第10話 シェルウとキリの結婚
ムレーナの街に戻ると宿の主人が祭事長から手紙を預かっていた。身分証明にあたり、パド祭事長の養子としてシェルウとキリは闇の神殿に籍を置くものとする。そこで二人の続柄はどのようにするのか。夫婦か父娘か兄妹か。人の法で明確な主従の続柄はない。人の法に反しない限りでそちらの教義に則り、報告のついでに答えろ、という内容だった。
「なるほど、では婚姻を結ぼう」
「は?」
「え?」
「…婚姻というのは夫婦でしょう」キリの声は上ずっていた。
「無論そうだ。きみなら知っているだろう」
「とんでもありません。わたしはあなた様に一生をかけて奉仕する心づもりです。命ぜられればよろこんで子も成しましょう。しかし、しかし夫婦とは、あまりに恐れ多い…」キリは狼狽し、顔から血の気が失せている。
「すまない。わたしはてっきり、きみがこうなることを見越しているのかと思っていたが」
「どうかお許しください。わたしは銭勘定が得意なだけの、闇の陪神のしがない娘です。その御心に甘え、気安くしてしまいました。あなた様は半神であらせられます。わたしはそこに並び立てるものではありません。ただ、身分証があれば…街で蔑まれるようなことがなくなりますし、他の街への出入りもできると…」
キリはとうとう泣き出してしまった。
キリの集落を含む闇の神の信徒は、闇の神あるいは巫師を長とする、家長制度のような社会をとる。一方でシェルウの場合、冥府の守り人の多くが生前一妻一夫制の出だったため、そちらの方が馴染みが深い。
「今まできみの育った文化を尊重して主従の間柄を受け入れてきた。しかし本来、我が主忘却の神のしもべ同士には明確な師弟や主従はない。わたしが主となるのは、わたしにとってはおかしな話なんだ」
キリを落ち着かせてからシェルウは改めて言った。
「きみは暗に資金繰りの件で、人としてどう生きるかの決断をわたしに迫った。きみもこの機会に考えてくれ。人の世において互いに助け合うのが夫婦であるし、わたしにはきみの助けが必要不可欠だ。それでもきみが嫌なら、兄妹としてでも構わない。その場合、今後子を作るわけにはいかなくなるが」
「取り乱したことをお許しください。単なる書類上のことだと思えば…それでも恐ろしいことではございます。しかしよくよく考えてみると、婚姻を結ぶことでシェルウ様に言い寄る不貞の女たちを防ぐことができます」
「言いよる女?そんなことはありえないだろう」
「物語に伝わる半神の英雄がどれほどの子を成すか、シェルウ様も冥府の書物でご存知でしょう。その役目でしたらいつでも承ります」
「…よくやった。ご苦労だったな」
亜神の首を前に、パド祭事長から素直な労いの言葉が出たことは、二人にとって意外だった。こんなものを街に持ち込みよって!などと怒鳴られることが予想されていた。
「これほどの実績があれば、話が通しやすい」「話を通すとは、神殿の目上のかたにですか」
「いや、神殿では儂が実質の最高責任者だ。通すのは、ここの領主だ。しかしこうなると、貴様も顔を合わせずには済まん…覚悟しておけ」
獣や亜神の肉は万神殿を仲介して卸すことになった。その際、神殿の者と手数料等の交渉が行われた。キリはこう主張した。自分が直接卸せば高値で売れる。これは素材本来の価値だけではなく、加工の手間暇がかかったものだ。なめし前の毛皮でさえここまで状態良く剥ぐには技術がいる。そういった価値の分からん素人に任せるのは癪だが、神殿のメンツを立ててやってやる。
神殿側の主張としては、売り手だけが儲けを出し過ぎることは推奨されない。市場の混乱も考えられる。手数料については闇の神殿の管理費、ゆくゆくは帳簿の作成を予定している、といったものだった。対してキリは、市場の影響を考えればこそ安売りはあり得ない、あのあばら家のごとき闇の神殿と、散々差別してきた闇の民についてよくものうのうと…とまくし立てた。シェルウが間に立って仲裁したものの、交渉はキリの圧勝だった。
「あなた様の御前、だいぶ手心を加えたつもりです」
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