第12話 印章
タッタ領主とパド祭事長の秘された支援のもと、シェルウは領内の亡者を鎮めて回った。
獣が家畜を襲うように、亜神が人を害することは自然の範疇である。その摂理から逸脱した強欲な亜神の六体が討伐の予定に組み込まれた。領主と祭事長は約束を守り、シェルウの力は死者と、生者の健やかな死のために用いられ、その"ことば"と、忘却の神リエムメネムの力で領内の亜神は次々と討たれていった。
六体目の亜神、蛇の体に女の顔が付いた亜神との戦いのことである。
「おまえが欲しいものを知っているよ。”とげ”の話だろう」
亜神が先んじた。心を読まれたか、あるいは情報が漏れたか。いずれにせよ待ち構え、準備されていたのだ。これを逃すと情報が広められ、今後亜神との戦いで一気に不利になる。逃すわけにはいかない、ここで討たなくてはならない、という執着は、ことばの戦いにおいて状況を悪くする。
「いやなに、大した話ではない。おおげさな対価は取らないよ。しかしおかしいね、おまえの仲間は"とげ"のありかを知っているはずだ。そうか、知っていることを隠しているね。おまえを利用するために。お仲間に欺かれているとは、なんとも哀れなことだな」
亜神の話は事実だった。事実に則しているからこそ、心が揺らぎ、付け入られる。
「わたしの負けだ。しかしおまえの話はいらん。帰って人間たちを問い正そう」シェルウは執着を手放し、立ち上がった。
「無事に帰れると思うのかい?おまえは儂の縄張りを踏み荒らした。片腕くらいは置いていってもらおう」
「食らわれた人々の無念にかこつけて、おまえを無理やりに刻むことはできる。ただ、そうする道理がもはやこちらにはない。わたしが怒りを交えてお前を討てば、それは死者への冒涜だからだ。駄賃には血をやろう」
「その程度で釣り合うと思うのか」「欲張ると、せっかく拾った命を失うぞ。試しに舐めてみるか」
シェルウがナイフで傷つけた手のひらを、亜神はおそるおそる舐めた。
「うまい。なんだこの血は」「もう十分だろう」「足りんぞ、もっとくれ。”とげ”のありかも教えてやる」
「冥府のアムリタで育った人間の血だ。わたしが勝つ道理はなくとも、おまえが勝てる道理もはじめからない。どうしても血が欲しいなら、洗いざらい話してみろ。おまえがどこから来て、どこへ行くのか」
「おいたわしい。シェルウ様が戦いで傷を負ったのははじめてです」キリはシェルウの手を治療して言った。
キリは貯めた亜神の肝で、シェルウのランタンを集落の陪神から取り戻し、さらに竜をもう二頭と、小間使いとして一回り下の妹をひとり手に入れていた。妹のグージイは、手際よく亜神の解体保存の作業に当たっている。
「今回は少し手強かった。しかし当たりだったよ」「とおっしゃいますと」
「"とげ"の場所がわかった。陸と海を隔てた先、ヴフの皇帝が持っている」
「なぜ貴様にそれを伝えなかったかわかるか」パド祭事長はシェルウに聞き返した。
「わたしが目的を果たそうと思い動くに当たり、言い尽くせぬほどの問題があります。巻き込まれる人の規模が大きすぎる」
「その通りだ。おそらく”とげ”とやらの所有者が、ヴフの要職の者であろうことまでは察しがついておった。…戦争が一旦終わったとはいえ、国家関係は依然として剣呑だ。貴様に不確定な情報を与えて、先走られては困る。貴様は歩く爆弾だ。この国から冥神の使徒が国境を越えて行くだけでも問題がある上、もし帝国の要職に危害なぞ及べばただちに侵略の引き金になるだろう」
かねてよりパド祭事長はアズランを通じ、シェルウに現代の歴史や神事、一般教養などを学ばせていた。公の歴史とその実情は異なるものだが、シェルウにも察しはついていた。帝国の発展があまりに早く大きすぎたのだ。
「貴様から冥神の一部が持ち出されたという話を聞いて、まずヴフ帝国のことが思い浮かんだ。貴様の人外の強さを知って、それは確信に至った。儂がまだ小僧の頃、帝国は国土の亜神を支配した、などと言う噂があった。また、近隣諸国では疫病が広がり、帝国に刃向かった兵は銃を撃つよりも先に倒れたという。戦争というよりほとんど一方的な侵略だったのだ。蹂躙と言っていい。それは地理的に外れたこの国の、さらに北端に位置するタッタ領にまで及ぶほどであった。こうして覇権を握った帝国は、諸国を実質の支配下に治めたのだ。まともな神官ならば、その裏に人ならざるものの気配を感じていたであろう」
「冥府育ちの貴様でも、世俗に触れ、多少なりとも政治について知ったであろう。あちらとそちらの顔を立てて取り持つ、胃を痛めるような銭勘定だ。こと地上においては人と神との間柄も同様だ。我々祭事を取り扱う者は神にへつらいおもねるが、神々が人の世に戦火を巻き起こすようなことはあってはならない。儂は光の神のしもべ、タッタ領ムレーナの祭事長だ。冥神の都合など知ったことか。貴様はどうだ、冥神の使徒よ」
「忘却の神のしもべといたしましても、この身の軽率な行動で人の世に災いをもたらすなどあってはならないことです。しかし冥神の力がかつての戦火に濫用されていたとあっては、その”ツケ”は払ってもらわなければならない。そのためにわたしが使わされたのですから」
「おい、くれぐれも勝手に動くなよ。密入国や暗殺など、考えもするな」
「心得ております。人の法と神の法、双方に則って策を練ります」
タッタ領主ムディブリールとシェルウは、たびたび密会していた。護衛や使用人たちへの表向きは、胡乱な異神徒との逢引という形であり、実際その通りでもあった。
亜神討伐に伴いムディブリールの地盤は安定し、滞った流通が蘇ることで、土地開発、人口流入、タッタ領は急速に復興しているという。そこには暗黒神殿による流れ者たちの管理もわずかながらに寄与しているそうだ。
「あなたの妻は闇の神に属する者でしょう。そしてあなた自身は死の神に仕えている。わたしが読んだ神話だと、死の神タルクスと闇の神マンティパンジーは、幾度も戦うほど仲が悪いと書いてあったわ。あなたたちはどうだったの?障害があるほど燃える恋だったのかしら」
「わたしたちはお互いに自然な形で婚姻を結びました。出会ってから二十日程で」
「すごいわね…それを自然と言えるのが、なおのこと羨ましいわ」
「もっとも、神々の仲が悪いというのも人間にとってはそう見えたというだけの話です。神の真意は人の理の外です。それが殺し合いであるのか、生殖であるのか、あるいは別の…ことばに無い何かであるかも分かりません」
「人間同士であってもお互いのことが分からないのは、神様の思し召しなのかしらね」
「知ってる?暗黒神殿の奥の間は、鍵をかけて誰も入れないようにしてあるの。そこに白灰の騎士さまが隠れ住んでるっていう設定でね。夜中に忍び込んで、鍵を開けようとしていた者がいたそうよ。それは盗賊じゃなくて、若い娘だった」ムディブリールはケタケタ笑った。
シェルウはふと、守り人に習った古い魔術の作法を思い起こした。隠されたことばには魔力が宿る。
「みんな秘密が好きなのね。あなたのことは市井でもすっかり噂になってる。宵闇に紛れ亜神と亡者を狩る、白灰の騎士様ってね。公には白ばっくれたり、神殿や私兵のおかげってことにしてるけど、土台無理があるわ。隠し通すのも限界。本音を言えば、まだまだあなたを手元に置いておきたいけれど…」
タッタ領主は仕事の表情で言った。「国王陛下より直々に召還されたの。他領の亜神対策に手を貸せって。実質としては"やれ"という命令ね」
「…今までのように、人目に触れないかたちで他領の亡者を鎮めるのであれば、喜んで取り掛かります。亜神についてはものによりますので、お約束できかねますが」
領主は引き出しから、その手に収まる小さな金属片を取り出した。
「国王陛下より賜った印章よ。大使扱いで国内の移動も自由にできるし、立場のある人に見せたら力を貸してくれるはず」
「…このようなものを不明の輩に授けるに当たり、さぞかし苦労なさったのでは?」
領主ムディブリールは芝居掛かった口調で、大げさな身振りを交え言った。
「陛下!わたくしめは、白灰の騎士様の御名前も存じ上げません!その御尊顔さえ見たことがないのです!なぜなら彼の者の魔力によって接触が禁じられており、その禁を破れば助力を得られなくなるのです。しかしその偉大なる力と、善性を思い知りました。彼の者の力は領内に留めるべきではないと心得ます。我々が後押しして、国内へと広め、人々のために用いられるべきと考えます。何卒、陛下のお力添えを!…なんてね」
実際には、そう単純には済まないであろうことはシェルウにも分かった。シェルウが亜神との戦いを戯画化した説明と同じ作法で、領主はシェルウに説明している。
王ともあろう責任のある立場で曖昧な判断はできない。臣下たちの同意も要る。白灰の何某が亜神討伐の影に、どんな企みを隠しているかもわからないのだ。首輪の無い輩をいたずらに解き放ち、国内をうろつき回らせるなど危険極まりない、白灰を捕らえて連れてくるべきという意見もあっただろう。そういった諸々を相手取り、ムディブリールは勝った。これが彼女の魔法なのだろう、とシェルウは思った。
「他領となると情報は不確かになるし、支援も十分にはできなくなるけど、祭事長と協力して根回しはしておいたわ。中にはあなたを”駒”にしようとする者もいるでしょうけど、そこはあなたがわたしたち相手に立ち回ったみたいに、うまくやってちょうだい」
領主は国王から賜った印章の他に、国内の詳細な地図、街や協力者や巣食う人外の者たちなどを取りまとめた覚書、そして領主が作らせた白灰の印を渡した。王の印章と合わせ用いることで、手紙のみでも他領の権力者へ指示が出せるという。
「とは言え、結局どこへ行くかはあなた次第だから。嫌になったら、辺境に帰ったっていいの」
「ここまで御膳立てしていただいて、それが通るのですか?」
「もちろん、あなたはやると分かった上での支援よ。あなたの信仰心をわたしは信頼したの。…でも、この先何が起こるかわからないでしょう。帰ってもいいって言うのは本当よ」
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