第15話 半神
グージィは熱を出して寝込んだ。キリが領主へ返事を受け取りに行っている間、シェルウも一時眠った。シェルウが眠りに落ちるとき、預かった記憶が幻視となって現れる。シェルウはそのひとつひとつ手に取って乾かしていく。そうしているうちに朝になるので、彼に明確な眠りというものはない。
キリが闇の陪神との取り引きによって、集落からグージィを連れ出すにあたり、シェルウとキリの議論があった。
本来はシェルウの持ち物であったランタン、獲物の運搬の足としての新たな竜、そして”娘たち”。キリが集めた亜神の肝と交換に、これらを持ち帰ってくるという。シェルウは娘たちを得ることに反対した。
「竜はともかく、人は駄目だ。当人の意志もあるし、人身売買のような取り引きは人の法に反する。きみの時とは違い、わたしはすでに人として生きることを決めている。そしてなにより、その命に対する責任も負い切れない。過酷な旅に巻き込むことになるのだから」
「連れ回すのがお嫌でしたら、どこかにハレムを作って囲っておけばよいでしょう。それにわたしは"巻き込まれた"とは思ったことがございません。人手の確保は、わたしがあなた様への責任を負うということでもあるのです」
つまり娘たちというのは、キリの"保険"だ。これから先キリが倒れた時、その仕事を引き継ぐ者がいなければシェルウにとっての痛手になる。足手まといになるような者を連れ出すつもりはない。仕事の適正があり目端が効く者たちを選び、その不足は"仕込んでいく"と言う。市井の者を雇うにも、戒律による縛りが不明瞭だ。仕事ができても忠誠心や裏切りの危険がある。
「あなた様は冥神より賜りし御使命とわたしの命と、どちらを優先なさるおつもりですか。わたしの命は、あなた様の御使命を助けるためにあるのです」
キリのことばは冷酷だった。必要とあれば命でさえも秤にかける間も無く切り捨てる。それが他人のものであれば言うまでもない。
「…なぜそこまでわたしに尽くそうとしてくれるんだ。それがきみの故郷の生きかたなのだろうか?」
「わたしをただ戒律と風習に従うだけの蛮族の娘とお思いでしたら、それは侮りです。わたしはわたしの意志でそうしているのです。それともあなた様のご意向をすべて汲み取り、ひたすら平伏するだけの娘がお好みでしょうか?あるいは対等を語りながら、限られた易い仕事に固執するような娘が?」
「いいや。わたしはすでにきみ無しにはあり得ない。言い尽くせないほどのものをきみから受け取っている。ただ、その突き刺すような生きる力が恐ろしくもある」
「…わたしはあなた様の優しさに畏れを感じています。全てを受け入れて、自らが発することが無い…まるで暗く深い穴のような。神より賜りしお力にではなく、人としてのありかたにそう感じるのです」
「地上の妄念を、まるで世間話でもするようにお預かりになる。そのほとんどが呪いのことばにも関わらずです。恐るべき亜神の戦いでも…名誉も金も枷になると。人外に討たれるかもしれない。冥神に見放されるかもしれない。人の法と、その元で暮らす人々があなた様を守りますか。あなた様の命は、一体誰のものですか。死者、冥神、人の法、それが一体何だというのです。今ここに生きているあなた様を、一体誰が癒すというのです」
結局、キリの裁定に加えて、"集落の文化に浸かりきっていない、自分の意志で集落を出ることを選ぶ者を一名だけ"という条件でシェルウは折れた。キリによれば「集落の暮らしはそれほど良いものではない」とのことだが、心身共に疲れ果てて寝込んでしまったグージィを、シェルウは哀れに思う。この子にとって良いものとはなんだろう?キリにとって良いものとは?以前キリに、命に対する軽薄さを指摘されたこともある。自分の命と共に、目の前にいる彼女たちをないがしろにしてはいないだろうか。
「キリ、きみは何か欲しいものはないかな」
領主の返事とともに、補給の品々を持ち帰ったキリに、シェルウは尋ねた。
「財布を管理しているきみに言うのもおかしな話だが、きみ個人が欲しいものがあればどうか買って欲しい。グージィにも。きみたちの生活をより良いものにしたいが…わたしには買い物でさえ難しいし、きみがどういったもので喜ぶのかもよく分からない」
「それは働きに対する褒美ということでしょうか」
「いいや。主の御意志というよりは、わたし自身がそうしたいんだ」
「ああ…シェルウ様。そのおことばだけで、わたしがどれだけ癒されることでしょう。あなた様ご自身が、わたしを気遣ってくださるなんて」
「やはり装飾品や衣類のようなものが嬉しいのだろうか?」
「そんなものは要りません。シェルウ様、わたしを抱いてください。わたしからではなく、あなたの方から」
テパ領主の接待の申し出を丁重に断り、内々の手配により拠点を確保できた。
シェルウはキリやグージィへの思いやりを覚えてから、主より賜った骨肉が今までになく馴染むのを感じた。執着心が亜神との戦いにおける弱点となることを危惧したが、主の加護はいや増し、忘却の神リエムメネムの慈愛を改めて思い知ることになった。英雄ごっこに興じるよりも、田舎で静かに暮らしている方が、よっぽど主の御心に沿うものかもしれない。
シェルウがその縄張りで待ち構えても、亜神が近づきさえしない。白灰としての情報が知れ渡っているとしても、強欲な人外であれば神の骨肉を食らう誘惑には抗えないはずだ。見逃すことも考えたが、ここで刈り取ろう。主の強い後押しを感じ、シェルウは歩き出した。そして追いつく頃にはすでに、巨大な狼のような姿の亜神は脚の動かし方を忘れていた。
「聞いていた話と違うぞ。罠を張って待ち構えるだけが能の、はったり小僧だと」亜神は唸った。
「相手による。おまえのように邪で狡猾な犬コロには用いるまでもない」
これほどの力があれば、今まで避けていた類の亜神とも渡り合えるかもしれない。しかし我が身を危険に晒してまでそうするべきかどうか。主にお伺いを立てるまでもなく、自分で考え決めるべきことだとシェルウは思った。もちろんキリと相談した上で。
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