初めて尽くし•後編

 最寄り駅まで帰ってきた。

 空はもう真っ暗だ。


「遥香、ちょっと早いけど晩ご飯食べて帰ろうか」


「えっ」

 遥香は躊躇する。なぜなら今日の電車代から昼ご飯代、映画のチケット代金まですべて雅明に出して貰っていたからだ。遥香が財布を出す前にいつの間にか支払いが終わっていた。半分出すと言っても自分は働いているからとすげなく断られた。


 多分、晩ご飯代は私が出すと言っても聞いてもらえない気がする、と思った遥香はしばらく考えて良いことを思い付く。


「じゃあ、家に来てよ! 簡単なものだけど私が作るよ。ね?」


 これなら雅明にお金を出させないで済むし、お礼にもなる。遥香は名案だと満面の笑みを見せる。


「いいの?」

 雅明の問いかけに遥香は頷く。

 遥香が良いならと雅明はすんなりと了承してくれた。


 アパートに着くと、遥香は鍵を開け雅明を招き入れる。


「すぐに用意するから」

 コートを脱いで早速準備に取り掛かろうとすると「何か手伝おうか?」と、雅明が聞いてくれる。


「大丈夫。雅明兄ちゃんはテレビでも観て待っていて」


 そう言うと、雅明は何か考える素振りを見せ、遥香の正面に向かい合うように立つ。

 遥香は何事かと思って顔を見上げた。


「遥香、そろそろ雅明は卒業しないか?付き合い始めたんだし」


 遥香は何も疑問に思わずにいつも通り呼んでいたが、そうか付き合ったら呼び名も変わるのかと思い至る。じゃあ、なんて呼ぶのかと頭を巡らせる。


「普通に名前で良いと思うよ」


 いつものように考えを読まれそう言われたので、何も考えずに「雅明」と呼んでみる。


「なぁに、遥香」

 正面きって、そう甘い声で問われると急に恥ずかしくなって俯いてしまう。急にドキドキしてきた。


 そんな遥香を見た雅明は満足気に笑て頭に手を置いた。そして、「テレビ観て待ってる」と、奥の部屋に入っていった。


 遥香はその背中を見送りながら、付き合って最初のデートでいきなり部屋に呼んでしまったのは早計だったのではないか、と今さらながら思った。



 遥香が作ったものは、クリームソースのパスタとコンソメスープとサラダだった。家にあるもので作ったのでこれくらいしか思いつかなかったのだ。


 ダイニングテーブルはないので部屋のローテーブルに料理を運ぶ。これは雅明も手伝ってくれる。


「いただきます」

「どうぞ」

 向かい合って座った雅明がパスタを口に運ぶ。

「美味しいよ」

 その言葉を聞いて遥香はホッとする。


「クリームソースもこんな短い時間で自分で作ったんだね」

 驚いている雅明に遥香は得意げな顔で話す。

「意外と簡単にできるのよ。牛乳とバターと小麦粉とがあったらできるし」

「遥香はよくお母さんの手伝いをしてたものな」


 実家が隣同士の雅明は子どもの頃、母親が仕事で遅い時はよく遥香の家でご飯を食べに来ていた。その度に遥香は母親と料理を一緒に作った。雅明に褒めて貰うために。


 物心ついた頃から雅明のことが好きだったと思い返し、雅明が食べている様子をまじまじと見つめる。


 視線に気が付いた雅明が、どうしたと聞くが、何でもないと首を振り遥香もパスタに手を付け始めた。


 食べ終わり、片付けはどちらもやると言って聞かなかったので、結局2人で一緒に片付ける。


 食後のコーヒーをいれて、再びローテーブルに座る。今度は対面でなく90度の角度に座り他愛のない話をする。


「今日は楽しかった。ありがとう」

「いや。楽しかったならよかった。遥香をあの映画館に1度連れて行きたかったんだ」

「そうなんだ」


 雅明の思い出深い場所であろうあの場所に行けて、遥香も嬉しく思った。


「ところで遥香。その今着ているこれって新しく買ったの?」


 突然、雅明は話題転換してきた。

「わかる?」

「いつもの遥香の感じと違うし、いかにもデート服って感じだから」

「似合わない、かな」

「いや、よく似合ってるよ。けど、デートの度にそういう格好して来なくてもいいよ。いつもの格好で十分かわいいし」


 そうか、それでいいんだ。遥香はホッとして手元のコーヒーを見る。初めてでよくわからない恋人同士の付き合い。雅明ならなんでも教えてくれる気がした。


 ふと、顔に影ができて顔を上げると、存外雅明の顔が近くにきていて、そのまま唇に温かいものが触れた。


 キスされたと気付いた時には唇は離れていた。いつの間にか雅明がすぐそばにいる。


「いきなり、じゃない?」

 唇に手を当ててどこかぼぉっとした感じで尋ねる。突然過ぎてよくわからなかった。


「普通キスする時っていちいち確認してからしないよね」

 雅明の言葉にそれもそうだと遥香は納得する。いつも読んでるBL漫画でも確認したりしてないな、とも。


「じゃあ」

 どこかふわふわした感覚のまま遥香は口を開く。


「さっきの、よくわからなかったから、もう1回して、っていうのは、ダメ?」


 雅明の顔を伺いつつ問うてみる。雅明は一瞬息を飲んだ。


「ダメじゃない」

 そう言った雅明の唇が再び降りてくる。遥香は今度は目を閉じて触れるのを待った。

 触れたそれは柔らかく、しっとりした感触だった。先ほどよりも長いキス。しばらくしてようやく離れ、ほっと息を吐こうとしたらまた角度を変えて唇が降ってくる。


「ん……」

 何度も繰り返される口づけにうまく呼吸ができず、吐息まじりの声が出る。


 ようやく唇が離れると、酸欠で雅明の胸に縋るように体を預ける形になり、腕にゆるく囲われる。

「大丈夫?」

 耳元で囁かれる声に体が熱くなる。


「遥香、かわいいね」

 優しく髪を撫でられて、遥香は夢心地に目を閉じた。



 今日は、初めてなこと尽くし。見たことがない雅明がいっぱい見られた。これからも2人でいろいろなことがしたい。そして、この温もりをずっと離したくない。遥香はそう切に願った。

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