俺の幼馴染はほとんど感情を表に出さないが中に飼ってる素の人格があまりにも可愛い

かんなづき

夜ご飯

「い、痛っ」


 キッチンの方から小さな声が聞こえてきた。俺は読んでいた漫画を隣に伏せて置いて、ソファを立って彼女の元へ急ぐ。


「大丈夫? どうしたの……って、えっ。ちょ、ちょ、ちょっと!」


 彼女の前にあるまな板には切りかけのジャガイモと投げ出された包丁。それから、血だまり。


「だ、大丈夫……」


 包丁でざっくりやったのか、親指から大量出血する彼女。彼女は平気そうな顔をしているが、思わず瞼を絞りたくなるほど痛々しい。


 すると、



[ふぁぁぁどうしようっ!?? ゆ、ゆび、切っちゃったよぉ!]



 あかりの手の甲にお饅頭キャラサイズのあかりが、むいっ、と顔を出して、同じ指を押さえながらわちゃわちゃ焦り出した。原寸大の彼女とは違って、こちらはかなり痛そうにしている。


「ちょっと待ってて!」


 俺はリビングの入り口近くに置いてあるキャビネットから救急箱を取り出して、指を押さえるあかりの元へ急いだ。


「ちょっと押さえるからな」


 いつかの保健体育で習った直接圧迫止血法。いざ実践。


 俺は血だらけのあかりの指にガーゼを巻き付けてぎゅっと握った。傷は少し深そうだからかなりの間押さえててあげないといけないかも。


「っ……」


 あかりが顔を歪める。


「痛い?」


「ううん。大丈夫……」


 小さな返事とともに首を振る原寸大の彼女。それから、


[い、痛いっ。痛いよぉぉぉ!]


 腕をぶんぶん振りながら俺に泣きついてくるお饅頭なあかり。


「ご、ごめんごめんっ……。ちょっと我慢してね」


 俺は彼女の手を包むように両手を添えた。手の甲にいた小さなあかりは俺の手に抑え込まれるように彼女の身体の中に戻って行った。


「あ、ありがとう……」


 あかりは俯きながら俺のシャツの裾をつまんだ。


「あかりは休んでていいよ。後は俺がやるから」


 俺はまな板の上に残っている切りかけのジャガイモと皮だけ向いてあるニンジン、ざるに移されたタマネギに目をやった。


「で、でも」


「大丈夫、カレーだったら俺も作れるから。あんまり無理すると傷治んなくなっちゃうよ」


「っ……」


 今度は彼女の肩あたりから小さな分身が現れた。


[ご、ごめんっひろくん。私がドジしたばかりに……]


 申し訳なさそうに指をつんつんしながら俯く。小さな顔は涙で埋め尽くされていた。


「気にしないで。俺も包丁で指切ったことくらいあるから。めっちゃ痛いよな」


[うん、いたい……]


 あかりの本体は全く動かずに分身だけが泣きながらこくこく頷いている。


「あかり、止血自分でできるか? 俺、こっちやっちゃうからさ」


 俺はまな板を指差した。彼女は唇をきゅっと結んで小さく頷く。


[ごめんなさいっ]


 大丈夫だよ、というように泣きじゃくる分身を撫でて彼女の身体の中へ戻した。手で優しく撫でてあげると簡単に引っ込むそれ。





 事の発端は三十分前。 

 学校から二人で帰って来た俺たちはダイニングテーブルの上に置かれたメモと買い物袋を見つけた。


 あかりの両親は旅行かなにかでしばらく家を空けるらしく、彼女は今日から十日の間、俺の家に泊まることになっていた。なんで娘を置いていっちゃうんだろうと思ったが、彼女にとっては海外よりも俺の家の方が旅行先として輝かしいものだったらしい。まあ学校だってあるしね。


 家、隣だからいつでも来れるやんけというツッコミは飲み込むべきである。


[お母さん急用出来ちゃって夜までいないの。お父さんも今日はお仕事遅いらしいから、夜ご飯は二人で用意してくれる? お母さんの分はいらないから三人分で]


 買い物袋の中にはごろごろした野菜とルーが入っていた。


「カレー作れってことかな」


「た、多分」


 肩にかけていたスクールバッグを前に下ろして両手で持つ彼女の吊り上がった肩からお饅頭あかりが飛び出してきた。滑り台のようにあかりの腕を滑って、ダイニングテーブルに軽やかに着地する。


[私が作るっ♪]


 嬉しそうにはしゃぎながら何やらふりふり踊る手のひらサイズのあかり。本体のあかりと同じ制服のスカートも元気そうになびいている。


 俺は隣にぼおっと立っている幼馴染に視線を移した。本物はに静かなのに心の中は楽しそうなんだな。まったく、うちの幼馴染は……。


「あかり、作る?」


 俺のその言葉を待ってたと言うように彼女はこくりと小さく頷いた。


[やったぁ♪ 浩くんに頼られてる~♪]


 そうだよ。頼ってるさ。あかりはなんでもできる子ちゃんだもんね。


 俺はダイニングテーブルの上でくるくるスピンをかましている化身が目の回らないうちにその頭を撫でてやった。


[えっへへ~♪]


 彼女は嬉しそうに笑うと、ダイニングテーブルを勢いよく踏み切って、原寸大のあかりの中へ戻った。


「き、着替えてくる……」


 こちらのあかりは依然として無機質なまま、ぽそりと呟いてリビングを出て行ってしまった。その足取りはとてもおしとやかで、今にも踊り出しそうな雰囲気はまったくない。


 相変わらず温度差が半端ねぇな。嫌われてんのかと思っちゃうもんな。


 俺とあかり、付き合ってるんだけどね、一応。ただ本当の感情は化身になって出て来ちゃうから、恋人になってから素の彼女(本体)を一回も見たことないわけで……。


 絶対可愛いんだけどな、笑ったら。お饅頭バージョンでも死ぬほど可愛いから。


 いつか絶対笑わせてあげるんだ。





 ……で、泣かせてしまったと。まあ本体の彼女は泣いてないけど。


 張り切ってたからほんとはお料理させてあげたかったけど、しょうがないから彼女には食べてもらう係をしてもらおうということである。


「あかりー、大丈夫? 絆創膏貼った?」


 俺はルーを溶いて具材と煮込みながらソファで俯いている彼女に声をかける。高い位置で結ばれたポニーテールが振られた。イエス、ということだろう。


「もうちょっとでできるから待ってね」


[ほんとにありがとう……]


「おっ、びっくりした」


 気が付くとキッチンの淵にちっちゃな彼女が座っていた。その指にはちゃんと絆創膏が巻かれている。どうやってここまで来たんだ。君にとっては結構距離あるし、キッチン高いだろ。


[て、手伝わなくてもいい?]


 大丈夫だって。美味しいの作ってあげるからさ。それにもう手伝うことないよ。


[むぅ……]


 俺が片手でその頭を撫でてやると、分身体は淵からひょいっと飛び降りて遠くにいる宿主の元までとことこ走っていった。


 さすがに可愛すぎわろた。まじでどうやって登って来たんだここまで。


 ちなみに分身体に質量はないが、重力と感性の概念はあるらしく、ゲームキャラのような動きはできないし空中を飛べもしない。そもそも質量ないのに重力と感性の概念があるってのが、俺が持つ高校範囲の物理知識では解明不可能な点なのだが。


 二十分ほどカレーを煮込み、とろみがでてきたのを確認して火を止めた。食器棚からカレー皿を二つ取り出してご飯をよそい、カレーを上からかけた。


 うわーめっちゃいい匂い。いい感じにスパイスが効いてる(俺特に何も入れてないけど)。絶対旨いわこれ。ちょっと換気扇回して近所に自慢してやろ。


「運ぶ……」


 俺があまりの出来栄えに悦に入っていると、あかりが音もなく俺の隣に立って静かに呟いた。


「あ、あぁありがとう。はいこれ」


 俺が手渡したカレーをあかりはじっと眺めた。めっちゃ無表情。カレーにゴミでも入ってんのかと疑いたくなるが、その疑念も彼女の肩から顔を出した彼女の心が打ち消す。


[うわぁぁ美味しそうっ!! さすが浩くんっ]


 お饅頭あかりは目を輝かせて小さな肩の上で悶々としてから、にゅっ、と彼女の身体の中に入り込んだ。


「お腹空いたよね。さ、食べようよ」


 俺はカレーが残っている鍋に蓋をして、あかりをせこせことダイニングまで押した。向かい合って座る。


「いただきます!」


「いただきます」


 ぱちっ、と手を合わせてスプーンを取った。


「ん~、我ながらうめ~」


[美味しい~♪]


 縮尺の合わされた小さいカレーをもぐもぐするあかりの分身。またいつの間に出て来てる。そして相も変わらず無表情な宿主。


「お、美味しい……?」


 化身がこれでもかというほど教えてくれるから心配はいらないんだけど、それでもやっぱり気になる。


「う、うん。美味しいよ」


 彼女は小さく頷いた。声に色はついていないが、それでも俺の好きないつもの彼女の声だった。


「よ、よかった」


 俺が自分のカレーに目を落とすと、小さなあかりがテーブルの上をとことこ歩いて来て俺の左手を前に、とん、と止まった。ちっちゃくて見えないほどの両手をぎゅっと胸に押し当ててキラキラな目で俺を見つめる。


[大好き、浩くん♪]


「うっ……!」


 そ、それそれっ! そういうところだよ……。それを本体でやってくれよぉ。


「俺も愛してるよ、あかり」


 分身を撫でながらそう言うと、本体がぴくりと跳ねた。


 お? 顔には……出てないんかいっ。


[わぁぁぁ~、あ、あいっ、愛してるって言われちゃったよぉ~]


 ちっちゃなあかりは顔を真っ赤にして宿主の方へ両手の平を向け、「助けてぇ」状態でとてとて走っていった。そのまま身体の中へ飛び込んで見えなくなる。


「ったく、可愛いなぁ……」


 さすがに微笑みを隠せない俺。


「浩くんが、カッコいいから……」


「あぇ?」


 それは分身ではなく本体のトーンだった。俺はあかりを見つめる。


「優しくて、私のこと心配してくれて、美味しいカレー作ってくれて、す、好きって……言ってくれるから……」


「あ……」


「大好き、だよっ?」


 あかりはほんのり顔を赤らめて口元を隠しながらぎこちなくそう言った。それは間違いなく分身ではない。今俺の前で、柚瀬ゆずせあかりが顔を赤らめている。


 素の彼女だった。


 か、かっわ……!



 初めて見るその素顔に、俺は理性をもって追いつくことができなかった。



「……あ、あかり?」


「……ん?」


 気付けば赤くなっていた頬はいつもの白になっていて、声のトーンも平べったく戻ってしまっていた。もぐもぐとカレーを口に含みながら俺の顔を見つめて、こてん、と首を傾ける。





 ……く、くそぉっ。

 なぁぁぁんで戻っちゃうんだよぉぉぉぉぉ!!!!

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