意地悪

「夜の学校?」


「あぁ、この間さ、オカ研から誘われたの。人数不足だから来ない? ってさ」


 生沼は椅子の後ろ二本足でふらふらバランスを取りながら、俺の机に肘をついて唇をとんがらせた。オカ研というのは高校うちのオカルト心霊研究同好会のことである。


「なんで今? まだ夏にしては気が早いだろ」


「わからん。このままだと活動不振で同好会解体させられるかもって言ってた」


 それでやるのが夜の学校探索って駄目じゃねーのかよ。どっちみち学校に報告できる活動じゃないじゃんか。


「オカ研って部員三人しかいないのよ。しかもそのうち二人がうちのクラスじゃん?」


関内せきうち唐沢からさわだろ? え。で、それだけだと人数足りないから部員外誘ってんの?」


「らしい。っていうか俺はそれで誘われたんよ」


 生沼は自分の消しゴムで俺の机を擦り出した。


 おいおい消しゴムの黒い汚れを俺の机で落とすんじゃねーよ。俺の机が真っ黒になっちまうだろーがい。


「お前は行くの?」


「どうしようかな。いや、ぶっちゃけ言うとさ、ちょっとおもろそうじゃない?」


「わかる」


 特別霊感があるわけでもないし、オカルトが好きってわけでもないが、夜の学校に忍び込むと言うのはそれを超えたスリルと青春の狭間である。正直乗ってもいい。


 ただ、


「あかりも、一緒に行かないとだな……」


「おいおい彼女大好きかよお前」


「大好きなのは当たり前だろ。それだけは堂々と言えるわ」


 あかりを愛することに関して俺は他のすべてを左に引き離す。


「でも柚瀬……んーどうだろうなぁ。そういう肝試し的な遊びとあんまり相性良さそうではないけど。怖いの平気なのかすらわからんしな」


「多分だけど、苦手」


 生沼は顎に当てた手をすっと離して眉を吊り上げた。


「わかんの?」


「いや、前二人でお化け屋敷行った時、ずっと俺にくっついて離れなかった。出た後はしばらく足がくがくで歩けなかったしね」


「なんだそれめちゃめちゃおもろいな。へぇ、体には出るんだなぁ……――――っと危ねっ!」


 二本足の椅子は大きく後ろに揺れ、生沼は咄嗟に俺の机にしがみつく。


「あぶ、あぶねっ、死ぬかと思った……」


 勝手に三途を見る生沼をよそに、俺は夜の学校への挑戦をぼんやりと考える。家であかりを一人待たせてしまうことになるから、俺一人だけで行くという選択肢はない。行くならあかりも一緒になるし、そうでなければ行かない。


「一応考えとくか……」



 ばたんっ。



「……お?」


「噂をすれば」


 開いていた教室の後ろのドアに勢いよく手をかけて、あかりが入って来た。何やら切羽詰まったような足取りで俺の所までやって来て、無言で俺を盾に後ろに隠れる。


「あかり? どうしたの?」


 あかりは他クラスだろうと俺がいれば入って来るけど、何か用がないと来ることはない。しかも隠れるって……。


 不思議に思っていると、あかりの後を付けてきたのか、知らない女子が一人後ろの扉から入って来た。背中まで伸びる黒色のロングヘアーに校則ぎりぎりの短いスカート。


「あれ? 柚瀬どこ行った?」


 その声は教室にいるすべての生徒に通って、彼らの目はこのクラスでたった一つしかない柚瀬あかりの目的地に向く。


 そう、つまり俺。


 その女子もみんなの視線を察して、俺の後ろに隠れるあかりに気が付いた。


「お、そんなとこにいた。あ、なに君が彼氏くん?」


 腕を組みながら上半身を傾けて、あざけるように笑った。


「な、なんだよ」


 俺は立ち上がってあかりを腕でかばいながら、彼女の前に立ちふさがった。いつの間にかあかりの身体から出てきた分身が俺の制服の襟をぎゅっと摑んで震える。


[な、なんか意地悪されそうで、怖かったからっ、逃げてきたっ……]


 ほーぉ、いかにもちょっかいしそうな女子だ。多分あかりと同じクラスだろう。


[私、いっつもいじられてるのっ。た、助けてっ、浩くん……]


 大丈夫だよ、あかり。


「あかりが、なにかしたのか……?」


 俺は落ち着いた口調でその女子に向かった。ここでいきなり激情したりするのはダサい。ここは余裕をもってあかりをちゃんと守る。紳士に。


「いーや。面白いなぁって。その女、なにしてもなんも反応しないし、何も言わないからさ。そんでもってなんか、彼氏がいるみたいな話を小耳に挟んだので? どんな人なのかなって思ったら、なに、ふっつーの男じゃん」


[ふっ、普通の男だって!? むっかぁぁぁぁ!]


 お饅頭あかりはなんだか蒸しあがりそうになっている。お、落ち着いてっ。


「君、名前は?」


 俺は目の前の黒髪に問う。


「は?」


「いいから。名前は?」


時田ときた花音かのん……」


 俺は息を解いて目を横に流した。


「いい名前じゃん」


「は? 何言ってんのいきなり? 彼女の前で私のこと口説いてんの!?」


[えぇ!? 浩くん……やっぱり、私バカだから嫌いになっちゃったのっ?]


 俺の肩に乗っかったあかりはうるうるした声で俺の顔を覗き込んだ。めちゃくちゃ不安そうな顔。もう、可愛いな。


「違うよ、時田。いいか? 君がそうやって素晴らしい名前を持ってるように、俺の大切な彼女にも、柚瀬あかりって名前があるんだよ。誰よりも輝かしい名前がね。その女、なんて呼び方でからかわれる筋合いなんかないわけ」


「っ……」


 時田は虚を衝かれたように固まった。


「君が心の中であかりのことをどう思おうがかまわないよ。でも、あかりはあかり。君が一人しかいないのと同じで、あかりもたった一人の女の子なんだよ。他とは違っていたとしても、俺にとっては何よりも大切な宝物なんだ」


[ひ、浩くんっ……♪]


 ……やばい! さすがに童貞には恥ずかしすぎる! なんだよクラスのみんなの前で「大切な宝物なんだ」とか!? はっは~、やば俺。死ねる。


 しかし、このままただの良い人で終わらせるのは俺ではない。恋人が狙われている以上、相手にもちくちく刺して思い知らせてあげないと、これだけで治るとは思えない。


「な、時田。君も、女、とか呼ばれたいか? 君みたいな性格だったらそういう彼氏が出来てもおかしくはないかなぁ。んーそうだね。俺の大切な彼女を傷つけようってんなら、クソ女呼ばわりしてもいいかな。事実だし―――――」


「おい浩輝」


「え?」


 息をひそめていた生沼が冷めた声色で俺の名前を呼んだ。


 えーなになに、なんでお前?


「俺ののことあんま悪く言わないでくんね。心に来るわ」


「……は? え?」


 俺は時田を振り返る。


「うっ、うぅ……」


 気付けばさっきまでのいたずらっ子の雰囲気は綺麗に抹消されていて、目の前の彼女は顔を真っ赤にして短いスカートを握り締めながら俯いていた。肩がふるふる震えている。


「生沼の……彼女?」


 クラスのみんながスマホを取り出す。察し。


「……ば、ばかぁっ。みんなには内緒って言ったじゃんっ」


 時田は恥ずかしそうに生沼を睨む。その目には光るもの。


 あれ? これもしかして素は可愛い系統の女子?


「え、ごめ――――」


「し、知らないっ! 知らないもんっ!」


 時田はもげそうなほど首をぶんぶん横に振って、走って教室を後にした。虚無が流れる教室の静かな視線は新たなプリンスに向けられる。


 俺は「やってしまった」と言わんばかりに茫然とする生沼の肩に手を置いた。


「はい逮捕。事情聴取」

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