図書館
忘れてはいけないことがある。
地味に二週間後に迫っている一学期の期末試験だ。あかりとアツアツな夏休みを過ごすにはこれを突破しなければならない。
というわけで学校の図書館に来た。二階建ての図書館棟は貸出図書が一階フロアで、二階はすべて自主スペースである。さすがに試験二週間前じゃ、大学受験を控えた三年生以外の姿は見えない。つまりあかりとほぼ二人っきりでの勉強が可能になる。脳内最強環境。
家でもいいんだけど、気がまぎれるし、ちょっと狭いもんね。
「ここにしよう」
テーブル席を引っ張って彼女を座らせた。細かいエスコートは欠かせない。
「ありがとう」
あかりは椅子の横に鞄を置いてスカートを正しながら座ると、隣に座る俺の机の上をじっと見つめて大人しく待っていた。
「ど、どうしたの?」
「いや、浩くんと同じやつ勉強したいから、なにするのかなって」
ま?
「あかりはあかりの苦手なやつやりなよ。俺と得意科目真反対なんだからさ。俺が教えてあげるとかなら一緒にできるけど」
「っ……!」
それいいじゃんっ! と言う風に頭から分身が顔を出す。おめめパッチリだね。
「一緒に、する?」
「うん」
無表情なのに塩対応じゃなくてちゃんと素直なのが最高である。よろしい。彼女の力になれるなら本望だ。
「何が苦手? やっぱあれ? 理数系?」
彼女は理数弱いのに理系選択というかなりのチャレンジャーだから何としても克服しなければならない。
「ぶ、ぶつり……」
「物理か」
理系で物理できないのかなり致命的だな。
「んーいいよっ。わかんないとこ見せて」
あかりはこくりと頷いて、鞄の中をまさぐった。頭からひょっこり出ていた分身は彼女の鞄に向かって傾くあかりの身体をうまく伝って、テーブルの上に着地した。バランスをとるために翼のように広げた手には小さいノートと筆箱が握られている。
[んーとっ♪]
彼女は俺の筆箱の中に顔を突っ込むと、その小さな体にはかなり大きいであろう俺の消しゴムを引っ張り出して、どすんっ、とテーブルの上に下ろし、その上に自分のノートを広げた。隣のあかりも原寸大のノートを広げて俺の方を見ている。
「そこ机代わりにされたら俺消しゴム使えないんだけど……」
[いいじゃんっ。浩くん間違えないでしょ?]
んなことはねーよ。
「まあいいや。あかりの使えばいいし」
[えっ♪ 私の文房具使ってくれるのっ!? ぜんぶ貸す~]
大好きかよ。
「で、あかり。わかんない問題は?」
俺は隣で大人しく座っている幼馴染を覗き込む。
[きゃっ。ちか~い♪]
頬を挟みっこしてもんもんする分身。その姿は事あるごとに見て来たけど、見飽きない可愛さだな。この調子だと勉強終わるころには気絶しちゃってそうなんだけど。
てか、さっき教室で抱きついて来たじゃんね。昨日なんか隣で寝たじゃんね。今更近くてドキドキされても。(※俺もします)
「え、えっと……」
あかりは問題集を開く。ちょうど今回の期末の範囲になっている部分。課題もこの問題集から出るから、どっちみち解かないと克服以前に成績がつかない。
[こ、ここら辺っ、全部わかんないっ……]
「全部っ?」
図書館であることを鑑みたリアクションを分身に飛ばした。ただでさえ小さな彼女はシャーペンを握り締めながら、きゅぅぅ、と縮こまってしまった。ほんとにできないのだろう。
「力学の作用反作用の利用と、運動量保存……」
[なんか、かっこいいねっ]
「聞こえはね」
でも力学の分野はまだイメージがしやすい。ここさえできるようになれば、物理に対しての苦手意識はかなり解消される、はず。
俺はテーブルに肘をついて彼女に寄り添うように問題集を覗き込む。
「まずね。力学の問題を見たら、図を書くの」
「ず……?」
あかりはその可愛らしい唇にシャープペンシルを押し付けた。
「そう。問題って紙の上に書いてあるでしょ」
こくり。
「それを頭の中でどんな現象なのか想像するのは混乱を呼ぶから、ちゃんと紙の上に図を起こすの。物体とか、はたらく力も全部ね。問題を見てそうやる癖をつけとけば迷うことなく現象を把握できる。それから計算できるようになれば大丈夫」
[んにゃ……?]
こてんと首をかしげる分身。
「わかりやすくして、組み合わせて、計算。ほら、それだけ。じゃあこれやってみよ。これなら簡単だから」
俺は演習問題を指差した。あかりは素直に従って勢いよくノートにシャーペンを走らせたが、その勢いはだんだんと衰退していって完全に止まった。
「……あ、あかり?」
[「……
ま、マジか。これ解けないと先が危ぶまれる。終わったかもしれん。
「ま、まず、図だよ。俺が書いてみるから真似して書いてみて」
五分後。
「こことここの力は作用反作用で同じ。だから運動量保存則使って……」
[ふぇ~……?]
分身は目を真っ白にして完全に機能停止している。頭からは、ぷしゅ~、と蒸気が立ち上っている。そのまま蒸発してしまいそうだった。
「ちょっと手のひら出してあかり」
[む?]
あかりはシャープペンシルをノートの谷に置いて、俺に手のひらを見せた。小さいあかりも同じように俺に手のひらを向ける。その手にピッタリと自分の手のひらを合わせた。
[~♪ おてておっきいね浩くんっ]
「お、大きさは関係ないよ。じゃああかり、俺の手そのまま押してみて」
ぐっ。
あかりが俺を押す力に合わせて俺もあかりの手を押した。二人の手はどちらも押されることなくその場に止まったまんまだ。
「今、あかりも俺を押してるし、俺もあかりを押してる。でも、手は止まったままでしょ?」
「うん」
「これがつり合ってるって状態。これは授業でやったと思う。ていうか一学期の中間の内容だったかな」
俺はあかりのノートの上にお互いの手を模した図を書いて、それぞれに向く力の矢印を書き記した。分身はそれを必死に手元のノートに写している。可愛い。
関係ないけど、女の子が何かを書いてるって仕草、無条件に性癖に刺さるって人いないか? 俺はそれなんだが。まあいいや。
「あかりと、俺が、押してる力は同じ。例えば他にも」
俺はテーブルに縁に手をついて向こう側に押すように力をかけた。もちろん重いテーブルは動かない。
「摩擦力があるから、俺が押しても机は動いてない。この時に摩擦力と、俺が押す力は同じ。これが作用反作用の関係」
俺はテーブルの絵も描いて矢印を引っ張った。
「1で押して動かないなら-1で押されてるってこと?」
「そうっ。その通り。あかりが俺をどれだけ好きでも、俺もおんなじくらい好きだから、ずっとラブラブなわけ」
[な、なるほどっ!]
分身は消しゴムの面を、ぱこっ、と叩いて目を輝かせた。
「んで、この問題」
俺は演習問題に戻った。物体と斜面がある台座があって、物体を斜面に滑らせると物体だけじゃなくて台座も動くという話だ。
「物体には重力がかかってるけど、斜面だから斜めの向きに垂直抗力も受けるんだ。それだと分かりにくいから、力の向きを分解する」
「ぶんかい……」
「そう。斜めを縦と横に分けるって考えれば大丈夫。で、横。水平方向の力を見ると……ここと、ここが作用反作用なの」
「同じ大きさ?」
「うん」
俺は図説を続ける。
「こういう時に使えるのが運動量保存。物体と台座は重さが違うから、それぞれ違う速さになるから」
「……っ?」
[わ、わかんないっ……]
必死について行こうとする分身も焦りを顔に出した。俺の教え方が下手くそすぎるだけなのか。
「え、っとぉ……」
図を見つめたまんま言葉を詰まらせる。
「……ごめんっ」
「え?」
あかりは俯いて潤った声を発した。「ごめん」が出たことよりも、泣きそうになっていたその声色に虚を衝かれる。それは分身ではなくてあかり自身の方だった。
で、出たー! 素だー! なんで今ー!?
「えっ、だ、大丈夫だよあかり。な、泣かないでっ……」
俺は彼女の背中をとんとん叩いた。一生懸命に流れる涙を拭う彼女。
「浩くんは、バカな女の子は嫌い……?」
うるうるな瞳で俺を見つめる。不覚にも可愛いその泣き顔に心臓を、ずっきゃ、とぶち抜かれた。
「そ、そんなこと――――」
「嫌いになんないでくださいっ……」
ぽろぽろ涙を流しながら俺に泣きつくあかり。これ、授業で置いてかれて相当焦ってるんだろうな。
「な、ならないからっ。なるわけないからっ。ね? 大丈夫だから」
俺は先ほどと同じようにあかりの手を取って手のひらを合わせた。それだけでは物足りないのか彼女は指を絡ませて恋人繋ぎに持って行く。
俺はその手を握り返した。確かに感じる彼女の温もり。
「あかりがどれだけ落ち込んでも俺が下から支えてあげるから。ね? 一緒にがんばろ?」
「う、うん……好きっ」
「俺もだよ」
彼女の身体を食むように優しく抱き締めた。
二つ目になる実績解除。これはなんて呼べばいいのだろう。「
身体を離すと、あかりはいつもの無に戻っていた。頭の上にはぎゅっと拳を天高く突き上げて鼻の穴を膨らませている分身が乗っかっている。
[私、頑張ります!! いつまでも浩くんが手を握り返してくれるように!]
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