居眠り

 浩くんっ、起きてっ……。


 一人にしないでよっ。


 寂しいからぁ。


 ねぇねぇ。ほらっ、外……もう明るいよっ。



 とんとん。



「……っくぁ」


 肩を叩かれた衝撃で現実世界に息が戻る。なんかとても気持ちの良い夢を見ていたみたいだ。


「あかり……」


[っ! 浩くん起きたぁ!!]


 早朝から枕元でぴょんぴょこ跳ねまくる分身のあかり。


「おはよう」


 一方こちらは、起きている時は定規で引いたようにテンションがぶれない本物のあかり。


 俺は目を擦りながら起き上がった。もう高校の制服に着替え終わっているベッド脇

のあかりをぼんやり眺めながら、なぜ彼女がここにいるのかを思い出す。


「……あ、そっか」


 昨日うち泊まったんじゃんね。一緒にご飯食べて、一緒に寝て。夜は熱してないけど添い寝はしたな。それと、えっと……。


 

 大好き、だよっ?



「――――っ!」


 そ、そそそ、そうだった……! 

 昨日は俺が、初めて素のあかりを見たんだ。素っていうか、顔に出た感情っていうのかな。すぐに戻っちゃったけど、初めて「赤面」してるのを見た!


 俺は瞳孔をカッと開いて彼女を見つめた。


[ひ、浩くんっ?]


 うーむ、今は完全に元に戻ってしまっている。

 もし昨日のあれが何かの予兆なら、これから先あかりの感情が表に出て来始めて、いつかは今の分身がそのままあかりになったり……。


 やばいやばい、そんなことになったら俺死んじゃうぞ多分。今のうちにスペアの心臓用意しとかないと……。



「おーい、浩く~ん♪ こっちこっちー! 早くおいでよー!」



 とかさ、



「あ、やっと来たぁ……。え? ううんっ、全然、待ってなんか、ないよっ……?」



 みたいな、こう、萌え萌えキュンなあかりと一緒に過ごせたりする日々が来るわけで!? そうなったらもう持ち得ないものはないわけで!?


「浩くん?」


「はいっ!?」


「早く……着替えないと……」


「え?」


 俺は机の上の置時計の方を振り向いた。その針は残酷にもやや深まった朝を示している。


「え……これもしかしてやばい?」


「やばい」


[やばいって! 遅刻だよぉ!!]


 制服姿の小さなあかりは、ぎゅっと握った拳を首元にぴたりと寄せながらむんむん訴える。


「んなぁぁぁぁ!! 肩トンとかじゃなくてもっと激しく起こしてくれよぉぉぉ!」





 数学の時間。黒板に並んだ数式を眺めながら、ぼんやりと昨日のあかりのことを考えた。初めて見た彼女の赤面は余韻が強すぎて考えるのを止められないのである。


 これで彼女の分身は本当に「彼女の分身」であることがはっきりした。あかりにもちゃんと豊かな感情があるのだと。それが面に出たのだと。しかも、一度顔に出たということは、これからもその可能性が十分にある。


 いいか、高碕たかさき浩輝ひろき


 これは実績解除に他ならない。


 あかりの可愛い瞬間――どんな感情だろうときっと彼女は可愛い。異論はこの手で抹消する――をどれだけ見れるかどうか。もちろん分身ではなく俺の隣で体温を持っている彼女だ。


 今回なんで感情が面に出て来たのかはわからないが、本当の人格を心の奥底から引っ張り出してあげるんだ。あかりが家にいる十日の間はチャンスかもしれない。そしていつの日か、笑顔のあかりと……うへへ。


「高碕」


「~♪」


「高碕っ!」


「――――っ! はいっ」


 先生が俺の方を見ている。


「ここの答え」 


「23です」


「正解だ」


「「おぉぉぉぉ……」」


 危ねぇぇ! よかった先に計算しといて。スマートに決めていくぅ。


 ……ん?


 視界の端で何かが動いた。俺は教室の扉の方に目をやる。だいぶ低い。というか床か。


 てくてくてく。


 え、そのサイズは。


 俺が視界に認めたそれはそれの窓際の俺の席までやって来て、机の脚を摑んでひょいひょい登って来た。それから華麗に俺のノートに着地する。


「あかり……」


 周りに聞こえないように潜めて分身に声をかける。


[えへへ~来ちゃった♪]


 もちろんだが、分身の声は俺以外には聞こえない。


 あかりはシャープペンシルを握る俺の手に頬をすりすりさせて唸った。


[ねぇねぇ、授業めっちゃ眠いの。助けてぇ……]


 だからと言って分身を隣の教室まで飛ばしてくるんじゃないよ。Bluetoothじゃないんだからさ……可愛いからいいけど。


「何の授業なの?」


[えっとね~、唐紅の天道がのそりと……]


 現代文か。わかるが、うちの現代文の爺さんは居眠りに厳しいんだよ。頑張れあかりぃ……!


[浩くん。百合の花言葉って知ってる?]


 俺は小さく首を横に振った。


 急に? 死んだ女の話?


[純粋・無垢なんだって! わたしみた~い]


 そうなんだ。あかりは名前的にお天道様の方だと思うんだけど、まあ純粋無垢なのは間違いないか。


「そうだね」



[純粋無垢だから、私は100年待つよ! もし、浩くんが待ってて言ったら。ううん、待っててって言わなくてもっ]



 それは純粋無垢ってより、ただただ大好きってことなんじゃないの。君を前にした時の俺みたいに。


 気が付くと元気だったあかりは、でっかちな頭をこっくりこっくり揺らし始めていた。俺は咄嗟に持っていたシャーペンで彼女の胸をつつく。


[きゃ♪ え、えっちぃ……]


 案の定、彼女はぴくりと跳ねて胸を押さえながら顔を赤らめた。


「怒られちゃうでしょ。だーめ、寝ちゃ」


[えー……浩くんだって朝全然起きなかったのにぃ]


 うっ。そっ、それとこれは、別の問題でそうろう


「……しょうがないなぁ」


 俺はあかりの肩のあたりをつまみ上げて、夏服の胸ポケットの中に入れた。


[むぁ……!]


 ポケットのへりを危なっかしく摑んで顔を出す彼女をその上から手で包んだ。数学の授業の隅っこで美少女の分身を撫でる俺。はーい可愛い可愛い……。


 胸と手の体温に温められた彼女は気持ちよさそうに目をつぶって完全に落ちる。仕組みとしては遠隔で彼女の心を温めてるわけだから、きっと彼女も心地よさそうに……。



 バァン!!

「柚瀬っ! 寝るなぁ!!」



 隣の教室から机を強く叩く音と怒鳴り声が聞こえた。壁のガードを貫通するその怒号の威力にうちのクラスの生徒もびくりと跳ねた。それから俺に注目が集まる。


 え、なになになにやめてくんないその「おい彼氏、彼女がやらかしたぞ」みたいな目で見るの。俺とあかりが付き合ってるのばれてるのは別にいいけど、俺に責任は……いや、ばりばりあるな。


 俺は胸ポケットに目をやった。たった今まで撫でていた分身は姿を消していた。





[ふえぇぇん怒られたぁっ……!]


 授業明けに教室の扉が開いたかと思えば、あかりが俺にタックルする勢いで抱きついた。踊るポニーテールとキャラメルマキアートのようなあっめぇ香り。本体は相変わらず無表情だが、頭の上に乗っている分身は今にもこぼれそうなほどの大粒を下瞼に蓄えていた。


「あ~よしよし怒られちゃったねぇあかり~後クラスのみんな見てるから一回離れようか~ほらみんなスマホ構えだしてる~盗撮されちゃうよ」


[やだぁもんっ……]


 本体の彼女は何も言わずに俺を強く抱き締めている。かろうじて顔には出ていないけど、人目を気にせずこんなに抱きついて来るってことは相当怖かったんだな。


 俺は息を解いて彼女の頭を優しくぽんぽんする。


「眠かったの?」


 こくり。


「体育の後だったし、それに……」


 飛ばした分身は俺が撫でやがるしって? ごめんごめん。ずっとつんつんつついといてやればよかったな。撫でられるの、気持ちよさそうだったけどな。って言っても、つつく場所によっては撫でるより……?


 おっと危ねぇ。何考えてやがる俺。


「あかり、昼休みだから一緒にお弁当食べに行こ? ほらお弁当持って来て」


 肩に乗っかった彼女の顔が縦に振れる。彼女はぱっと俺の身体を離すとものすごいスピードで教室に戻っていった。


「お前半端ねぇな、浩輝」


「なんだよ」


 前の席の生沼おいぬまが構えていたスマホをしまいながら言った。


「女の子の扱い慣れすぎだろ」


「幼馴染なんだから別に普通だろ。彼女だし」


 いやいや、と彼は首を横に振る。


「だとしてもだ。全く感情のわからん柚瀬だぞ? 恋人だとしてもよく立ち回れんな。毎度尊み提供あざす」


 彼は頭を掻きながらへこへこと頭を下げる。


「お前らのために付き合ってねぇわぼけ。何年一緒にいると思ってんだ」


 誰もあかりのことが理解できないから、周りの奴らは誰も俺たちの関係にちょっかいを出すことができない。でもなんか幸せそうだから傍観しとこうと言うわけだ。多分、Tmitterツミッターで流れてくるおねロリ四コマ百合漫画にこっそりふぁぼを付けるような感覚だ。マニアックだけど。


「いこ」


 あっという間にあかりが俺の前に戻って来ていて、俺の手首を摑んで引っ張っていた。顔にも声にも色が付いていないが、お弁当箱の上でちっちゃなお弁当箱を抱えながら目を輝かせている分身を見ると、今日も平和だなと実感するのである。


「おう。じゃな」


 俺は生沼に手を振って、彼女に引っ張られるままついて行った。


「あーんしてやれよ」


 言われなくてもするわ。

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