愛と呼べない夜を越えたい•中編


 しばらく頭のもふもふ感を堪能した後、雅明は起き上がる。


「……どうしたの?」


 動かない雅明に遥香は遠慮がちに声を掛けてくる。


「やっぱりマグロじゃつまんないな」


「へ? この子はペンギンですが」


 雅明の発した言葉の意味が遥香には理解できなかったようだ。


「そうじゃなくて、反応が無いもの相手しても気分が乗らないってこと」


 そして、雅明は遥香の腕をぐっと掴んで引き寄せた。


「ひゃっ」


 遥香の長い髪が揺れ鼻をかすめると、ふわっとシャンプーの匂いがした。そのまま抱きしめたくなる衝動を抑えて、至近距離で目線を合わせる。


「やっぱり人間相手じゃないと芝居は乗らないな。遥香が相手、してよ」


 遥香は突然のことに驚いた様子で、まともに雅明の顔を見れず目線を彷徨さまよわせている。こういうことに慣れていないのがわかる。


「私、撮影しなきゃいけないし」


 焦りながらこの状況をどうにかしようとしているが、その逃げ道を雅明は許さない。


「そんなのカメラを台の上に置いたらいいだろ」


 雅明は遥香の手からカメラをさっと奪い、その辺にあったダンボール箱をローテーブルの上に置き、その上にカメラをベッドの上が映るように調節して固定した。


「これで良し」


 そしてベッドの上に戻り、遥香を手招く。


「おいで」


 遥香は動こうとしない。


「ほら、受けのミナトになったつもりで。実際やってみるともっと良い絵が描けるかもな」


 重ねて声を掛ける。


「う〜」


 うなり声を出す遥香。逡巡する心情が、揺れる視線から、歪んだ口元から、まとう空気から感じ取れて、雅明はぞくぞくした。


 辛抱強く待つと、遥香がおずおずと手を出してくる。雅明は努めてそっと手を取ってベッドの上に引き上げる。2人は向かい合わせで腰を降ろした。


「遥香、カチコチだ」


 からかう様に笑う。


「だって、こんなの、初めてだもの」


 俯いてこちらを見ようとしないというか見ることができない遥香に加虐心が擽られる。


 俯いたあごを人差し指で引き上げた。


「ほら、オレを見ろ」


「無理ぃ」


 顔を上げられた遥香だが頑として視線を合わそうとしない。その必死な様子がおかしくて思わず声を出して笑ってしまう。


「笑わないでよっ」


 つい声を上げた拍子にこちらを見たが、すぐに逸らされてしまう。

 遥香の頬はこれ以上真っ赤にならないだろうほど真っ赤だ。


 あごに触れていた手で片方の耳にそっと触れて、そして、もう片方の耳に顔を近づけて息を吹きかけるように囁いた。


「耳まで真っ赤だ。かわいい」


「やっ」


 体を押しやる遥香の目が潤んでくる。その初い反応に気分が高揚するのを感じる。


「ねぇ、裸、恥ずかしいよ」


 遥香はそっぽを向いたまま胸のあたりを指差す。


「その恥ずかしいことをリクエストしたのは遥香だけどな」


 雅明が意地の悪い返しをすると、遥香は両手をグーにしてぽかぽか叩いてきた。


「いじわる!」


 結構力がこもっていて地味に痛い。


「ごめんごめん、って、叩くの止めろ」


 制止の声を上げるが、動きは止まらない。


 両手を掴んで強引に止めさせる。そして、顔を遥香に近づけた。


 遥香はどうすることも出来ずに目をぎゅっと閉じた。少し震えている。


 雅明はコツっと額と額がぶつけた。


「……キスされると思った?」


 そのままの姿勢でささやくようにが尋ねる。

 遥香の瞳は羞恥で涙が溢れそうになっている。


 もっと困った顔が見たいという思うが、虐めるのも、ここらが潮時だろうと雅明は顔を離した。


 ちょっとした意趣返しもここまで。


「さて、今夜はここまで。遥香には刺激が強かったな」


 遥香の頭をくしゃっと撫でた後、雅明はベッドの側に腰掛けた。

 

 遥香が恨めしそうにこちらを見る。


「雅明兄ちゃん、なんでそんなに余裕なの。すっごい慣れてる。いつもこんなこと女の人にしてるの」


 遥香が怒ったように聞いてくる。


「そんな人を遊び人みたいに言うな。これでも社会人だしそれなりに経験はある。けど、こんなこと好きな子にしかしないよ」


 雅明の発言に遥香の動きが止まる。そして戸惑った様子を見せる。


「……好きな子って、まだお芝居してる?」


「どうだろうね」


 雅明は意味有りげに笑ってみせた。


「雅明兄ちゃんずるい」 


 遥香は悔しそうに呟いて、ベッドの脇に追いやられたペンギンに突っ伏した。


 その様子を見て、雅明は服を整え帰り支度をしようとした。


「……帰っちゃうの」


 気配を察知した遥香がペンギンから少し顔を上げる。


「もう日付越えたしな。さっきの続きしたいって言うなら別だけど」


 ぱふっと遥香はまたペンギンに頭を埋める。


 遥香の頭ををぽんぽんとあやすように叩いてから、再度シャツのボタンに手を掛ける。


「いいよ」


 背後から小さい声が聞こえ、雅明は手が止まる。

 遥香の手がシャツをぎゅっと握った。


「続き、いいから、まだ帰らないで」


 雅明は思いもしなかった言葉に目を見開いた。


「私のこと少しでも好きなら、いいよ」


 その強がったような大人ぶった言葉を聞いてため息を付く。


「いやいや、良くないだろ。ちょっと触れただけでも震えてるくせに」


 そう言って遥香の方を向いた雅明が見たのは今まで見たことがない激情が宿った瞳だった。


「なんでそうやって子ども扱いするの! こうでもしないと私、雅明兄ちゃんの横に立てない! 無理やりでもなんでも私を早く大人にしてよ!」


 雅明はその追い詰められたような姿に呆気に取られ言葉を失った。いつまでも子どもだと甘く見て、遥香を追い詰めここまで言わせてしまったのは自分だ。


 雅明は自分も正直にならないといけないと悟った。

 遥香の顔を真っ直ぐに見る。


「そんなことしなくてもオレの横に立てる。遥香は自分のペースで大人になればいい。オレは今のちょっとしたことで恥ずかしがる遥香も好きだから」


「本当に?」


 泣き出した遥香を抱き寄せて額に口付ける。

 遥香は顔を赤くしながらもそれを大人しく受け入れた。


「これから少しずついろいろ教えてやるからな」


「うん」


 遥香は嬉しそうに無邪気に微笑んで抱きついてきた。



 雅明はそれを抱き止めながら、これからどうやって遥香を仕込んでいこうかいろいろ考え巡らせ、密かに妖艶に笑った。



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