第16話 カトラ地方の洪水1
シェルウは亜神と対峙するたびに主の御力がみなぎるのを感じ、討伐を重ねる度にそれが増していった。しかしシェルウにとって、主の御威光を示すことは目的ではない。
テパ領からさらに南へ下ると、カトラ地方に入る。国の領地としては、現在機能していない。
山間と河川が多いこの地域では大規模な洪水が頻発しており、かつて存在した街はほぼ壊滅している。難民たちは他領へ逃れ、まるまる水に浸かった平野は人外が徘徊しているという。今や流れの犯罪者でさえそこに住もうとする者はいない。
もともと雨量の多い地ではあったが、戦災以前は治水の成功により恵みの多い土地でもあった。戦前と戦後の格差から、国内でも最も戦災被害が大きな地域と言える。資材調達のための山の伐採、戦災による治水要地の破壊などの影響もあっただろう。しかしシェルウは水害の裏に人外の動きを見出し、それを取り除くと言った。
「この水害に人外が絡んでいるとするならば、それはもはや神の領域といえます。話が大きすぎる。これまでのように亡者や亜神を討つだけでも、あなた様は死者と生者への十分な助けとなっているはずです。ことさらに何故その地へ手を差し伸べようとなさるのか、問うてもよろしいでしょうか」キリはこう尋ねた。
「本来ならば、亡者を鎮めることは神殿が、人に害なす亜神退治は軍がやるべき仕事だ。冥神の使いの仕事ではない。人々がその力を取り戻せば、我が主の御力を振るう必要もないんだ。わたしがやるべき仕事は、いわば帳尻合わせだ」
「とおっしゃいますと」
「冥神の力が戦災の一因を担っている。ヴフの皇帝は、おそらく冥府の主の”とげ”を使って国々を支配したのだろう。その”とげ”を回収することがわたしの目的だ。布石を打ってはいるものの、人として回収に赴くには色々と問題が多すぎる」
相手は人の法における王であり、その領域へ踏み込んだだけでも、王の敵であるシェルウは犯罪者とされるだろう。人の法は因果と利害の絡まりの上に成り立っている。しかし人の世の外側にある、神の法は実情が異なる。
「したがって”とげ”を回収するには、神の領域として、祭事に倣って行わなければならない。神の祭事は象徴的な世界だ。破壊と再生が一括りに祭られるように、人々にとって辻褄が合うようにできている。だから、”とげ”を回収することはその因果の回収でもある。因果を回収することが”とげ”を回収することになる」
地図を広げたシェルウは、まるで盤上遊戯における戦略のように語った。人として語るにはあまりに無思慮で傲慢だが、半神であるシェルウにはその力があり、立場を自覚している。一部の盤上遊戯は、起源を辿れば祭事の模倣である。盤上に宇宙を閉じ込め、人である差し手がその外に立つ。因果関係の逆転した魔術的作法を交え、シェルウは今後の予定を立てた。
「気が遠くなるようなお話です。要は、国々を巡って、より大きな被害を取り除くということでしょうか」
「わたしが冥神の使いとして行うことは、まさにその通りだね。他にも試練はあったけど、そっちはほぼ済んだから。きみたちには苦労をかけてしまうだろう」
「いいえ。半神様の伴侶にならんとするには、そのくらいの試練は元より覚悟の上でございます」
”まず手始めに”というには、キリにとってあまりにも大きすぎる、人の身であれば国が世代に渡って解決するような問題であったが、カトラ地方の水害の解決策である。情報を集めなければならない。
「情報というものも大きな商材ですね。今もそこにいる連中は、その土地に昔からいる山の民くらいのもんでしょう。そこの領主はとっくに権限を無くしてますし、国もカトラ全域を見放してる」
とばりの神の商人とは未だ顔も合わせない間柄だが、利害の一致と、互いの実力による信頼があった。シェルウとの契約上だけではなく、自らが上前を独占するためにも、”今の所は”情報が漏れないように動いている。この者を通じてギルドに掛け合い、情報を募った。
「要するに、でっけえ河の神様が狂っちまったんだとよ。そこじゃ山とか土とか空とかいちいちに神様がいて、そいつらもまとめていかれたそうだ。そっからがよくわからん。人外がわんさかいて、慣れない奴は山に近寄るだけでも危険だ。集落もどんどん減って来ているらしい」
水害の原因が狂った河の神だとしても、それを殺せばいいというわけではない。土着の神を殺せばまた別の大きな影響が生じるため、それでは戦災の因果を摘むことにならない。神を狂わせた原因を取り除かなくてはならず、それは戦って倒せるようなものかどうかもわからないのだ。原因が亜神であれば容易いが、土着の神を狂わせるほどの亜神というのは格の違いからまずあり得ない。
「手練れの部隊を組んで、探索にあたらせましょう。その程度の資金はいくらでも用意がございます。あなた様の安全を買うことは、資金を集める本懐です」キリが申し出た。ギルドには商人だけでなく盗賊や傭兵、果ては使命を忘れた使徒崩れのような者まで所属しているという。
「金銭による相互契約で、自らの意志で金と命を秤にかけた者たちを雇うのです。仮に探索者が命を落としたとしても、シェルウ様に冥神の責は及ばないでしょう」
「わかった、きみに頼もう。しかし契約を交わす以上は敬意を払ってくれ。それと、戦いに赴くのはわたしだけでいい。正確な情報収集を目的に指示してくれ」シェルウはそう言って、キリに白灰の印を渡した。
「しかしシェルウ様、実際の指示はあのとばりの神の商人を介してやらせます。仲介料も支払って。この地のギルドはあくまであの男のツテですから、中抜きはじきは商いの信用にもとります」
商いには商いの法があるのだ。
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