第7話 アイコノクライスト
シェルウとキリはパド祭事長の計らいで、神殿とツテのある宿屋へ案内された。
「神殿の客間に案内したいところだったが、そうもいかん。従者の娘はともかく、貴様は死の気が強すぎる」
次の日の昼、業務を早々切り上げた祭事長は、シェルウに遺灰の取り扱いを教えに来た。従者はたったひとりの若い男で、名をアズランと言った。
祭事長は語った。光の神と交信できればその御心に遺灰を委ねることは可能である。ただし万神殿では特定の神と交信することはできない。万神殿に限らず、都会の神殿は政治的、経済的な色が強く、秘儀を行う場に適さない。さらにはそこで務める神官は、高位の者でさえ秘儀に通じているとは限らない。
祭事長はおそらく光の神との交信の秘儀に通じている。しかしこの街ではできない理由を話したのだとシェルウは思った。
「紹介状だ。これを北東の岬にある教会で見せれば、交信を行ってくれるだろう。竜があるのなら片道で三日もかからん。その際の喜捨は弾んでやるのだぞ」
シェルウは感謝のことばとともに返礼を申し出たが、「そんなものはいらん」と一蹴された。
「儂にとってはここからが本題だ。…貴様は母親についてどれだけのことを知っている」
「その名前と、わたしを産んだという他はなにも」
「冥府に落ちた理由も知らんか」「存じ上げません」
「儂らの世代の神官で、お前の母親を知らん者はいない。例え異神徒であってもな」
当時光の神の信徒には二つの派閥があった。戦争被害によってはびこる亡者を討つ現場主義者と、政ごとに関わることで組織の安定を計る保守主義だ。カーラは現場主義者の中でも先鋭だったという。
「当時は聖女だなんだと持ち上げられておった。しかし持ち上げられすぎたが故に殺されたのだ。当時は戦争被害による混乱の最中、現場主義者のイコンめがけて、言い表されぬほどの様々な思惑が飛び交った。亡者や亜神に敗れたのではない。かいつまんで言えば、神殿と国が絡む派閥闘争に敗れたのだ」
神殿は後ろ盾とならず、前線で戦うものは次々に倒れ、カーラは孤立していった。
戦争被害と亜神被害のはけ口を求めた市民が暴徒と化した。狡猾な亜神の手の者が紛れ込んで、市民を煽っていたのだ。それを止める力は現場主義者にしか無かったのだ。
カーラは捕らえられ、首都ダン・クレールの広場で火にかけられた。
そのとき、カーラが信仰する、光の神が手ずから迎えに来た。この地上において、神を直視することは奇跡だ。
しかし、カーラはその主の迎えを拒否した。
「…何故ですか」シェルウは尋ねた。「それは貴様が考えろ」
次に来たのが三柱の死神の影だ。死は絶対の摂理だ。しかしその摂理を、光の神の加護を用いて歪めたのだ。結果、カーラは生きたまま焼かれ続けた。火は実に30日間燃え続けたという。
「一柱の死神の影だけが最後まで諦めずに見ていた。それが貴様の神のものだったのだろう」
降臨の光に当てられて、亜神のしもべどもの化けの皮がただれた。残された保守主義者たちは兵と連携し、亜神を討ち取った。公には当時の保守主義者たちが__の犠牲によって目覚めた、などと伝えられている。宣伝
「派閥闘争に破れたと言ったな。…儂はそのとき、__を陥れた保守層の派閥に属していた。今もだ。我らが派閥は盤石となり、数々の神殿を取り仕切るほどに強くなった。そのために儂は、こうしてのうのうと生きて…祭事長の地位と、万神殿の管理を任されるに至ったというわけだ」
祭司は話しぶりは一貫して堂々としていた。祭事長はシェルウにまっすぐ向き直して言った。
「貴様がカーラの子であるのなら、儂に復讐をする権利があるぞ」
従者の顔に緊張が浮かぶ。それを受けたキリは、かすかに身じろいだ。
シェルウは少しの沈黙の後、口を開いた。
「わたしが誰から産まれたとしても、今やリエムメネムのしもべ、忘却の導き手です。恨みや罪悪感があまりに膨れあがると、やがて自分では制御ができなくなります。心をすり減らして身を滅ぼすくらいなら、いっそ忘れた方が良い。お困りでしたら手伝いましょう。慈悲深き我が主は、失恋の記憶でさえもお預かりになるのですから」シェルウはあくまで冥神の使徒である、という姿勢を示した。
「…ふん。貴様、人としては呆れ返るほどの青二才だが、神官としての振る舞いはまあまあだな。神官には何枚もの舌を使い分ける才能が必要だ」
「おっしゃる通り、地上に生まれてからはまだ数日かそこらの青二才です。が、祭事長様の話すべてをそのまま鵜呑みにするほど愚かではございません」
真実とはそれを語る口にとっての真実である。忘れられたものは何も語らない。
祭事長は身分証の件と、”とげ”について調べてくれると約束してくれた。二度と万神殿の前には立つな、今後は宿の主人から連絡を取れ、通行時はこの印を手形にせよ、街で揉め事に巻き込まれたらこれこれという守衛に取り次げ、その他細々した指示の後に、祭事長は言った。
「遺灰の件が済んだら必ず報告に戻って来い。面倒を見てやる」
会談が終わると、二人は旅に必要な物資補給のために市場へ向かった。
シェルウにとっては街の全てが珍しい。野菜や果物の色、陳列された品物の形や模様に目が眩む。人の多さに足取りがおぼつかなかった。
まず両替屋と宝石商を往復し、装飾品と古い金貨二枚を共通貨幣に崩す。それから商店を回った。キリが交渉を交えて手際よく物資を仕入れていく様を、シェルウは感心して見ていた。足元を見られないための、あれこれの魔術的な作法。野営を考慮し、天幕や寝具、替えの衣類、保存食、香辛料、容器と食器、乾燥させた様々の薬草、祈りに使う香木などを揃えていくと、かなりの大荷物になった。運搬のために竜の鞍も必要だという。
「それにしてもさすがですね、シェルウ様。わたしはあのハゲ頭…何度ぶん殴ってやろうと思ったことか」宿に戻り、食前の祈りの後でキリは言った。
「しかし、あなた様がああもへり下る必要はあったのですか。亡者をまたたく間に鎮めるほどの力をお持ちなのに」
シェルウは答えた。「それはわたしの力ではなく、主にお借りしているものだ。もし生きる人とことばを交わすときに示せば、それは刃物をちらつかせるようなものだ」
「祭事長が話の通じる人でよかったよ。あの態度も、きっとこちらの度量を汲んだ上でのものなのだろう。色んな立場の生きた人々に伝えることを仕事として、測り知れないほど場数を踏んでいる。聖職の格としては、祭事長の方がたぶん上だ」「そうでしょうか?光神の加護は感じましたが、聖職者というより半分商人のように見えました」
祭事を司る立場上、特に異神徒には舐められるわけにはいかない。上から怒鳴りつける物言いも、公人としての苦労を土台にした振る舞いなのだ。それは異神徒であろうと、人の力として敬うべきものである。
「そもそもわたしは生まれと育ちが特殊なだけで、いわば田舎の小僧なんだ。きみと話していてもそれを痛感する」キリの生活力もまた、同じく尊敬すべきものだ。
「そんなことは…まあ、確かに。道のど真ん中で立ち止まられたり、物珍しそうに果物なんかをご覧になるお姿は、とても死の神の使徒様には見えませんでしたね」キリは微笑んで言った。
「その腸詰はいかがですか?街の名物なんですよ」
「…うん、おいしいよ。ソーセージ」
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