冬のひと時いつものBarで



 木枯しの吹く冬の夜。


 雅明は久しぶりにひとりで飲みに行くことにした。向かうは行きつけのショットバーだ。


 そこは、就職してすぐに先輩に連れて来られ、居心地の良さにひとりでも通うようになった店だった。


 店に入ると、週始めだったからか、奥まったテーブル席に数人の客がいるだけで、カウンターには人がいなかった。雅明はカウンターの1番奥の椅子に腰掛ける。


「いらっしゃい。久しぶりだね。今日は何にする?」


 カウンターの内側にいる馴染みのバーテンダーに声をかけられる。


「ジントニックで。今日は佐々木さん一人ですか?」


「店長は遅くなるって。雅明君は仕事が忙しかった?」


「まぁ、そんなところです。」


 佐々木は雅明より3つ年上の28歳で、気軽に話せるフレンドリーさがあった。


 出されたジントニックを一口飲む。鼻に上るほのかな柑橘の香りとほろ苦さが心地よい。


「そう言えば、先週からまた麻紀さんが顔を出すようになったよ」


 佐々木が頃合いを見計らって声をかけてくる。


「麻紀さん、また彼氏と別れたんですか?」


「そうみたい。初日は大変だったよ。マティーニを駆け付け3杯しようとしたりして」


「それは大変でしたね」


「まぁ、その日は店長が出てたから大事にはならなかったけどね。雅明君は来ないのかとずっと言っていたよ。今夜も来るんじゃないかな」


 そんなことを話していると、入り口の扉が開いて白いスーツをラグジュアリーに着こなした美人が入ってきた。噂の張本人、麻紀だ。


「あっ雅明、やっと来たのね。待ってたんだから」


 麻紀は雅明の姿を見ると当然のように隣に座り、スプモーニを注文する。


「麻紀さん、また男と別れたの?」


「またって何よ……そうよ別れたわ。あんな男、胸だけいっちょ前の小娘にのし付けてくれてやったわよ!」


 麻紀は、憤慨してみせる。この間彼氏ができたと言っていたのは3ヶ月程前だと雅明は記憶している。付き合いが順調なうちはここに来ないのだが、だいたい季節が変わる間隔で顔を見る。


「麻紀さんやっぱり男を見る目が無いんだよ」


「うるさいわね」


 麻紀は出された赤色のカクテルを片手に雅明を指差す。


「あなたこそ、全然顔出さないで何してたのよ」


「まぁいろいろと?」


「ふうん」

 麻紀は聞いた割に興味なさそうに答える。そして、おもむろにカウンターの上の雅明の手に自分の手を重ねる。


「ねぇ。今夜は朝まで付き合いなさいよ」


 麻紀に意味有りげな視線を寄越される。

 このような誘いは今に始まったことではなかった。


 出会いは1年程前。たまたま失恋して荒れていた麻紀と席が隣になり、声を掛けられて、誘われるまま麻紀の自宅マンションで一晩過ごしたのが始まりだった。

 事の後「まぁよかったわ。けど、彼氏にするには、やっぱりちょっと無理ね」とあっさり言われた。


 30代であろう彼女の恋人はいつも彼女より年上で、20代半ばの雅明など歯牙にもかからなかったようだ。


 それでも麻紀が恋人に振られた時に誘われては相手をする、といった関係を続けてきた。雅明にとって後腐れないこの関係は悪くなかった。


 けれども、今夜は違う。


「今夜は駄目だよ。俺、彼女できたし」


 雅明の返事に麻紀は驚いて目を見開く。


「あなた彼女作らないんじゃなかったの?」


「まぁ、そのつもりだったけど、流れでそうなった」


 なんの気無しに言う雅明に、麻紀は呆れたように言う。

「流れって……彼女かわいそ。こんな男に引っかかっちゃうなんて」


「俺、こう見えて付き合ってる子には一途だよ?」


「どの口がそれを言うの。あれだけ女食い散らかしといて」

 麻紀は、呆れたように言う。


 雅明は心外とばかりに反論する。

「人聞きが悪いなぁ。あれは相手が誘ってくるからそれに乗っただけで」


「それで手当たり次第相手したら、その女たちが我こそは本命だと大騒ぎしたと。馬鹿じゃない」


 あの時は大変だったなぁと雅明は思い返す。


「だって会ってすぐ誘ってくるから遊びだって思うだろ、普通」


「本当馬鹿ね。ああいった女たちは1回ベッドに入って良ければ本気になるの」


 麻紀は2杯目を注文する。飲むペース早いなと思いながら、雅明もまたジントニックを頼んだ。


「あれからは麻紀さんからの誘いにしか乗ってないよ」


「賢明ね。まぁ、あの騒ぎの収め方はよかったわよ。彼女作らない宣言。お陰であなたバイで男の本命がいることになってるから」


 なんでそうなる。雅明の疑問を見透かしたように麻紀が答える。


「そりゃあ、女にもメンツがあるの。自分のものにならないなら、他の女よりも男のものになっている方がよいでしょう?」


「そういうもの?」

「そういうものよ」


「だから最近声が掛からなくなったんだ」


 雅明の言葉に自業自得ねと麻紀は笑った。



 お互いの2杯目が来て、なんとはなしに乾杯する。麻紀は一気にあおる。


「私が男に振られて、あなたに彼女ができるなんてどういうことよ。で、彼女どんな子? 一度連れてきなさいよ」


 ナッツを玩びながら問われる。


「ここには連れて来ないよ。そもそもハタチになってないから店に入れないし」


 麻紀は摘み上げたナッツをテーブルに落とした。


「はぁ? あなた未成年に手を出してるの? 犯罪? 年上好みじゃなかったっけ」


 酷い言われようだ。


「犯罪じゃないよ、今19歳だし。そもそも年上の方が後腐れがないってだけで別に特に年上好みな訳じゃない」


「んで、今夜はそんな10代の彼女を放ったらかしてひとりで飲んでるんだ」


 悪い男ね、と一瞥されて、雅明はため息をつく。


「放ったらかされてるのは俺の方。彼女は趣味で忙しいんだよ」


「へぇ。雅明が放って置かれてるの。意外ねぇ。まぁ、べったりせずにそのくらいの距離感の方があなたには良いのかもね」


 そんな話をしていると、2人連れの客がやってきてカウンターに座る。それに佐々木が対応しに行ってしまう。


 しばらくして、麻紀が雅明に近づいて声を潜めて聞いてくる。


「で、エッチしたの?」


 雅明は軽く顔を顰める。

 気がつくと麻紀のグラスはいつの間にか3杯目になっており、そのグラスも半分減っていた。


「麻紀さんペース早くない? 麻紀さん酒強くないんだから」


「飲まずにやってらんないわよ。いいじゃないの。で、どうなの」


 しつこく聞いてくるのに渋々口を開く。


「まだ付き合い始めたばっかりだよ」


「何、まだ手を出してないの? うそぉ」


「付き合う手順はちゃんと踏むよ。相手は初心者だし」


「えっ、処女なの? そんな娘誑かして。手取り足取り教えちゃうの? エッチねぇ」


 ニヤニヤしてくる麻紀に呆れてため息をついて言う。


「もう麻紀さん本当に酔ってるでしょ。エロオヤジみたい」


 麻紀は雅明の苦言など耳に入れずに続ける。

「ちゃんとやんなさいよ。そんな娘、あなたの言う後腐れないの正反対じゃないの。下手したらドロ沼よぉ」


 麻紀の様子に、面倒なことになったなぁと思いながら雅明は話を畳もうとする。


「その辺は上手くするから。もうこの話はお終い。佐々木さんももうすぐこっちに帰ってくるから」


「人が忠告してやってるのに。何よその態度はぁ」


「はいはい」

 本当に酔っているらしい麻紀を適当にあしらっていると、雅明のポケットのスマホが震える。メッセージが来たようだ。


 横でまだ何やら言ってくる麻紀を放っておいてスマホを取り出して見ると、遥香からだった。


“原稿上がった〜!これで年明けのイベントは安泰だぁ♪”

 チワワらしき犬がハートを飛ばして喜んでいるスタンプも一緒に送られてきた。


 取りあえず、お疲れさまのペンギンスタンプを送りスマホを閉じると、麻紀がじっと雅明を見ていた。


「あなたもそんな顔するのね」


「そんな顔って?」


「眉が下がったニヤけた顔ってこと!もう、私の相手なんか誰もしてくれないんだから」


 麻紀はプイッとそっぽを向いて、何やらブツブツ言い始めた。


 そろそろ潮時かと雅明は席を立つ。


「ちょっともう帰るの。彼女ができたからって、付き合い悪いわね」


麻紀が引き留めてくる。


「このままじゃ酔っ払った麻紀さんを、家に送って帰らなきゃいけなくなりそうだからね」


「薄情ものぉ!」


「とりあえず、今夜は俺の奢りにしとくから。元気だして」


 タイミングよくこちらに戻ってきた佐々木に後は宜しくと目配せし、勘定をする。


「雅明。精々うまくやりなさいよ。まぁ、フラレたら慰めてあげるわよ」


「そりゃどうも。けど、きっと麻紀さんが、新しい相手を探す方が早いと思うな」


「そうかしら……そうね。次会うときは結婚の報告よ!」


 麻紀が強気に言う。保ち直してもらえてなによりである。


「楽しみにしてる。じゃ、またね」


 雅明は軽く手を降って店を出た。




 外はだいぶ冷えていた。


“今まで飲んでた。今から帰るよ”と、遥香にメッセージを送れば、間もなく、“気をつけて帰ってね”と返事が返ってくる。


 それを確認してからスマホをポケットに収める。雅明は今度は顔が緩むのを自覚する。


 こう言った他愛のないやり取りかこんなに楽しいと思ったことは今まであまりないことだった。


 幼い頃から家族以上に大切に思っている彼女を自分のような人間が手にするのはいけないことだとずっと思っていた。


 けれども、あの日雅明を見て頬を染める彼女を見て、思わず自分の胸に引き込んでしまった。


 今はもう彼女が自分の本性を知って嫌っても、離してはやれないと思う。


 ごめんねと寒空に呟いて、雅明は家に足を向けた。

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