聖夜は甘く酔いしれて


「これでよし!」


 遥香は鍋の中身を混ぜながら、満足気な顔をした。鍋の中はビーフシチュー。後は食べる時に温め直せば良い状態だ。


 今日はクリスマス。

 今夜は雅明と二人、遥香の家でクリスマスを過ごす予定だ。


 今日は大学の講義が午前までだったので、帰りに料理の材料とケーキを買って、簡単に昼食を済ませた後、料理を始めた。


 今は夕方。雅明が仕事を終えて来るのは早くても19時過ぎ。遥香は少し休憩することにした。

 コーヒーを入れて部屋のローテーブルとベッドの間に座る。


 遥香は、コーヒーを飲みながら、先日の友人との会話を思い出した。


 ***


「遥香、そろそろクリスマスの予定は立てたの?」

 いつものカフェで、ふいに友人の美和に尋ねられる。


「へ?クリスマスって早くない?」

 まだ、12月に入ったばかりで、クリスマスはまだ先のような気がしていた。


「準備とかあるでしょ? どこで食事するとか、あとプレゼントとかぁ」


「プレゼント?」


「あげるでしょうよ。恋人なら」

 もう一人の友人、葵が当然のように言う。


「どんなものを贈ればいいの?」

 遥香は社会人の男性へのプレゼントなんて思いつかなかった。


「ネットで調べてみたら?」

 葵がタブレットで検索し、3人で覗き込む。


「なるほど、財布とかキーケースとか普段持ち歩くものが多いみたい」

「どれも1万円は超えてるね」

「まぁ、社会人へのプレゼントだしねぇ」


「あー!」

 遥香は思わず大きな声を出す。


 2人の友人たちは驚いて、遥香を見た。

「びっくりした! 何よ突然」

「どうしたのぉ?」


「お金がない」

「「へ?」」

「お金がないのよ。来月のイベントに出る用の本を発注するから、そんな高いプレゼント買えない」


「じゃあ、お金が掛からないものを考えたらぁ? 手作りマフラーとかぁ」

 美和が提案する。


「私、編み物とかやったことないし、これからイベントに出す本完成させないといけないから、時間がないよ」


「じゃあ、当日料理やケーキを作るとか?」

 葵も提案する。


「それいいかも!」

 料理好きの遥香はその意見に食いついた。


「それで、デザートはリボンをつけた私。みたいな?」

 葵が、ニヤニヤして言う。


「私!?」


「だって、料理を振る舞うなら家でしょぉ? 夜にお家に上げるなら、そろそろそういうことがあってもいい頃じゃない。なんてったって、あのドえろいお兄さまだしぃ」


「そうそう。まぁ、それまでにやっちゃってるかもしれないけど」


「なっ、やらないよ……来週始めに仕上げて印刷に掛ける予定だからこの週末も会えないし」


「じゃあ。クリスマスは遥香の初めてをプレゼントだ!」

「わぁお!」

「ちょっと待ってよ!」

 勝手に盛り上がられて遥香は焦る。


「「嫌なの?」」

 2人同時に真顔で聞かれる。

「嫌、じゃないけど……」


「じゃあ、決まり! 彼にちゃんと連絡するのよ!」

「え〜」


 結局、その夜雅明に電話を掛け、プレゼントを買うお金がないことを謝り、遥香の部屋で料理を振る舞いたいことを伝える。雅明はプレゼントは構わないし、遥香が良いなら家に行くと言ってくれた。日にちは25日の金曜日クリスマスの日だ。


 ***


 コーヒーを飲みながら、遥香は考える。


 今日、食事が終わったらやはり、そういう流れになるのだろうか。

 相手はよい大人だし、自分ももうすぐ20歳。もう子どもじゃない。


 あの長い指が、熱い唇が、自分に触れるのだろうか。今まで人に触れられたことがないところまで。そう考えると顔が熱くなる。


 ふと、ベッドの横に転がっているペンギンのぬいぐるみが目に入った。


 あの夜、このペンギンに触れたように、雅明が自分に触れることを想像する。遥香は急に恥ずかしくなり、ばふっとペンギンに飛び付いて抱きしめた。


 それからしばらくして、メッセージの着信を知らせる音が鳴る。

 きっと雅明からだ。逸る気持ちでスマホを開くと、思った通りだった。けれども文面は、仕事でトラブルがあり遅くなるというものだった。


 待ってると返事をすると、行く前に連絡すると返ってきた。

 遥香はスマホを握りしめた。



 ***


 着信から数時間、遥香は料理に火を入れてみたり、グラスをローテーブルに置いてみたりちょこちょこ準備をしていた。


 しかし、9時近くになってもなかなか連絡は来なかった。

 遥香は待ちくたびれて、ローテーブルに突っ伏す。すると、グラスに触れてカタンと音がする。


 ふとバイト先でバイトの先輩から、クリスマスの炭酸飲料を貰ったことを遥かは思い出す。


 遥香はありがたく頂いたが、雅明は甘いものはあまり飲まないような気がする。

 いい加減お腹も空いたし、ちょっと飲んでみようかな。


 遥香は冷蔵庫から瓶を取り出し栓を開け、グラスに注ぐ。ほんのり黄色掛かっふた透明な液体に無数の小さいな泡が立ち上る。


 子どもの頃飲んだ以来だと、遥香はゆっくりとグラスを傾けた。



 ***


 ……ピンポーン


 遠くで玄関の呼び鈴が鳴る音がする。


 ハッと目を覚ました。

 時計を見るともう10時前だ。寝てしまったらしい。

 スマホを見ると少し前にメッセージの着信があった。寝入ってしまって気づかなかったらしい。


 ピンポーン


 もう一度音が鳴った。


 遥香はまだぼんやりした頭で慌てて玄関の方へ向かった。


 鍵を外しドアを開けると、息を切らした雅明が立っていた。


「ごめん!遅くなって」


 懸命に走って来た雅明を見て、遥香は何も言えず中に迎え入れる。


 俯いて無言な遥香を訝しんで、雅明が声を掛ける。


「遥香?」


 雅明が顔を覗き込む。

 遥香の顔は赤くなり、目が潤んでいた。


「遥香……」

「雅明、遅いよ。待ちくたびれちゃったじゃない」

 遥香はコートを着たままの雅明に抱きついた。

「ずっと待ってて、寂しかったんだから」


 雅明はなだめる様に遥香の髪を撫で「ごめん」ともう一度言った。


 しばらくそのまま抱き合っていたが、まだ玄関だったことに気付き2人で部屋に入る。


 寝てしまっていたので、当然食事の用意はできていなかったが、遥香は何も考えられなかった。


 コートを脱いだ雅明に再度抱き付く。

 ただ、雅明の温もりを感じでいたかった。


「遥香?」

 名前を呼ばれて遥香は顔を上げる。


「ねぇ、キスして?」


 雅明は遥香の言葉に、一瞬戸惑った表情を見せたが、そっと頬をひと撫でしてから、顔を近づける。遥香も雅明の首に手を回し自ら唇を寄せていった。


 短めに口付けた後、再び唇を合わせる。


 お互いの熱を合わせるような口付けに遥香の体も熱くなる。頭がぼうっとして、ただ沸き起こる気持ちよさに身を委ねていた。


 長い口付けの後、雅明が尋ねた。

「遥香、酒飲んだでしょ」

「おさけ?」

 遥香はぼんやりした頭で考える。


「ううん。クリスマスのもらったの、あまいやつだから自分は飲まないからって」

 拙い言葉で説明し、ローテーブルの上の瓶を指差す。


「それ酒だよ。遥香から酒の匂いがする」

 雅明はため息をつく。


 自分はお酒を飲んだのか。だから、こんなにふわふわするんだ、と遥香はそう思った。けれど、今はそんなことはどうでもよかった。


 遥香はじっと雅明を見つめ、自分の中にある衝動を、ただ口にする。

「ねぇ、私もっと、気持ちよくなりたい」


 遥香の言葉に雅明が息を飲むのがわかる。


「キス、して?」

 そう言った途端に噛みつくように口付けられる。

 遥香はそれを何も考えずに受け止めた。


 今までなかったほど長いキスの後、足に力が入らなくなった遥香はベッドに押し倒される。


 雅明の怒っているような、けどそれとは違う昂ぶっているような、初めて見る表情を真下から見上げた。


 遥香は胸から込み上げてくる赤くて、どす黒い自分の感情を感じながら、また近づいてくる唇を受け入れる。



 体中がたまらなく熱くてなって思考が途切れた。



 ***


 ゆっくりと意識が浮上する。

 まぶたに白い光を感じる。


 窓の外から鳥の鳴き声が聞こえ、遥香は朝だ、起きなきゃと思う。


 ゆっくり目を開けると、横から声を掛けられる。

「遥香、起きた?」

 雅明がベットの横に座って遥香を見ていた。

 雅明は心なしか疲れているように見える。

 昨夜雅明は夜遅くまで仕事だったことを思い出した。


「お仕事お疲れさま」


 雅明は軽く目を見開いてから問いかけてくる。

「昨夜のこと、どこまで覚えてる?」


「昨夜?雅明を待ってたら寝ちゃって、それからピンポンが鳴って、それで、えっと……雅明にお酒飲んだって聞かれて……」


 遥香は途切れ途切れに昨夜の記憶を辿る。おぼろげだった記憶が段々よみがえってくる。


 そして、バッと自分の体を見る。服は着ていた。


「ある程度覚えてるみたいだね」

 雅明の言葉に顔が赤くなる。


「わ、私、あれからどうしたんだっけ?」


「あれからって、遥香に誘われてキスしてベッドに横たわってからのこと?」


 口に出されると余計に恥ずかしくなる。それを知ってか知らずか雅明は答える。


「遥香、途中で寝ちゃったよ。だからそのまま寝かせといた」


 あれから、寝てしまったんだ。遥香はちょっと残念なような安心したような不思議な気持ちになる。


 ここでふと自分の手と雅明の手が繋がっていることに気が付く。

 いつから繋いでいたんだろう。遥香の視線が2人の手にいっているのに気が付いた雅明が手を軽く持ち上げてニヤッとした。


「遥香が寝言で俺を何回も呼ぶから、ずっとこうしてた」


 寝言で無意識に名前を呼ぶ。しかも何回も。もう羞恥しかない。遥香は手を振り解いて顔を隠した。

 もう、穴があったら入りたかった。


 雅明が遥香の耳に口を寄せて囁いた。


「昨夜の遥香は強烈に可愛かったよ」


 遥香はさらに耳まで真っ赤になった。

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