第19話 白灰のエクスプローラー

 迷宮の壁も床も天井も他人の記憶で作られており、一生分の記憶を辿ってようやく歩みを進めることができる。それを経験する者にとってははじまりと終わりがあるが、外から見る者にとってはじまりも終わりも無い。よってこの迷宮にも、出口はないのだろう。

 シェルウは混乱の神の誘惑により、彼がかつて預かった無数の記憶からなる迷宮に閉じ込められていた。"記憶の中に自分がいる"ならば、位置関係として"自分の中に宇宙がある"はずだ。内と外の逆転は、しばしば見られる魔術の作法である。本物に等しくなる偽物、動かずに遠くのものに触れる手、増殖と反復。目に見える世界は錯視のひとつであり、また別の錯視を垣間見ることが魔術である。

 通路の向こうに、記憶の迷宮を彷徨う自分がいた。年老いて疲れ果て、ことばさえ忘れたシェルウ。はじめて見た花を持ち帰ろうと、リエムメネムの聖域を目指すシェルウ。愛するキリの元へ帰ろうとするシェルウは、この迷宮に順応しなければならなかった。


 目を覚ますと─あるいは眠りに入ると、シェルウは隣にグージィが寝ていることに気が付いた。

「グージィの接触の禁は解かせていただきました。わたしひとりでは、手当が追いつかなかったもので。それと勝手ながら、男の体についても教えさせていただきました。どうか、いずれあなた様からも教えてあげてください」

 シェルウが気を失っている間に、一体何があったのだろうか。

「…わたしは心得違いをしておりました。あなた様をまるで無敵の半神様だと。こんなにも傷ついて戻られるなんて」包帯を換えながらキリが呟いた。

「シェルウ様の主である忘却の神は、あなた様にこれほど厳しい試練を授けなさったのでしょうか。だとするなら酷な神です」

「今回はわたしのやりかたも悪かった。相手はタルクスの眷属だったから、言えば何とかなるだろうと思っていた…その慢心も反省すべき点だ。紙一重の勝利を繰り返していては、とても試練を成し遂げることはできないだろう」

 実際、冥神のよしみで話が通じたし、結果的にはそれが良い方へ転んだと言える。ただ問題は、冥神を相手にするという状況そのものの方だ。

「相手の強さに関して言えば、確かに主の御心の外であったかも知れない。寺院に居座った"原始の神"は冥神に属する者だった。それを降ろす秘儀は、地上で知られていない…それは冥府だけのものだ」

 冥府の主タルクスの"とげ"が盗まれ、三柱の娘が回収のため地上に使いを出した。順番で言えばシェルウは三番目である。おそらく、"とげ"のかけらを使い冥神を降ろした秘儀は、シェルウ以前の使徒の手ほどきによるものだ、とシェルウは考えた。シェルウ以前の使徒が取り込まれたか、ヴフの皇帝の配下となったのだ。

 皇帝には臣下がいる。禁忌を操る魔術師たちか、冥神の使徒か。各地に残る戦争の爪跡も、組織が行なっていると考えるのが妥当だ。そもそも生きた人間が冥府に行って戻ってくること自体、人ひとりができる業ではないのだ。どこぞの神の力添えもあったかも知れない。

「このような戦いを続けるのであれば、あなた様の身が持ちません。わたし自身が傷つくのであれば耐えましょう。しかしあなた様がこれほど傷つくことは、耐えられそうにありません」

「戦いかたについては策を練ろう。田舎で愛するきみたちと暮らすのもいいが、それは全てが終わってからだ」

 キリはシェルウを抱きしめて言った。

「ありがとうございます、シェルウ様。…いつまでもこうしていたいところですが、そこで寝たふりをしているグージィにはばかられるので、ここまでにしておきます」


 シェルウの傷がふさがってきた頃、報告書を作っているシェルウに、キリは一通の手紙を持ってきた。隠れ家の扉に挟まっていたと言う。

 それはタッタやテパの大領主を取りまとめる"北方限界国"の首都からの、国王直々の招待状だ。報告するまでもなく、シェルウのカトラ地方での活動は全て筒抜けであった。


 首都の宮殿に赴くにあたってそれらしい装いをしたキリは、魔術で栄えた国の貴族のようであった。憮然とした表情がかえって位を高く見せる。妖精のようなグージィは不安気だ。しかし不安なのはシェルウも同じである。会見ではできる限り人を抑えるとのことだったが、今回ばかりは最低限の兵がいる。名前でしか知らぬ人々も。彼らに不信があったとしても、突然に敵意を飛ばしてくることはないだろうと踏んではいるが、実際のところはわからない。

「国民を代表して礼を申し上げる。ありがとう、白灰どの。しかし我が国の歴史に刻まれる英雄を公にできぬとは、なんとも残念だ」

 国王の態度は威張ることもなく、こちらの気を急かすようなこともない。得体の知れぬ若者への不信はあるはずだが、それを微塵も感じさせないものだった。子に対する父とはこういうものだろうか、とシェルウは思った。

 会見は首都の宮殿で、夜、秘密裏に行われた。王の補佐役数名、神官の派遣を願った手紙の受取人である王妃、首都の祭事長、若干名の近衛。パド祭事長やタッタ領主も出席している。

 シェルウは改めて、主の戒律により人目に多く触れることに危険があること、従って栄光を浴することは身の破滅を呼ぶこと、主である忘却の神も、現世において殊更に信仰を集めようとはお考えではないことを申し開き、隠れた活動に対する詫びを入れた。それから亡者と霊の浄化、亜神討伐、洪水解決の支援に対する礼を述べた。

「秘密裏に行った件については仕方あるまい。秘密があるということを話すことさえ、秘密を守る上では危ういのだから。神のご指示や力添えがあったにせよ、成し遂げたのは間違いなく白灰どのの意志と知恵だ。それは公にはできずともこの場で賞賛されるべきもので、そのためにこそ貴殿にご来ていただいたのだ」

 褒美の話が出ると、シェルウは申し出た。

「主がわたしを使わせた理由は、あくまで人外がらみの戦争被害を取り除くことです。それは国内外問わずです。しかし前述の戒律のため、二次的な混乱はできる限り抑えなければならない。そのために、今後国外での活動の"ゆるし"をいただきたく願います」

 シェルウはカトラ地方救済の実績と信用を盾に、一種の使節権限を望んだ。それも、国家間で秘密裏に行われる密使として。シェルウが危険を承知で国王の元へ赴いた理由は、この褒美のためであった。今後国外で活動する上で後ろ盾が必須であることは、今までの活動から見ても明らかだ。国々を気ままに放浪しながら亜神退治、というわけにはいかない。大ごとにならないよう話を通しておく必要があるし、強敵であれば現地の援助も必要不可欠だ。

 国同士の事柄がどのように行われるかシェルウには見えないが、貴国に亜神退治の英雄を送るから使ってくれ、貴国に隠密を入れるから了解してくれ、などというやり方では成り立たない。実際には条件の協議とすり合わせ、報酬や責任の所在など煩雑な調整の上で結果が出る。この国である程度の信頼を得られたとしても、他の国の知ったことではない。

 幸いにも、いくつかの周辺国は戦時同盟のよしみがあるため、話が通しやすいだろう、との返答をもらった。これもまた、神々の辻褄合わせなのだろうか。シェルウは王と神々に感謝した。


 それからは軽い食事を取りながらの歓談となった。

「ギルドを介して集めた者たちも、よく働いてくれました」解決手順の話に及ぶとシェルウは言った。

「ところで貴殿がギルドで雇った斥候の者だが、実を言うと、中央の諜報員なのだ。流石に国事に関わるほどの者を手放しにしておく訳には行かなかったのでな。結果的に役立ったようで良かった」

 キリの素行調査から、斥候の女が国の雇用であることはすでに割れていた。こちらが把握していることもわかった上で話しているのだろう。キリはシェルウに目配せした。

「国外で活動する上で目付け役は必要でしょう。随時の報告もしなければならない。あの者を貸してはいただけませんか」シェルウは申し出た。

「すぐには返事ができんが、話をしておこう。白灰どのの顔役として、表向きで活動させる者たちの準備もある。こればかりは、今後直にやり取りさせてもらいたい」


「手配いただきました神官たちも、彼らの力添えがなければとても勝てる相手ではございませんでした。その件につきましても、改めてお礼を申し上げます」シェルウは祭事長たちに挨拶した。

「礼を言うのはこちらの方だ。雨を止ませる儀式は過去に神殿でも何度か試みていた。しかし原始の神とは…」

 中央の祭事長とパド祭事長は、共に派遣した神官からの報告を受けていた。公には洪水解決は神殿の功績となったが、実力ある神官たちの報告は祭事長が疑うまでもなかった。

「戦時に紛れて他国が寄越したものかと。他国に似た事例があれば、その解決はわたしの仕事になります」シェルウはこの場でヴフ帝国を名指しにすることを避けた。

「わかった、調べておこう。…いや、そのいくつかは調べるまでもないであろうな。疫病で入出国規制が敷かれたままの国もある。全くあの戦争は異常であった」

「当時わたしはこの地にいなかったもので詳細は存じ上げませんが、悲惨なものだったと」

「全く。しかしこのような場でする話でもない。改めて、資料を用意させよう」


「名前は何にしましょうか?白灰様」王妃が言った。

「名前ですか?何の名前でしょうか」シェルウは尋ねた。しかしこの話題には身に覚えがある。

「使節団の名前ですよ。"白灰の騎士団"だと我が国の示威みたいじゃありませんか?白灰旅団、白灰師団、開拓団?」

「それは白灰の使節団とかでいいんじゃないか」王が口を挟んだ。

「嫌ですよ。そんな色気のない…わたしも神官の派遣に一枚噛ませていただいたんですもの。言わせていただきます。ね、ムディ?」

「そうですね。僭越ながら、"白灰の探求者"というのはいかがでしょうか?」タッタ領主ムディブリールが言った。

「あら!いいわね、団じゃないけど、それ称号にしましょうよ。白灰の探求者エクスプローラー


 宮殿を出た後、シェルウは首都のカーラ広場に馬車を立ち寄らせた。広場の中心には幾何形体の石像と噴水がある。全く綺麗なもので、かつでこの場で火刑が為されたことは、まるで忘れられているようだった。竜宿までの送りに伴うムディブリールが言った。

「広場の由来になったカーラという女性は、今では亜神を操る魔女だったとされているわ。あなたはもしかすると祭事長に聞かされているかも知れないけれど、実際は違うのよ」

「わたしは小さい頃お会いしたことがあるの。父もお世話になった。本当なら国王陛下にとっても、他国の人々にとっても、その恩義は計り知れない人だった。でも、情より実利を優先するのが上に立つ者の理」

 民衆の感情や、他国への影響を抑える実利を取った結果が今なのだろう。

「綺麗とか汚いとかはただの結果。政治ってそういうものだし、英雄ってそういうもの。もう今更だけど…あなたは、奧さんと一緒に辺境に帰るべきだったと思うわ」

「妻がわたしを信じてくれているように、わたしは主を信じ、その御心を叶える者です。…カーラという者も、結果はどうあれ彼女の主は見ていらしたのでしょう」

「まるで聖者の巡礼ね。カーラも、あなたも。わたし神様ってあんまり信じない方だけど、せめて今だけは祈らせてもらうわ。あなたの行く道に多くの幸福があらんことを」

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