第13話 シェルウとキリの問答
タッタ領から南に位置する先人の石像群へ向かう手前、打ち捨てられた祠の近くで野営をとった。シェルウは周辺の亡霊を鎮め、それからキリとクージイが協力して作った料理を、祈りを捧げた後に食べる。シェルウが手を付けた後にキリが食べ、クージイが食べ始めるのは二人の後である。
シェルウとキリは人の法における妻になり、生活を共にする中で心理的身体的に距離は詰まったが、相変わらず主従の間柄が保たれている。それは闇の神由来の戒律によるものだ。例えば立ったままで低い位置にあるものを拾わないといった、日常動作でさえキリが守るべき戒律がいくつもあるのだ。
グージイに至ってはシェルウと直に話すことを禁じられており、キリとの会話でさえ必要最低限である。彼女たちの故郷では皆がそうしているのだろう。シェルウにとって時折ささくれた爪のように感じられるものだが、その呪術的作法を彼女たちの芯にあるものと考え、尊重している。
作法の点では、多様な文化背景を持つ死者を受け入れる、シェルウの主リエムメネムの戒律はかなり緩い。リエムメネムの穏やかな性格もあるが、そもそも死者には食事も病気もないため、衛生面に由来するような細かいタブーは必要がない。そうした理由から、戒律は死者の尊厳を中心としたものとなっている。
夜の祈りの後、一匹の餓鬼が現れた。完全に力を失った人外であり、通常の武器でも殺せる。キリとグージイはそこらの獣に勝る身のこなしで、小柄な餓鬼には遅れを取らないだろう。しかし剣を構えたキリたちを、シェルウは制した。
「あんたを知ってるよ。冥神の使徒様。俺たちの間じゃすっかり噂になってるんだ」
「分かっていてなんの用だ。死にたいのなら、向こうで隠れてやれ」
「ここは俺の庭だ。勝手に踏み荒らした分は支払うのが筋だろ」
「おまえはわたしたちがここへ降りたときに咎めなかった。取引の材料にするためわざとな。であれば今更持ち出される筋もない」
「ヒヒッ…ちょっとそのとき、昼寝していて気がつかなかったんだよ」
「ではおまえの過失だ。怒りを買う前に諦めて失せろ」
「おお怖い怖い…俺みたいな小物は、冥神さまのお怒りを買うだけで消えちまうわな…でもまだ消えてないとこを見るに、まだお怒りは買ってないのかな?」
「失せろ」「ヒヒ…分かりましたよ」
餓鬼はチラチラと振り返りながら去っていった。それを見届けた後、震えながらキリは口を開いた。
「あんな、無礼な者…!シェルウ様、あれを追って殺すお許しをください」「やめてくれ」
キリは大きく息を吸って、吐いた。「…申し訳ありません。差し出がましいことを言いました」
「いや、正直なところ、わたしもああいった輩を生かしておく意味はないと思う。ただ、そんな心根で命を扱って、昔、主に怒られたことがあるからね。わたしは命というものをよくわかっていないらしい」
キリならば主リエムメネムの真意が分かるだろうか。シェルウはふと思った。
「それが大事なものだというのは理屈ではわかるが、未だに冥府が実の家という感覚が抜けていないのだろう。死に対する恐れや危機感に今ひとつ共感できない」
「わたしが命を知っているかと言われるとそれは分かりませんが、自分の命よりもシェルウ様のお命が大事です」
「ありがとう。わたしとしては君には君の命を優先して欲しいところだが」
「シェルウ様の子を孕めば、我が身をあなた様と同じくらい大事にするでしょう。旅路で孕んでは足手まといになりますので、けしてそのようには致しませんが」
「…子というのは、それほど大事なものなのだろうか」
「信奉する神々によってさじ加減の違いはあれど、おそらくほぼ全ての明らかなる神の信徒にとって、何にも変えがたいものであると思います」
キリは続けて言った。「…すこしだけ、シェルウ様を知れたような気がします。冥府育ちのあなた様にとって、産まれる子とは"やがて死ぬ命"なのではありませんか?わたしにとって、いえ、地上に生きるほとんどの者にとってそれは"これから生きる命"です」
「…そうか、なるほど。きみの言う通りかもしれない」
キリがふと息を詰まらせた。シェルウは尋ねる。
「どうしたんだい?今までも何度か言ったことだけど、何か話したいことがあるなら遠慮なく言ってほしい」
「はい。…それでも心の内にある話を、わたしが今ここでしてもいいかどうか決めあぐねています」
シェルウは黙った。キリが話すにしろ話さぬにしろ、シェルウが何かを言えば強制することになるし、そうするつもりはなかった。やがてキリは決断し、話し始めた。
「…あなた様はわたしに、共にあるようにと導いてくださいました。わたしやグージイの育ちとして難しいものではありますが、あなた様の心遣いへの感謝が…いいえ、ことばでは言い尽くせないほどに、シェルウ様、あなたを愛しています。それゆえに話します。パド司祭の話にあった…シェルウ様の母上様のことです」
「母上様は死の間際、その主である光の神の迎えを拒否し…それから三十日もの間、その身を焼かれながら、三柱の死の祝福をも拒否し続けたと。そしてシェルウ様にはその理由がお分かりになられなかった」
「…うん」
「それは今でもお分かりになられませんか」
まさか、とシェルウは思った。まさかそれが、主の御意志よりも優先されるなどと、思いもよらなかったのだ。
「司祭の話を聞いた時わたしは思いました。きっと…きっとそれは、そのとき母上様のお腹の中に、あなた様がいたからではないかと。そのために母上様は焼けながらにして冥府へ落ち、…肉体が許されるはずのない彼岸で、あなた様が産まれたのだと」
「母上様は、そのすべてを灰にしてまで、シェルウ様の命を守ろうとしたのだと思います」
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