蜜桃のような愛を教えて

万之葉 文郁

愛と呼べない夜を越えたい•前編

 風呂上がりの髪が木枯らしに晒され、ぶるっと身震いをする。

 雅明まさあきは羽織っていたフリースジャケットのフードを被り足早に目的地に急ぐ。


“夜遅くに悪いのだけど、お願いしたいことがあるの”


 先刻掛かってきた電話を反芻する。相手は幼馴染みの遥香はるかだ。社会人になって実家を出て一時疎遠になったが、遥香が大学進学で近所のアパートに1人暮らしを始めてからまた会うようになった。


 しかし、夕食を共にすることはあっても、今夜のように夜中に呼び出されることはなかった。


“こんなこと雅明兄ちゃんにしか頼めない”


 切羽詰まった感じでそう言われれば、幼馴染みとはいえ男が夜中に女子大生の家に行くべきではないなどと説教を垂れることも憚られ、すぐさまスウェットから着替えて家を出た。


 まぁ、遥香と二人きりになったとて、色気のある展開にはそうそうなるまいとタカを括っていたところもある。


 遥香は恋愛に疎く彼氏がいるなんて話を聞いたことがない。自分の趣味に全ての余暇時間を掛けているような女の子だった。


 そうこう考えているうちに遥香の家の前に着く。インターホンを鳴らすと直ぐにぱたぱたと扉に近づく音がして扉が開いた。


「急にごめんね、来てくれてありがとう」


 出てきた遥香は赤い縁の眼鏡を掛け、前髪を上げおでこを出した格好だった。これは遥香の趣味に勤しむ時のスタイルだと雅明は知っている。これ関係のお願いなら深刻なことではないだろうと密かに安堵した。


「それで、お願いって何だ。イベントが近いのか?」


 遥香の趣味は自作の漫画本をイベントで売り、好みの本を買うことだ。所謂、同人活動というもので、ジャンルはBL、男同士の恋愛ものだった。


 学生の頃、遥香の部屋でうっかりその本を見てしまっところ、遥香は開き直って雅明の前でこの趣味を隠さなくなった。原稿が間に合わないと手伝わされたこともある。


玄関の隣のキッチンを通り抜け部屋に入る。この間のイベント前に来た時は原稿やら画材道具が散乱していたが、今夜は綺麗に片付いている。


 原稿の手伝いかと思ったがそうではないらしい。


「ううん。イベントはまだ先。でも、最近萌えるネタが思い浮かばなくて。それでお願いなんだけど」


「うん?」


 遥香は両手指を合わせてはにかみながら上目遣いをする。


「雅明兄ちゃんに攻めの萌えるシチュエーションを再現してもらったら何か良い案がでるかなって」


「はぁ?」


 そのあざとい頼み方どこで覚えたと思いながら、再現ってなんだと本当にわけがわけらなかった。


 たしか「攻め」とは同性の恋愛における男役のことだったはず。ちなみに女役を「受け」というはずだ。


「雅明兄ちゃんに攻めになって受けとの絡みみたいな芝居をやって欲しいの。雅明兄ちゃん学生時代演劇やってたでしょ」


「つまりオレにBLの攻めの役をやれと」


「そう!」


 話が早いとばかりに手を打つ遥香。雅明は深くため息をつく。


「そんなことで夜中に呼び出すなよ。オレは明日も仕事なんだぞ」


「そんなことって。明日は土曜日じゃない」


「明日は電話番に出なきゃいけないんだよ」


 それを聞いて遥香ははっと申し訳なさそうな顔を見する。


「ごめん。予定も確認せずに呼んじゃって」


 俯いてしおらしい態度を見せる遥香に雅明は態度を軟化させた。昔から遥香のこういう素直な態度に弱い。


「もういいよ。オレも電話で言わなかったし、で? 芝居ったってどうするんだよ」


 遥香が顔を上げる。


「やってくれるの?」


「まぁ、折角来たんだしな。だけど、遥香が期待してるようなことができるかはわからないぞ」


「大丈夫! 雅明兄ちゃんは顔も性格も本当に私の理想の攻めなんだから」


 理想の攻めってなんなんだとは思ったが、遥香にとって自分が理想だと言われるのに悪い気はしない。


 遥香は雅明をベットの前に連れて行く。そこにはベッドを占領する巨大なペンギンのぬいぐるみが横たわっていた。それは前にゲームセンターでせがまれて取ってやったものだ。


「これが本日の受け担当ペンギン王子だよ」


「オレにこのぬいぐるみと絡めと?」


「やっぱり人がいい? どぎメモのミナトの抱き枕もあるけど」


 遥香が持ってきたのは彼女がハマっているBLアニメのキャラクターが描いてある等身大の抱き枕だった。色素が薄い髪の中性的な男の全身がプリントされた抱き枕は雅明を複雑な気持ちにした。


「遥香いつもこれ抱いて寝てるのか?」


 何となく心がざわついて尋ねてみる。


「いやいや。そんな畏れ多いこと。私のいない昼間に攻めのアキラとベッドに並べて寝かせてるよ」


「へぇ」


 雅明にはその行動の意味がわからなかったが、取り敢えず、これを相手にするぐらいならペンギンの方が幾分ましだと思った。


「ベッドに乗り上げてもらって構わないからどうとでもやっちゃって」


 そう言って遥香はカメラを構えてベッドのそばにあるローテーブルに座る。


「撮るのか?」


「後で見返したいから、ダメ?」


「他のヤツに見せるなよ」


「……わかったわよ」


 口を尖らせて答えるのを見て、こいつ趣味仲間に見せる気だったなとそう思ったが、特には突っ込まずに撮影させてやることにした。


 さぁ、これからどうしようか。


 学生時代割と本気で取り組んでいた演劇。久しぶりに芝居をするのに、たとえ役がBLの攻めであろうと雅明の気分は変に高揚した。


 まずはと、ベッドに乗り上がり横たわっている体に跨った。


 白い腹をつぅと人差し指で撫でる。


「いい肌触りだ」


 その手をゆっくり上に伝ってクチビルに当てて「かわいい口」と艶っぽく笑った。


 横でごくりと唾を飲み込む音がした。横目で見ると遥香は息を詰めてカメラ越しにこちらを見つめている。つかみはオッケーらしい。


「何か希望はあるか?」


 視線を合わせず問いかける。


「あの、服を、少しはだけて、もらえたら」


 遥香は途切れ途切れの小さな声の割に大胆なことを言う。了解と短く応じ、雅明はフリースの上着を脱ぎ、下に着ていたシャツのボタンを外す。


「ひぁ」遥香は息を飲む声がした。


 視線を感じながら、跨っている格好になっている下の物体の横に片手を付く。そして、つぶらな瞳を見下ろした。


 付いた方と反対の手で首筋からたどるように頭をそっと撫でた。


「気持ちいいね」


 その柔らかい手触りを堪能した。これからどうしてやろうか考える。そろそろ仕掛けるか、と。



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