彼女だけにあるわけじゃない。

 無理強いしたのは、他ならぬ僕もだ、冷静に言い聞かせ、謝罪の言葉述べて。

 「……。」 

 少女静かに聞いていて、また、僕は沈黙して。

 言い終わって僕も、静かになるならまた、沈黙だ。

 もう、申し訳なさもいい。それよりも、当分何もすることもない。

 なら、何か話が欲しいものだ、僕はそっと体を動かして、起き上がらせて。

 「!」 

 少女は、その様子に、やはり心配そうな視線を向けて。 

 止められたそれに、なら、何かいい話でもあるのかと。

 きつい視線をまた与えてしまい。

 少女はまた、体をびくつかせてしまう。

 そうであっても、察しはついたようで。

 その察し良さは、異質だろう、その姿も相まって。

 そうして、僕の求めていることを汲み、口を動かした。 

 「その、ええと、気が紛れるなら……。」

 「……。」

 「わ、私、神様なんだ……。まだ、名前なんてないんだけど、あの、ね、あなたが見た、止まった世界の先の、遥か向こうの世界から来たの。」

 「……へぇ。」

 身の上話から始めてくる。僕は生返事一つ、聞き入って。なお、疑っている。

 自らが神様であるならば、それを証明してみせろってな。

 意地悪にも、隠しながらそう思っている。

 「……あ~……とね。修行中で、上手くまだ力、使えなくて。……ちょっと、ほとんんど聞いてないでしょ?」

 話続けていたが、どうやら僕の態度がバレた。

 気付いて言葉区切り、今度は少女が睨んでくる。

 「……ごめんよ、あんまり信じられない。君が、本当に神様なら、神様だけが見せる、奇跡がないとね。」

 弁明に僕は、だが、申し訳なく思うこともなく呟いて。

 どこか、飄々としてもいたかもね。

 そう、証明なしには、信じられないでいる。

 神様というなら、あの出雲大社の。

 出雲大社で見せた、琥珀色の世界で。

 願いを叶える、予感させる美しい情景を見せなくては……。

 けれども少女、それを見せないでいる。

 ……どころか、僕をいたずらに痛めつけて来て。

 「……むっ!素直じゃない!」

 僕のその態度、気に食わなかったようで、少女はすこし頬を膨らませて。

 言いいきなり僕の鼻を強くつまんできた。

 「?!い、痛い痛い痛い!!!……っ!このっ!」

 痛みに叫び、怒りもまた蘇り。

 ああほらね、ここでも痛めつけた。 

 痛みのあまり、睨み返したなら、少女の表情反転、怯えに。

 「?!うぐっ?!」

 怒りを強く、表現させようとしたならば、体中から痛みが走り。

 これ以上露にすることができないでいる。

 僕は小さい悲鳴上げたなら、大人しくベッドに横たわるしかなく。

 「くっ!」

 悪態ついて、怒りごと押し黙った。

 「……。」

 「……。」

 そのためか、沈黙がまた、病室に漂い。

 ……流石に、強引か、押し黙りも。僕はぽつりと、口を動かして。

 「……萩原桃音。」

 「……えっ?!」

 沈黙破ることに、僕の名前であり。

 いきなりのことに、今度は少女、目を丸くしてしまい。

 「……僕の名前だ。僕のこと、話していなかったからね。君ばかり、話して、何だか不平等だ。話すよ。……僕の半生も、怨讐の理由もね。」

 「!う、うん……。」 

 このままじゃ、不平等。僕もまた、自分のことを話し出す。

 少女の頷きに、あの僕のモノローグよろしく、語りだした。

 ……。

 ……。

 「……。そういうわけだ。」

 今までの怨讐、不幸全て語って。僕は、一息ついた。

 少女は聞いて、僕の悲しみに当てられたか、少し悲しそうにしていた。

 「……。」

 「……。」

 聞いた上で、言った上で、二人やがて押し黙って。

 やはり、この、身の上話は辛過ぎたか。後悔したよ。

 「……そう……。君は……そういう人か……。」

 「?!」

 感想は別の所から言われ。どこからだと僕と少女は見渡すと。

 その声の元は、どうやら僕の隣のベッドのようで。

 そう、カーテンにて、外界と遮られた患者だ。

 「!」

 その時しまったと思い、口を手で覆う。

 お喋りが過ぎたかともあり、聞かれていたことを恥ずかしく思い。

 二人とも、視線逸らしたら、赤くなって。

 「……ごめんよ……勝手に聞いて。……ぼく、孤独なんだ……。誰も、お見舞いに来てくれないし、君たちみたいに、人間らしい会話もない……。」

 そうしたなら、カーテンの向こうから謝罪の言葉聞こえて。

 それも、やけに寂しそうな声で。

 「!!」

 その声聞いて、思わず身震いしてしまいそうなほどの悪寒感じて。

 僕は両手で体覆い。

 恐怖?違う、寂しさ。それも、深い孤独の。

 では、その人物とは、カーテンのその向こうの姿とは。

 「……ごめんよ……。ぼくは君たちの所に、行けない。勝手に聞いていたのにぼくは君たちの元に、行けないんだ。自分勝手だね……。」

 「……。」

 聞き耳を立てていたその人物、だが自ら姿を現すことはない。

 弁明告げ、それがどこか辛そうにも聞こえて。

 僕は、静かに聞いていて。

 「……その、よかったら、カーテン開けてくれない?久し振りに、他の人の姿見たいんだ。……ごめんよ、また自分勝手だね、」

 僕が利く耳を立てていると、察したか。

 カーテンの向こうの人は、お願いを僕に言ってきて。

 「……。」

 その願いは、残念ながら聞き入れられない。

 僕もまた、体を動かせない、と感じる。

 「!」

 ならばと、少女が気付いて。

 自ら先に、そのカーテンを開け、その主を僕の目の前に晒した。

 「?!」

 声の主、露になって僕は息を呑んで。

 声の主、体中はチューブというチューブで繋がれて。

 生命維持装置の、一定リズムの音は、心臓の鼓動でありながらも。

 しかし、無機質で。

 最早、そこに人間らしい生が感じられない。

 代わりに、生物的生だけが、それも最低限与えられるだけであって。

 顔は辛うじて分かり。

 頬はこけ、色合いはよくなく。そう、生気は感じられない。

 そうであっても、その人は、精一杯の笑顔を見せて。

 その人が見せる、精一杯のもてなしだ。

 カーテンを開けた少女も、思わず絶句してしまい。

 「……。」

 情景、容体に、誰も、言葉交わせないでいる。 

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