夜の学校探検②

 ただならぬ気配がしていた。あかりもそれを感じ取ったのか、扉を開けた瞬間、もともとしがみついていた俺のお腹をより一層強く締めた。


 真っ暗な空間に点々と光る非常口の緑色光。


 漆黒であるはずが空間よりもさらに黒い舞台幕と窓のカーテン。


[浩くぅん……]


 胸ポケットにしまわれたあかりは恐怖と好奇心の狭間を行ったり来たりしていた。服をぎゅっと摑みながら暗闇の方へ視線を向け、怖くなって顔をうずめ、それでもやっぱり気になって暗闇に……の繰り返しである。


 隣で俺に引っ付いている本体も同じだった。心なしか表情に余裕がなくなってきている気がする。


「ちょ、ちょっと、静かにしてみよっか……?」


 オカ研の報告にあった体育館の怪奇現象は音が重要なものだった。どちらにせよどれだけ目を凝らしても見えるものには限界がある。


 俺とあかりは体育館のフロアの中央で足を止めて、耳を澄ました。


[っ……]


 小さなあかりは恐怖で怯える口を頑張って覆っていた。その可愛さに若干気が和らぐ。


 音はなかった。俺とあかりのお互いの呼吸と、あかりが俺の服を摑み直す音以外はただただ静寂が流れている。なにか嫌なものの気配などもない。


 そうだ。


 冷静に考えればここは心霊スポットじゃない。それに俺にもあかりにも圧倒的な霊感があるわけじゃない。変なものに憑りつかれてもいない。


 事実として、ここはただの暗い場所なのである。


「あ、あはは……。やっぱり何も起こらないか。そうだよな。だって学校でももう六年も確認できてないって言ってたし?」


 俺はあかりの背中に手を当てながら震える声で笑って見せた。


 異常なしを確認するのが本来の任務だ、と思う。


「う、うん……」


 

 とんとん。



「「うわぁぁ!?!?!?!?!?」」



 

 俺とあかりは同時に大声を上げた。明らかに後ろから肩を叩かれたからである。あかりはビビって俺の前に周りお腹に顔をうずめた。腰を抜かしてしまったのだろう。


 人間は本当に驚くと声が出なくなると聞いたことがある。


 ど、どういうことだ? 気配はなかった。足音も聞こえてない。二人同時だったから、気のせいではないだろう。


「な、なんだっ?」


 俺はあかりの頭を撫でながら、恐る恐る後ろを振り向いた。心臓が肋骨を突き破りそうだ。


「そんなに怖がらないでください。僕ですよ」


 俺の後ろには一人の少年が立っていた。暗がりよく顔は見えない。


「だれ?」


「熊野川です」


「あぁ」


 オカ研の一年生か。


 俺に摑まって震えていたあかりもひょこりと顔を出した。


「なんてことするんだよ。めちゃくちゃ驚いたじゃん」


「それは、ごめんなさい。ただこの学校の体育館はどれだけ大声出しても外には全然声が漏れないのでばれてはないですよ。二重扉ですから」


「そ、そっか」


 熊野川くんの声はとても落ち着いていた。こういうっ暗いところにも慣れているのだろう。その冷静さは俺たちの安心させるのに十分だった。


「ひ、浩くんっ……」


 俺のズボンをぐいぐいと引っ張るあかり。


[だ、抱き締めてっ]


「あ、あぁ。よしよし怖かったね……」


 俺はその場に膝をつき、座り込んで動けなくなったあかりをゆっくり抱き締めてその頭を撫でてやった。視界がほとんど奪われているからこそ、彼女の身体の柔らかさと良い匂いが脳に浸透する。


 俺は熊野川少年に視線を戻す。


「どうしてここに? 君は男子トイレじゃないの?」


「作戦をちょこっと変えたんです。男子トイレは唐沢先輩が一人で行っています。僕は学校中をぐるぐる回りながら他に異常がないか確認してます」


「なるほど」


「体育館は、おかしいとこなさそうですね」


 彼は首をいろんなところに向けながらそう言った。実際にはその動きはほとんど見えてないけど、声の響き方でだいたいそうだろうと分かった。


「みたいだ。一応何枚か写真も撮っていくよ」


「わかりました。では、ここは任せて戻りますね」


「お、おう」


 熊野川くんはそう言い残して真っ暗な体育館をすたすたと足早に去って行った。


「オカ研は暗いとこ慣れてるんだな」


「浩くん……」


「ん? どうしたのあかり?」


 俺は愛すべき幼馴染の手を取る。


「な、なんか、聞こえる……」


「え?」


 落ち着きを摂り返したはずの心臓が大きく跳ねるのが分かった。彼女の言葉を聞いた瞬間、自分を取り巻く微かな軋み音に気付いたからだ。


 ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。


 ゆっくりとブランコを漕ぐようなテンポでその音は鳴っていた。間違いなく天井。金属と金属が擦れ合うような音だった。


「この音っ……」


 地面は揺れてない。地震ではないのか。となると……。


「ひ、浩くん嫌ぁだっ、怖いぃ……!」


 あかりは表情を解禁して俺に泣きついた。俺の形を確認するように何度も何度も抱き締め直す。「官能」の時の比ではない。


「あぁ、あかり、大丈夫。俺がいるから大丈夫だよ」


 そうこうしている間に小さかった音はあっという間に大きくなって気付けば体育館の空気がぐらぐら揺れていた。耳を塞ぐほどにはうるさい。


「きゃあぁぁ!!」


 まずいっ。これは外に出ないとやばい。


 頭が上手く回るほど冷静ではなかった。とりあえず今目の前で起きていることは間違いなく七不思議、でなかったとしても八つ目に数えられるぐらいの摩訶不思議である。原因を考えるのは後だ。


 そんなものより、俺には守らなければならないものがある。


「い、急いでここから出よう! 立てる?」


「足、動かないっ……」


「っ……!」


 彼女はさっき腰を抜かしたばかりだ。それにおそらくこんな状況で冷静に走って逃げられるほど心は強くない。


 俺は咄嗟にあかりを前に両手で抱えた。


 いわゆるお姫様抱っこである。


 本来ならもっとドキドキするようなシチュエーションでしたかったけど、今はこうするしかない。これじゃ暗くてあかりの可愛い顔も拝めないし……。


「行くぞあかり!」


 すっかり俺から埋めた顔を離す勇気がなくなってしまった彼女を抱えて体育館を飛び出した。外に出た瞬間に不可解な音は全く聞こえなくなったが、それも逆に怖かった。渡り廊下をグラウンドの方に抜けて、先ほどみんなでいた南校門を目指す。


 

 夜にそびえる校舎は、俺たちを酔闇よいやみにいざなおうと口を開けているようだった。





「はぁはぁ……っ」


 南校門であかりを下ろして抱き締めながら俺はやつれた肺に空気を送り込んでいた。さすがに他の確認班は一人も戻って来ていない。事前に予定されていた作戦実行時間が十五分から二十分だったことも考えると、何もなければそろそろ戻ってくるだろうか。


「う、うぅ……浩くん……」


 あかりは俺にくっついたままずっと泣いている。いくら頭を撫でてやっても足りそうにない。今日は優しく抱き締めてあげても眠れないかもしれないな。


 あまりにも衝撃の大きい「恐怖」の解除。


 俺は体育館に目をやった。外から見れば何の気配も感じない。


 あの音はいったい何だったのだろうか。オカ研の過去の報告にあった通りなんだとは思うが、確かに風でも地震でもなさそうだった。何よりやばいのは、何年も確認っされていなかった怪奇現象を、今日偶然にも俺らが目の当たりにしたことである。


「あれ、もう戻っていたのですか? 高碕君」


「あ、唐沢!」


 今一番頼りになるメンバーは眼鏡を押し上げながら校門から出てきた。後ろには熊野川くんもついていた。途中で合流したのだろう。


 俺に泣きついているあかりを見て、何やら普通な事態ではないことを悟る。


「なにか、あったのですか?」


「あったよ! ばりばりな」


 唐沢は顔色を変えて俺たちの前にしゃがみこんだ。


「一体、何が……?」


「天井。天井から音が鳴り出したんだ。なんかブランコ漕いだみたいな、金属っぽい音……」


 彼は手元の手帳にものすごいスピードでそれを書き写した。それはそうだろう。オカ研が何年も追っている謎なんだから。


「聞き間違いではないようですね。その様子だと、柚瀬さんも聞いたんですね?」


「う、うん……」


 俺に埋まりながら頷く彼女。


「そうですか。それで急いで出てきたと」


「あぁ、てか体育館のカギ閉めて来んのも忘れちまった」


「それは問題ないです。現象の確認が出た以上、僕たちも後でもう一度向かいますから、そろそろ音楽室に行ったお二人戻ってくる頃でしょう」


「せ、関内は?」


 あかりを抱えて走っていたから気付かなかっただけなのか、グラウンドに彼の姿はなかったように思える。


「あぁ、彼には校舎全体の方を回ってもらっています。途中で作戦を変更したんです。もちろんグラウンドに異常はないのを確認してですが」


「そうなのか。じゃあ熊野川と同じだったんだな」



「え?」



 熊野川くんは不思議な顔をした。


「彼には回らせてないですよ?」


「は? だってさっき体育館で会ってさ、作戦変更して自分は学校中をぐるぐるしてるって……」


「高碕君」


 唐沢の目は眼鏡の奥で鋭い光を放った。あかりが俺を摑む力がぐっと強くなる。それと同時に、俺もそれを悟り出す。


「それは本当に、熊野川でしたか?」


「え、間違いない……と、思うけどどうだろう」


 実際暗くて顔ははっきり確認できていない。


「熊野川は僕と一緒に男子トイレを確認していました。目を離した隙だとしても体育館は不可能です。それから関内にお願いしたのは教室棟だけですから、体育館には行くはずがありません」


「そ、それじゃ……?」



「間違いなく、体育館にいたのはお二人だけのはずです」






 その夜、どれだけ抱き締め合ったところで落ちる眠りがなかったことは言うまでもない。

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