愛自慢大会
「浩輝、おい、ひろきっ」
誰かの指先が俺の太ももに触れた。叩かれたのか。
「んーぁ」
重たい瞼を開けると、つい先ほど那須塩原を出たはずのバンの揺れが収まっている。俺はドアに手をつきながら上体を起こして窓の外に目を向けた。
「もう着いたのか……?」
すーっ、ばたんっ。
「ん?」
俺の背中を何かがすり抜けて落ちていった。
[いったぁい……]
あかりの上半身が俺の背中と背もたれに食い込むように倒れていた。その頭には早くも分身が顕現して、短い両手で痛そうに頭を押さえている。倒れた衝撃でぶつけてしまったのだろうか。
俺は座席に乗せたおしりを前にずらして、彼女を優しく抱きかかえながら元に戻した。
「ごめんあかりっ。大丈夫? 痛かったよね」
「だ、大丈夫。浩くんに寄り添って寝るの、心地よすぎて……」
あ、あぁ~、ね?
「はっはっは! 君ら本当に幸せそうに寝てたな! 叔父さんも新婚ラブラブの時代を思い出しちゃったよ。今の嫁さんは、これ、だからよ」
「浩輝、やっぱり眠いんだろ。熟睡もいいとこだったぜ。大丈夫なのか」
「大丈夫だよ。今ので結構疲れ取れたしさ」
あかりと体を寄せて眠ると疲れがめちゃくちゃ取れるのは今回に限ったことではない。きっと彼女は回復魔法を持っている。
傍にいるだけでこんなに心地いいことが果たしてあるのだろうか。
「あかりは大丈夫? 眠くない?」
彼女は目を擦りながら小さく頷いた。それに合わせて分身は俺の肩へジャンプしてきて、両手でバランスをとって着地すると、俺の耳元へ向かって耳打ちをするように手をかざした。
[浩くんはね、寝ている私の疲れをぜーんぶ取ってくれるんだよ♪ だから、一緒にいるだけでいつだって元気満タンなのっ!]
ぶっわぁ、世界一可愛い俺の彼女。愛してる。
「そっかぁ」
俺はたまらず彼女の身体を抱き締めた。
「ふ、ぁ……」
「おーい、ラブタイムならせめて部屋行って荷物置いてからにしてくれよ」
車を先に降りた生沼は中途半端に開いた車窓から目だけを出してこちらを覗き込んでいる。
「うるせぇ。ラブタイムじゃねぇわ」
俺はあかりの頭に手を置きながら前の座席をずらしてドアをスライドした。
「あかり、おいで」
[っ! うん♪]
半分身を車の外に出しながら伸ばした俺の手に、あかりも手を伸ばす。その腕を小さい彼女が猛烈疾走して、まだ握る前の俺の手に飛び乗った。
[おっとっと]
勢い余って落ちそうな彼女を俺は反対の手で支えた。本体の方の手を握って狭い車から引っ張り出す。
「やっぱり空気が美味いなぁここは」
生沼は我の地なりとでも言うように腰に手を当てて開けて見える山の
「生沼はここ来たことあんの?」
「あぁ、元は叔父さんの家だったからね。改造してペンションにしたって聞いた時はたまげたぜ」
なるほど。
[わぁ~綺麗っ!!]
小さなあかりも俺の耳たぶに摑まりながら遠くを眺めている。俺は無表情のあかりを見た。
「綺麗だね。あかり」
途端に肩の上の分身が顔を真っ赤にして頬をぽむぅと挟んだ。
[えっ♡ き、綺麗だなんてそんなっ、恥ずかしいっ。えー……ひ、浩輝もカッコいいよぉ?]
そうだけど、そうじゃないよっ。
「お前、彼女の水着姿ってみたことある?」
ペンションに隣接する形で建てられた屋外プール。一応そこも叔父さんの持ち物らしく、ペンション利用者は別料金を払えば自由に入れるらしい。
事前にそのことを聞いていた俺たちは夏も近いからとそれぞれ水着を持参していた。
「んー、あかりの、ないなぁ。学校のプールくらい」
「スク水かぁ。悪いとは思わねぇけど、何だろうな。それだと、俺の彼女だけっていう特別感がないしな」
「小学校の頃だったからそんな感覚すら持ち合わせてなかったな」
小さい頃からあかりは特別だったけどね、俺にとっては。
「海とかは? 行ったりするんじゃないの? 幼馴染なんだし」
「んー、思えばなかったかな。あまりアウトドアじゃないしねあかりは」
運動神経はいいけどね。時田が追い付けないくらい足も速いし。
「そうなのか」
「だから、今日が初めてかな」
「俺もないんだよ。はぁ~楽しみ!」
生沼はそう言って水着の紐をきゅっと結んだ。俺も着てきた洋服をロッカーの中に入れ、首にタオルをかけて更衣室を出た。
「おぉすげ、ここ」
山肌を近くに感じながら山の麓まで広く見渡せる展望プールが広がっていた。プール自体はそこまで深くないが、ゆったりとくつろげるビーチチェアがプールサイドに並んでいる。浜辺ではないが、夏本番はおそらくここもかなり暑くなるのだろう。
「あ、来た! おそーい!」
プールサイドに座っていた麦わら帽子の少女がこちらを振り向いた。
「おぉ! 花音!!」
「し、茂くんっ。ど、どーお?」
時田は黒の紐ビキニで白い薄生地の羽織りを肩にかけていた。頭の上に乗っかっている麦わら帽子が彼女の持つ豊かな丘に木漏れ日のような影を作っている。
男子高校生に向けてこの夏の使い方は反則である。
「可愛いっ!! まじ世界一!!」
生沼は両手で拳を作って蒼い空へ仰け反った。時田は嬉しそうに口を隠しながら微笑んでいる。
ところで。
「あ、あの。俺の世界一がいないんですけど」
俺は時田の後ろの方を覗き込んで彼女を探した。時田が先にいるなら、あかりも先に来てるはずなんだけどな。
ぎゅ。
「え?」
背中に柔らかい感触が走る。お腹には腕。見ればわかる。この白さはあかりだ。
「あかり?」
俺は後ろを振り替えろうとしたが、お腹に巻かれていたはずの彼女の腕に頬を挟まれて固定された。生沼カップルとひたすら目が合い続けるカオス。
「は、恥ずかしいから、見ないで……」
「ええっ?」
そんなぁ。
「お、俺、あかりの水着姿楽しみにしてきたのに」
「でも……がっかり、しちゃうよ?」
そんなことないに決まってんだろ。
「がっかりなんてしないよ? 俺、実はあかりのこと死ぬほど好きなんだからさ」
[っ! そ、それは、知ってるけどぉ]
小さいあかりは俺の頭の上に上って来て小さくなっていた。上手く死角に入っていて見えない。分身も本体と同じ格好をしているはずなんだが。
「でも、時田さんみたいにスタイル良くないし、おっぱいも大きくないし……」
「そんなこと言われたらもうおっぱいにしか目が行かなくなっちゃうよ」
[えっ、そんなぁ]
別にあかりだって小さいわけではない。女子高生としてランクの高い外見だし、スタイルだって全然悪くない。俺は何年君と一緒にいると思ってんだい?
まぁ、裸を見たことあるわけじゃないけどさ。
「大丈夫だから、見せて? お願いっ」
「嫌いになんない?」
「なんないよ。なったらあそこの二人に言って俺をプールに沈めていいから」
「ほんと?」
「ほんと」
俺が頷くと、頬のあかりの手はゆっくりと離れていった。
「振り向いていい?」
「う、うん……」
彼女の少し恥ずかしそうな声に心臓が跳ねた。俺はゆっくりと後ろを振り返る。
「っ……」
あかりは太陽の日差しとは真反対の柔らかさを持つ黄色の水着を身に付けていた。
時田と同じ紐ビキニだけど、なんだこの、眼球の細胞すべてを彼女に塗り替えられる感じは。
彼女は胸の前で小さく手を組みながら、潤った瞳で俺を真っすぐに見つめていた。分身も俺の頭の上からそろりと降りてきて、彼女の身体に飛び移る。
「可愛すぎなんだけど」
口が勝手に動く。
途端に視界が遮られた。目の前にかざされた彼女の手。
[あんまり見つめられると溶けちゃいそうだから、これ以上はダメっ♡]
む、むむぅ。
「なぁ浩輝!」
「ん?」
生沼を振り返ると、彼はスイカのビーチボールを持って手招きをしていた。
俺はあかりの手を握って二人の所まで行った。生沼の後ろから時田がひょっこり顔を出してあかりに向かって笑いかける。
「ねぇあかりっ。やっぱり大丈夫だったでしょ?」
「うん」
なんで自信なかったんだ、逆に。
「なぁ、これで勝負しようぜ」
「ビーチボール?」
「おぉ」
「何するの?」
「俺と花音、浩輝と柚瀬でチームになって、このボールを水につけないようにバレーボールする。水で身動き上手く取れないだろうけど、執念で動けぇ! で、負けた方のチームがキスね」
「えっ」
あかりがぴょこっと跳ねる。
[き、きき、キス……♡]
分身は恥ずかしそうに唇を揉んだ。
これはお互いのチームにとって罰ゲームではないのだが、つい最近ファーストキスをしたばかりの俺たちにとってはかなり高いハードルかも知れない。
「えーキスだったらむしろしたいよ?」
時田はそう言って愛しの彼氏に抱きついた。
「八百長はなしだぞ」
「えぇ……あれ? あかり?」
麦わら帽子がこちらに向く。胸に握った手を押し付けて俯いている俺の彼女。
「どうしたの? 具合悪い?」
「ううん。き、キスかぁって思って」
エネミーは悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「あれ? もしかしてあかり、キスできないのぉ? 私とは格が違うって言ったけど、もしかして……?」
「っ! で、できるもんっ! き、キスくらい、いっつもしてるしっ?」
え?
あかりはぷくぅっと頬膨らませた。頬は赤らんでいて、必死そうに瞳を潤している。小さく踏んだ地団駄に、彼女の控えめな胸元が踊った。
赤面、忸怩、官能、恐怖に続く実績の解除。
不意に出た彼女の表情に、二人は一瞬虚を衝かれたように固まった。
可愛いだろ? 俺の彼女。
「へ、へぇ? ほんとかなぁ? なーんか嘘っぽくない?」
「う、嘘じゃないもんっ!」
純粋無垢なあかりが戦っておる……。
「ま、まぁとりあえずやろうぜ! 三回先に落とした方の負けっ、いいな?」
生沼はそう言うと勢いよくプールに飛び込んだ。焦って時田もその後を追う。
「あかり。絶対勝とうね」
「う、うんっ」
「はぁ……はぁ……ま、負けた……」
十分後。俺とあかりはへとへとになってプールサイドに打ち上げられていた。一方でエネミーカップルは嬉しそうに俺たちを覗き込んでいた。
「ほらほらなに疲れてんの? 本番はこっからでしょ? ね、あーかりっ」
「うぅ……」
体力に自信があるあかりもどうやらダメだったようだ。負けたらキスという重圧に押し負けてしまった。
「やっぱできないの?」
「で、できるよっ。待って……」
「もぉ早くしないと私たちが先しちゃうよ?」
時田はそう言うと、傍に立っている生沼の唇に食らいついた。
「え?」
「んーんっ♡」
声を漏らしながら唇を求めに求めて、罰ゲームでもなんでもないその愛撫に溶ける。それから彼氏の身体を離すと、見せつけるかのように俺たちを見て言った。
「はーぁ。茂くんの唇、優しくて気持ちぃ」
くそっ、こいつらってやつは。あかりがピュアなのをいいことに弄びやがって。
ん?
「え、あかりっ」
「お! いいねーあかりぃ!」
仰向けになっている俺に覆いかぶさるように、あかりは四つん這いになって俺を見つめていた。垂れ下がった濡れた髪が、俺の胸元を撫で上げる。
「はぁ……はぁ……っく」
あかりは唇を震わせながら必死に俺に顔を近づけていた。プールサイドで水着姿の幼馴染に覆いかぶさられている状況に、上がっていた息がさらに荒くなる。
「ひ、浩くんっ」
「む、無理しなくていいよっ。あかり」
「だめっ。だって私は、浩くんのこと愛してるんだもん」
プールの心地いい冷たさなど、この熱で完全に蒸発した。
「あれ? なんか思ったよりえっちじゃね?」
生沼の遠い声が聞こえた。
今さっき彼女とディープキスをかました奴が何を言う。
「う、うん」
煽り役だった時田もいつの間にか固唾を飲んであかりを見守っていた。
それでも、唇が触れるぎりぎりであかりは動けなくなってしまう。
「あかり」
「だ、大丈夫っ。もうちょっとっ……」
頑張って伸ばす唇は、どうしても俺に届かない。好きだからこそ、あと一歩が届かないのだ。
あんまり長いと、俺の下半身が恥ずかしいことになる。それはちょっと……あれ?
俺の頬に冷たいものが降って来た。
「で、できないよぉ……」
「あかり、な、泣かないでっ」
俺は慌てて彼女の背中に手を当てて抱き寄せた。彼女の柔らかい肌の感触が、プールサイドの対照的に俺に密着する。
「ひ、浩くんのこと大好きなのにっ!! うわぁぁぁぁん!」
「え、ちょ、ちょっとあかり。ごめんごめんっ、私が言い過ぎたよねっ」
さすがの時田も申し訳なくなったのか、慌てて彼女に寄って来て羽織をあかりの背中にかけた。その上から優しく叩きながら彼女の顔を覗き込む。
「お前らがあかりに圧かけるから、キャパオーバーしちゃったじゃねぇかよ」
「だってさぁ、格が違うって」
「こちとら圧倒的純愛なんだよ」
あかりはすっと起き上がると、プールサイドに膝をついて二人に向かって土下座をした。
「ま、負けました……」
「え、ちょっとやめろよ柚瀬っ。別にそういう勝負じゃねぇんだしさ」
「そうだよっ。私が悪かったから、頭上げて? 浩くんのこと大好きなんだよね?」
あかりは上半身を起こして、小さく頷いた。
「大好きです……。大好きすぎて、ちゅー、できないんです。ちゅーする前に、色んな気持ちがいっぱい出て来て、溺れちゃうんです」
ぽろぽろ涙を流しながら鼻をすするあかりを、俺は優しく抱き締めた。
「俺も大好きだよ。あかりの、そういうところも、全部」
そっと彼女の唇に触れてみる。
「ふぁ♡」
「ふふっ、かーわいっ♡」
「えへへ……」
「あれ、俺たち尊さで負けすぎてね?」
「そ、そう、だね……」
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