第14話 テパ領 亜神の肉の扱いについて 尻を叩く行為の意味

 タッタ領から南部、テパ領に留まるにあたり、シェルウたちはその中心の街を訪れた。検問では印章を持ち出すまでもなくタッタ領の身分証だけでそれを認められた。身分証の上でも騎士爵となっており、タッタ領主ムディブリールの威光が他領にも届いていることが窺い知れた。

 宿を確保した後、シェルウはテパ領主へ諸々をしたためた手紙を出した。揉め事の度に末端の者たち相手にいちいち印章を取り出すよりも、上の者に話を通しておいた方がはるかにいい。補給や安全な拠点の確保、毛皮や肉の卸しの件もある。いずれにせよ人々との接触は避けられない。「裏で隠れて活動がしたければ、まず隠れて活動することを宣言せよ」というのはパド祭事長の教えである。

 領主の館へ手紙を届けに行ったグージィの帰りが遅かったため、キリが様子を見に行った。しばらく経って戻ったキリによると、グージィが手練れに尾けられており、それを撒くために遅れているという。

「あの子の落ち度です。追跡者に害意があればとっくに捕らえられるか、殺されております。どうか、捨て置くことも考慮ください。こういった状況のために彼女を手に入れたのですから」

「主に誓ってそんなことはしない。尾行が単独というのであれば、まだ大ごとにはなるまい。グージィに戻るように伝えてくれ」


 キリがグージィを連れて戻って間も無く、部屋の扉を叩く音があった。それは足音ひとつなく、扉越しに声だけが浮いていた。

「白灰の騎士様。突然の訪問をお許しください。わたしは”とばり”の神に仕える商人でございます。どうか御目通りを」

 しかしシェルウは扉越しのままで話をした。「わたしを知っていて、その接触の禁を知らんのか」

「…とんでもございません。こちらとしても、死をも覚悟の上で参った所存です。綿毛のように軽い命でございますがね」

 死ぬ覚悟で接触を試みるような者は、シェルウにとって拒むことのできない厄介な相手である。敵を作るという禁忌を犯すくらいなら、祝福によって記憶を奪うことも選択しなければならない。しかし自己目的のために祝福を用いることもまた、冥神の御心には沿わない。

「そうか。では領主へもう一筆書こう。禁を破った愚か者のために、この領地での活動は断念するとな」

「もとより流れの身ゆえ、それはわたしへの脅しになりませんよ。命さえ残っていれば、また別の土地で商売いたしましょう。命さえあればね。…しかし、王の印章をお持ちという噂は本当ですかね?この目で見るまで信じられませぬ」

「その目で何が見えるというのだ。印章か、わたしの姿か、亜神の首か。何を見せても信じはしまい。おまえのような者が信じるのは金だけだろう」

「はは、さすがにお目が高い。白灰の騎士様をお話できるかたと見込んで、どうか取り引きの機会をいただきたく申し上げます。わたしに亜神の肉を扱わせてくださいませんか」

「どう運ぶつもりだ。偽れば機会もないぞ」

「神様に誓ってわたしが食うんじゃありません。方々へ売るのです。ギルドを通じて、物好きな蒐集家だとか、魔女だ、洞窟に住む輩だ、悪い金持ちだとかにね」

 また後日お邪魔しますよ、と言って男は去った。


 実際、亜神の肉の扱いは手に余っていた。シェルウは持て余すくらいなら焼き捨てた方がいいと提案したが、キリの意見は”いずれ必要になる”というものだった。財貨の扱いについてはすでにキリが取り仕切っているし、またキリの方がはるかに見通しが効く。彼女がそう言うのであればそうなのだろう。シェルウだけでは竜を飼うことさえ怪しい。

 亜神の肉を商う問題点は、そこに込められた力がどのように用いられるのかという点だ。保存処理を施した臓器のひとつでさえ、本来なら目にすることさえはばかられる人外のものである。それがどのような呪術に用いられるかもわからないし、新たな人外を産む恐れすらある。

「方法はございます。いかな富豪でもおいそれと手が出せぬよう、その臓物ひとつひとつの値段を目一杯釣り上げることです。実際、タッタ領の街ではそう扱わせていただきました。そのしもべの肉ならともかく、亜神の肉を価値のわからぬ神殿の者に引き渡すわけには行きませんでしたので」

 つまり、店頭に並べて売るような代物ではないということだ。売り手と買い手が個別に交渉し、偽りを交えつつ、相手と自分の手札を見比べて取り引きを成立させる。それも実用の品よりはるかに高額で。魔術師たちと向かい合い、キリがいつもの魔術で戦う姿をシェルウは想像した。

「しかしそうしたやり方もツテがあってこそ。タッタ領の外になると、わたしのツテはほとんどありません。交渉には手間と時間もかかりますし、今はまだグージィに任せられる仕事でもありません。あの男は信用なりませんが、いずれ仲介は必要です」

「…わかった。危険は伴うが、持ち歩くような代物でもない。きみが後日の交渉に納得できれば、少量をあの男に任せて見てもいいだろう」

「はい。シェルウ様の御心に叶うよう、注意して取り計らいます」

 タッタ領ムレーナの暗黒神殿では、闇の神の前でその子供たちに並び、陪神チェコリが小さく祀られている。本来なら離れた地で祀られるほどの神格ではなかったが、事実シェルウと繋がり、アムリタや亜神の肉を手に入れ、より大きな力を持ったのだ。神事に関して、このような物理を超越した因果はあり得る。

 権力者が財に物を言わせ、集めた亜神の臓器で邪な儀式を…などと考え出せばきりがない。それに…キリは現時点でどれほどの財貨を溜め込んでいることだろうか。シェルウは主に懺悔した。


 グージィは戻ってからずっと、震えながら声を立てずに泣いていた。追跡者への恐怖ではなく、彼女の主に危害を及ばせたことへの畏れである。

「シェルウ様。どうかグージィを罰してください。この子は街に目を盗まれました。そして注意深さを失い、追っ手の目に止まった」

「いいや。グージィ、そんなに怯えなくていい。きみを罰するつもりはない。それに、きみを使いに出したわたしたちの落ち度でもある」

「シェルウ様。グージィの過失をその主に求めることは、主御自身であってこそ許されないことです。仮にシェルウ様が禁を犯したとき、その主である冥神に責を求めるでしょうか?罰とは、主としもべの間柄を守る慈悲でもあるのです」

 そもそもシェルウは彼女たちの主であることを受け入れたわけではないが、彼女たちを受け入れる以上はその作法も受け入れなくてはならない。心から怯えるグージィをシェルウは哀れに思った。

「わかったよ、キリ。しかしこんな小さな娘に下す罰なんて、冥府でも習ったことがない。尻でも叩けばいいのか?」

キリは叫んだ。「…シェルウ様、どうかお許しください。その罰はいくら何でもひどすぎます!」

「え?」

「グージィは初潮も来たばかりです。こんな小さな尻を叩くなんて、あまりにも…それに、叩くならどうかわたしの尻を叩いてください!今すぐ!」

 そう言って尻を突き出したキリにシェルウは大層怯んだ。キリの集落で”尻を叩く”という行為が何か性的接触を意味するのか、あるいは別の褒美のような意味を持つのか、シェルウにはわからなかった。こうした文化的背景を元にしたすれ違いも、シェルウたちの間にはままある。

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