第十八話 青き星の神の舞

 翌日、午前中に準決勝二試合が行われ、勝ち上がった二組によって優勝決定戦が行われる。

 今日は二階席もぎりぎりまで増やし、入りきれない人々が参道まであふれ、そこで賭け事をやるほど人が集まっていた。今までの出場選手に加え、特別に用意された席に、京都から来た五条実慶も臨席していた。ほかにも、土岐雄山が桂木双鶴とともに、あの張孔先生を招待していた。白堂に横取りされたとは知らず、自分たちの送り込んだ黒鉄が勝ち上がる瞬間を見せようと思ったのだ。海堂も猫面の紫門と一刀斎と並んで、力士の支度部屋の方から決戦を見ていた。もう観客席はすし詰め状態だったからだ…。海堂は今朝の謎の言葉の意味を考えていた。

 今朝、お浪と朝ごはんを食べていると、がらっと戸が開いて、突然お絹がやってきた。何だろうとお絹を見ると、突然神々しい顔でこう言ったのだ。

「星星の下で行われる神の舞を見逃すな。みんなの声がお前の思いが恐ろしい力を沈めるであろう」

 驚いて、その意味を考えていると、お絹はすっと元に戻り、

「あー、本当に海堂様も玄米ご飯だ。私もそうするんだから!」

と叫んだ。

「はいはい、お絹の分も同じのを用意してありますよ。よかったね、よちよち」

「もう、また子ども扱いするんだから…。私は立派な大人の女なんですから…」

 そんなやりとりがあった。海堂はその言葉の意味をぼんやり考えていた。

 そして最初は一の槍対北辰だ。

 そろそろ出るか初勝利、人気抜群の菊丸が、今日は紫の布をまとってたおやかに進み出る。天の助、黒獅子もあとに続く。

「おおお!」

 菊丸に負けじと、豪華絢爛の歌舞伎衣装で入場したのは、辰之進と相棒の古村兵庫だ。今日は特別、最初に古村が長キセルをふかして大きな輪を空にふき出すと、その輪の中に、辰の進がさらに大きな煙の輪を通すのだった。観客は大喜びだ。そしてのっしのっしと遅れてやってきたのは八郎。なんと天の助に対抗するためか、いつもは漁師風の衣装だが、今日は大きな毛皮を肩にかけての登場だ。しかも、片手には大人の背の高さほどもある根っこのついたままの木の棒を持ってときどき振り回しながらの入場だ。

 まず、一の槍の古村兵庫と菊丸の二枚目同士の戦いから始まった。頭脳派で業師の古村は、最初から菊丸の蹴り足をとりに行き、転がすつもりだった。そして、立ち合い。最初から拳と蹴りで攻めて行く菊丸。あっと言う間に古村を綱ぎりぎりまで追い込む。そこに電光石火、古村が飛びついた。

「キャー!」

 会場から女の声が響いた。左足をすぐにとられて、早くも逆転、今度は菊丸が追い込まれてしまった。

「菊丸さまああ、負けないで!」

 女たちの悲鳴が響く。

「負かし時」

 この間も駿空に同じ手でやられていただけに、対策は考えてあった。足腰が強い菊丸は、足をねじりに来た古村兵庫を、もう一本の足で、とんと飛び上がり、空中蹴りだ。

「おお!」

 蹴りは見事、古村兵庫の側頭部に命中、足を離した古村に正拳の乱れ撃ちを決めた。そして、もう一度蹴りを決めて、見事葬ったのだった。

「やったー、初勝利だ」

 トンボを切って、喜ぶ菊丸。会場も大盛り上がりだ。

 続いて順番が入れ替わり、辰之進と黒獅子の組み合わせだ。黒獅子は、獅子口、阿修羅と、大型力士と激戦が続き、肩と腰を痛め、満身創痍の状態で、大将を天の助に譲ったのだ。

 だが一の槍も古村が負けたので、もう後がない。辰之進が進み出る。

「ほほう、調子がもう一つだな黒獅子よ。天の助を今度こそぶちのめせると思っていたのに残念だが、でも、あんたでも手加減はしないぜ」

「望むところだ辰之進よ。だが、簡単には行かないぜ」

 実力者同士の間に静かな火花が散る。

「はっけよい、のこった」

 またもや、低い体勢から飛びつき、押し倒しを狙う辰之進。だが、黒獅子は素早くその突進を左右に外しながら、うまく勢いを殺して、かなり押し込まれながらも倒れずに抑え込んだ。そして、なんと上から辰之進の首を挟んで、体重をかけ、のしかかったのだ。

「うぐ、こ、これは?」

 とっさに黒獅子のとった体制は相撲で言うところの「五輪砕き」、首を両腕で挟み込んだまま上から体重を賭ける、首に致命的な損傷を与える非常に危険な技だ。黒獅子は、このまま首をへし折ってでも、辰之進を止めようというつもりだ。

「やるなあ黒獅子、だが、われこそは無敵の辰之進なり! うぉりゃー!」

 だが辰之進はそこで気合いを入れると、突然黒獅子の片足を持ちあげながら体を起こし、なんと、黒獅子を持ち上げて、そのまま反り身になって、黒獅子を背中側へと投げ捨てたのであった、「たすきぞり」の大技だ。

「フォー、危なかった。さすが黒獅子、危うく首を持っていかれるところだったぜ。あとは、八郎に任せた。化け物同士、きちんとかたをつけるんだぜ…!」

 八郎は呼び出されると大きな叫びをあげながら、片手に持った根っこの生えたままの木の棒を眼より高く両手で差し上げたのだった。なにをする気だ? どよめく観客。

「ぐおおお!」

 八郎は思いっきりその木の棒を叫びながら膝にたたきつけた。

「おお!」

「す、すげえ!」

 すると大人の腕ほどもある太い木の棒が、バキバキと音をたてて真っ二つになった。これは辰之進の考えで、木の棒にはあらかじめ切り込みがいれてあるのだが、もちろん観客にはわからない、観客や相手をビビらすには効果絶大であった。そして八郎はその大きな指で天の助を指差したのだった。

 だが、天の助はいつものように睨みながら、かすかに笑ったのであった。

「はっけよい、のこった」

 普通の力士はつかまらないように距離を置いたり、逃げたりするのだが、天の助は立ち合いと同時に真正面からぶつかっていった。

「うおおおお!」

 八郎の巨大な拳が天の助の顔面を直撃、だが天の助は平気な顔で張り手を一発、二発。 さらに至近距離からあの重い当て身を一発、たまらず八郎はひざ蹴りで天の助を突き放す。

「八郎、距離をとれ!」

 当て身攻撃を受けないようにと辰之進が叫ぶ。八郎はあの長い手で天の助の肩を押さえ吹っ飛ばす。だが同時に天の助は肘を使ったようで、八郎は痛そうに手を引っ込める。

「八郎、どうした脳天割だ!」

 辰之進の檄が飛ぶ。八郎の得意の手刀が天の助の頭に命中…凄い音がする。が、それと同時に、天の助は八郎の足の甲を踏みつけながら、するどい突きを八郎のわき腹に突きさす。相撃ちか、怪物同士の凄い打ち合いだ。見ると、天の助の口から血が一筋流れている。

「…互角の打ち合いですね!」

 海堂の言葉に一刀斎は答えた。

「いいや、一方的な打ち合いじゃ」

「え?」

「八郎はただあの巨大な手足を振り回しているだけじゃ。でも天の助は、最初の張り手で眼や鼓膜をおかしくさせ、八郎の伸ばした手を見えない速さで拳と拳、肘と膝で挟み打ちし、足の甲を踏み抜き、そして最後に胸や腹に激痛を与えた。激痛を与える攻撃を順に行い、八郎の気勢をそいでいるのじゃ」

 次に天の助が近づくと、八郎の巨体は思わず後ずさりしていた。手を伸ばせば挟みつぶされ、足を延ばせば甲をつぶされ、胸や腹から行けば、急所を狙われ、眼も耳も鼻もまだ痛くておかしい。するとその様子を瞬時に読み取った天の助は手負いの草食獣ににじり寄る肉食獣のように、勝ち誇って近づいてくる。

「なにをしても激痛が走れば、獲物はそのうち手も足も出なくなる。あとは最後の反撃を交わすのみ…」

 天の助という怪物が、八郎にとどめを刺そうと動き出す。その時だった。

「うおおおおおおおおおおお!」

 突然八郎が暴れ出した。手をブンブン振り回し、唸り声をあげて襲いかかったのだ。それを見ていた一刀斎は、思わずうなった。

「まさか、あの八郎が恐怖から暴走しおった。あの天の助という男は…!」

 だが天の助は計算通りだと、その底知れぬ力でぶつかり返した。肉と肉のぶつかり合う、すごい音が響く。そしてむこうずねやわき腹に激痛の攻撃を加えた。ますますたけり狂う八郎。

「うおおおおおお!」

 そして天の助目指し、ものすごい勢いで襲いかかったのだ。

「キャー!」

 近くにいる観客は悲鳴を上げて逃げ始めた。怪物の暴走だ! だが、天の助は冷静にそれをかわして回り込んだ。

「うああ、助けてくれー!」

 巨大な怪物は、天の助にかわされて、客席になだれ込んで終わった。一見、相互に打撃を加えた後に凄い勢いで突進した八郎が、かわされて場外負けを喫したかに見えたが、それは全く違っていた。睨み合いで相手を飲み、先制攻撃で気合いをそぎ、見えない当て身で獲物を恐怖に追い込む狩人のやり方だった。あとは最後の反撃を冷静にかわせばとどめを刺すばかりだった。天の助はぶつかり負けもなく、最後まで相手に流れを渡さず、怪物対決に完全決着をつけたのだった。それが分かる者には、天の助の本当の強さが、怖さがひしひしと伝わる試合だった。これで一の槍はまさかの敗退、決勝にコマを進めたのは北辰だった。

 そして、八角部屋と、黒鉄の試合だ。京都からわざわざやってきた五条実慶が、江戸の騎馬の土岐雄山が、張孔先生が、そして兄の一刀斎が、観客が見守る中、その注目の一戦は意外な展開をしたのだった。

 八角部屋の力士が通路に姿を現した時、駿空が通路に出て何かを念じていた。

「次の黒鉄は、勝ちあがらせてはいけない邪悪な波動を持っております。」

 そんな心の声に八角部屋の力士も心で答えた。

「承知した。ここでたたきつぶそう…」

 先鋒の鷹王が中央に出た時、大将の雷慶はこう言った。

「鷹王、今日これからは封印を解いていいぞ。存分に戦え」

「ありがとうございます」

 黒鉄の怪士は、えぐい突き技を使ってくる。いったい鷹王はどんな技を見せてくれるのだろうか?

「はっけよい、のこった」

 立ち合いの後、組むことをせず、すぐに突きと蹴りで急所を狙ってくる怪士、だがなんということ、鷹王も立ち技それも、変幻自在の蹴りを中心に戦い始めたではないか? 実は鷹王は十年ほど前に東南アジアのシャムの国で王位にまでついた山田長政の家来だったのだ。

当時、東南アジアには豊臣方について行き先を失った浪人や、日本にいづらくなったキリシタンなどが、居所を求めて大勢渡っていた。有能な商人で、日本人町をおさめていた長政は八百人の浪士隊を率いていたが、鷹王はその中の歴戦のつわものだったのだ。シャムの格闘技、ムエタイを命がけで習得し、その強さに、神の鳥ガルーダとの呼び名もついたほどだった。長政が暗殺されて帰国してからは、相撲部屋で相撲の技を学んだが、こちらの方が得意技、鷹王の名まえもガルーダからきているというのだ。

 鷹王はまさしく翼をエタ鳥のようにすばやく飛び回り、変幻自在の足技で攻めまくった。すさまじき怪士も互角に応戦したが、長引くにつれ、重い鎧でやはり息が上がってくる。

「鷹王、行けー!」

 鷹王は強烈な蹴りを頭部に命中させ、初戦を飾ったのであった。

 そして次はまた順番がかわって、怪力だが相撲のうまい獏力と鬼武者の対決だ。

「はっけよい、のこった!」

 ものすごい音を立ててぶつかり合う両者。巨体の鬼武者だが、岩のような獏力も少しも負けていない。鬼武者の鎧を回しのようにつかみ、右上手からのがぶり寄りでどんどん押していく。

「フハー!」

 だが歴戦のつわもの、鬼武者も黙ってやられるわけはない、体制を入れ替え、綱ぎりぎりのところで、攻勢に転じた。その太い両腕で、獏力の首を挟み込むようにして、力ずくでひねる。とっくり投げだ。

「おお!」

 だが、獏力は首を縮めてこらえ切り、逆に右上手からの豪快な投げを放った。これで決まりか?

「わあ!」

 うまさで優る獏力が投げ勝ったと思った瞬間、鬼武者の伸びた手が、なんと獏力の頭蓋骨を後ろからつかんだのだ。なんという執念、鬼武者は最後の最後で地獄の底に引きずり込もうとその鬼の爪を伸ばしたのだ。獏力は激痛に重心を崩し、鬼武者はそのまま獏力を綱の外へとひねり倒したのであった。まさかの逆転負けに悔しがる獏力。これで勝負は分からなくなり、大将戦を迎えたのだ。

 凄い気迫で出てきたのは翁であった。天の助の時と同じように、面を外し、すさまじき気迫で雷慶をにらんだ。最後まで勝ち上がり、兄を世間を思い通りにしてやるという、大きな野望が見え隠れしていた。白堂に高く買われ、新しい興業では中心になるつもりだった。先ほど天の助にまさかの敗北を喫したので、勝ち上がった今こそもう負けは許されない。だが雷慶はいつもと同じように、力水をもらい、塩をまき、きちんと礼をして、いつもどおりに出てきたのだった。対象的な二人だった。雷慶は思った。

「なんという殺気、執念、しかも野望のようなドロドロしたものまで感じる。こ奴はいったい…」

 雷慶は体をパンパン叩いて気合いを入れた。

「ならばお前のその殺気や野望をすべて受け止め、呑みほしてくれよう! この雷慶の器の大きさを見せてくれよう」

「はっけよい、のこった」

 そして立ち合い、さっと飛び出て組み合おうとする雷慶、それを瞬時に外し投げに入る翁。だが雷慶はあえて投げられかけてこらえるという粘り腰で対応したのだ。

「おれの技はそんなに甘くない、これでどうじゃ! 天外流一本背負い!」

 翁の渾身の投げ技に大きく傾くも、ぎりぎりで戻す雷慶。

「さすが雷慶、しぶといのう。これではどうじゃ、天外流固め崩し!」

 今度は関節を逆に取りながらの投げ技。だが、手がするりと抜けて体制をもどす雷慶。

 天外流の大外刈り、二段投げと、四回、五回と投げを打つ翁、あえてその投げを受け、ためを作った重心で、柔らかな足腰で、受け止め勢いを殺して行く雷慶。そして少しずつじりじりと前に出て行くのだ。一方的に翁が攻め、そして追い詰められていくという不思議な展開がそこにあった。だが雷慶も、何度も責められて、息が上がってきていた。

「やつも人間、苦しいのは同じはず、ここで一気に蹴りをつけてやる。そして兄上を越え、辻相撲の頂点に立ち、すべてをこの手にしてやる。おれの強さの前にひれ伏すがよい!」

 翁の瞳がギラリと光った。翁は突然鋭い突きを何発も放った。思わずのけぞる雷慶。そこですかさず懐に飛び込むと、関節を取りに来た。

「奥義、天嵐投げ!」

 それは、相手の首や腕を関節技で決めたまま、斜め後ろに放り投げる危険な技だ。自分も一緒に倒れ込むことが多いので、空中で体を反転させて、相手を確実に地面にたたきつけるのである。なんと雷慶の体がさっと宙に持ち上がった。このまま終わるか?

「ぬぬ、なんだ、この重さは…?」

 雷慶の柔軟な体は関節技をはずしにかかり、さらにばねのような筋肉は重心を残して、投げを封じたのであった。

「ば、ばかな…」

 雷慶はそのままもとに地面に戻り、その反動で、翁を大外刈りのように投げ放ったのだ。

 翁は上半身から地面にたたきつけられ、その顔面は土にまみれたのだった。

 勝ち名乗りを受けた雷慶は、やはり何事もなかったように礼をして去って行った。黒鉄の無敗の記録はここに終わりをつげ、辻相撲の支配も夢と消えた。まさかの敗北を喫した翁は、野望を、今度こそ木っ端微塵に砕かれ、よたよたと帰って行った。

「これが、日本一の相撲…」

 いろいろな思いが浮かんでは崩れて行く。山頂に手が届いた直後に谷底に突き落とされた虚しさであった。

 だが、それを肩を叩いて励まし、ついて行った者がいた。一刀斎であった。

「…兄上…」

 一刀斎はなにも言わずうなずいて、弟の肩に手をおいて静かに歩き出したのだった。


 そしてしばらく時間を置いて、いよいよ決勝戦、北辰と八角部屋の対決だった。凄い数の賭け金が飛び交い、いやが応にも盛り上がる。しかし予想は混乱していた。日本一と噂の高い八角部屋に立ち向かうのは河原者、しかも女装した美少年、覆面の謎の拳法か、そして瞬殺の獣人である。意外な決勝戦であった。

「海堂様…」

 海堂が声のする方を見れば、いつの間にかそこに駿空たちあの三人の修験僧が来ていた。

「御同行してもよろしいでしょうか?」

「ああ、どうぞ。こちらこそ、よろしくお願いします」

「…天海様つながりでお聞きしました。森村白堂の陰謀を暴きお浜どのを救い、歌舞伎を守ったと…」

「はい、命がけで走り回り、やっと間に合いました」

「実は歌舞伎と今日の一戦が、大きなつながりを持っていたようです。海堂様のご努力がこの一戦を左右することになりそうですよ…」

「…?」

 いよいよ入場だ。大歓声の中、菊丸の登場だ。

「おまえに賭けた。二連勝頼むぞ」

「菊丸さまああ」

 確実に強くなってきている大人気の菊丸はついに今日はあのお姫様の衣装だ。三味線隊と打楽器まで引き連れている。そして中央まで来ると、一度あの姫君の舞いをたおやかに踊り、そこでくるりとまわる。着物をさっと翻し姫の衣が空中に舞い踊り、髪をさっと解いて、つやつやの筋肉美の美少年に変身だ。そして黒獅子、天の助と続いた時、駿空が不思議なものを見た。

「…天海様も、倒れられた時、北極星や北斗七星を見たという。いま、あの北辰の入場してくる北の空に、なぜか星がまたたいてみえる…」

 すると羅刹も、阿修羅も続けた。

「先ほどから、地霊のどよめきが聞こえる」

「この一戦に何か大きな力が…」

 駿空が最後に付け加えた。

「本当ならあり得なかったこの一戦を、何者かが望み、そのために海堂様も、我々もここにいるのかもしれませぬ」

 続いて八角部屋の入場となる今日は五条実慶が決勝戦のためにあつらえたという、刺繍の入った紫の締め込みで入場だ。鷹王は翼を広げ鷹、獏力は幻獣の獏、雷慶には稲妻が縫い込まれていた。天の助も土付かずだが、雷慶も土付かず、この戦いがついに実現か。

 そして、菊丸は鷹王を見つけると、そちらに向かって、中国拳法の派手な大技の型を見せるのだった。この挑発行為は吉と出るか、凶と出るか? いよいよ立ち合い、挑発に乗ったのか、鷹王は最初からムエタイの蹴りで攻めてくる。その変幻自在の足技に互角に戦う菊丸の中国拳法! しかも今日の菊丸は、俄然やる気で、相手の懐にもどんどん入っていく。

「行くぜ!」

 歓声を背に、鷹王相手に猛攻をかける菊丸、綱ぎりぎりまで鷹王を押し返していく。だが、鷹王はまだまだ余裕で反撃の瞬間を狙っている。

「うぉりや!」

 さすが歴戦のつわもの、鷹王、菊丸の大ぶりの拳をさっとかわすと、今度はムエタイから相撲に切り替わり、さっと菊丸に飛びつくと、そのまま体重の軽い菊丸を釣りあげてしまったのだ。高々と持ち上げられてもがく菊丸、だが、このまま終わるつもりはない。

「ええっ?」

 なんともがいた菊丸の足は、四隅にある柱の一本を蹴り、その勢いで鷹王にのしかかったのだ。客席になだれ込む両者。はたして行司の軍配は?

「菊丸?」

 確かに菊丸が上側だ! いつも丸い土俵で勝負している鷹王には、あり得ない負けであった。

 運も味方につけたか、菊丸二連勝だ! 菊丸はまたトンボをきり、あの荒事の構えをやって見せたのである。観客席は大盛り上がりであった。そして獏力対黒獅子、獏と獅子の対決だ。だが、肩と腰を痛めていた黒獅子は、辰之進との戦いで全身をたたきつけられ、満身創痍の状態だ。獏力も、先ほどの鬼武者との戦いで最後の最後で逆転されていた。二人とも、もう負けられない、

「はっけよい、のこった!」

 獏力は立ち合いとともに突っかかり、珍しく張り手で攻め上げる。黒獅子は左にすばやくかわして太ももへの鋭いけりで応戦だ。さすがの黒獅子も、獏力につかまれば、あのうまさと怪力で逃げられないだろう。距離をとりながらの波状攻撃だ。拳が、蹴りが岩のような獏力の体に命中する。だが、今日の獏力はやられてもやられても前に前に進んでくる。すさまじき気力だ。

「むむ!」

 気がつけば黒獅子は、柱の一本の前に追い詰められていた。

「フハー」

 あの顔が、あの音を出しながら突進してくる、もはやここまでか?

「おお!」

 観客席がどよめいた。手負いの黒獅子は、あの宿敵の弁天丸のように、横っとびして太い綱の上に飛び乗り、反動を利用して、獏力にまさかの横からの空中蹴りを放ったのだった。だが、それに気付いた獏力もなんとよけずに受けて立ったのだ!

獏力の体にヒットする蹴り、だが獏力はそのままずっしりと重い黒獅子の体を無理やり倒れながら、横の綱の外へと投げにかかったのだ。もつれて倒れ込む二人。大地が揺れる。勝敗は?

「引き分けー。」

 行司が叫んだ。一勝一分けだ。まだ勝負の行方は分からない。

 試合が終わり席にもどった獏力はよほど疲れたのか、あの音とともに、座り込んだのだった。そしてついに無傷同士の戦いであった。

 いつもと変わらぬ鋭い目つきで雷慶を睨む天の助。だが入れ替わって雷慶は、あれほど落ち着いていた日本一の力士はどこかいつもと違っていた。相手の技をやんわりと受け、相手の強さを引き出し、その相手の強さを呑みこんで一気に勝負をつけるのが雷慶の戦い方であった。相手の技を受けることにより、相手の気迫を、闘志を、野望や闇を引き出し、それを神の前で投げ飛ばすのである。だが、天の助からなにを引き出し、何を投げたらいいのか感じ取れないのである。こんなことは初めてであった。

 雷慶はめずらしく、体をパンパン叩きながら、天の助を睨み返した。そこから帰ってきたのは、獲物を追い詰める狼のような鋭さだった。でもそれはたとえようもなく純粋で、濁りがなく、悪意も野望もなかった…。

「わかったぞ。あ奴の殺気や強さは、やはり狩りのためのものだ。その技は生きる糧を得るため、その比類なき強さは大自然の中で生き抜いていくためのものだ」

 ならばどう戦う? 雷慶は己に問うた。

「やつの技を受け止めるということは、自分を獲物だと認めることになるのか? …ならば…!」

 雷慶は己に言い聞かせた。

「獲物ではなく、力士として、攻めまくるのみ」

 ついに立ち合いだ。

「はっけよい、のこった!」

 その瞬間大地を揺るがすような歓声が渦を巻いた。雷慶は、今までと違って、がんがん攻めて行く。張り手で、天の助の立ち技を封じ、隙あらば相手の足を蹴って前に倒すけたぐり、相手の膝を持ちあげる、内無双、相手の手をとりひきまわすとったりと押しまくる。それを巧みにかわし、反撃の機会を狙う天の助。その間、わずか数秒なれど、雷慶には無限の時間のように、すべてがゆっくり流れて行くように感じられた。

 公家の五条実慶が、為三郎親方が、海堂が、猫面の紫門が、観客が、張孔先生が駿空が、みんなで声援を送っている。町人が、浪人が、河原者たちが、女が男が、みんな手に汗を握って叫んでいる。そしてその熱気は、街全体を、江戸を、地下の地霊を熱くしていた。

 長い歴史の中で鍛えられ、磨かれた種々の技で押し寄せる雷慶、狩猟の技を駆使して相手を仕留める天の助、それは押し寄せる大陸の民と、生き抜こうとする山の民の歴史の縮図であった。一番違うのは大陸の民の武具は人間を倒すための者、山の民の武具は、獲物を狩るためのものだった。

「うおりゃあああ!」

 雷慶が勝負に出た。これ以上ないという気迫と力で、天の助にぶつかって行ったのだ。これで重心を崩せるか? それとも投げに入れるか? 闘気の嵐が押し寄せ、そこに稲妻が走った!だが、力士の力が嵐のように押し寄せた時、金色の星が天の助の後ろで輝き、熱い思いが流れ込む!

「立ち向かうのよ! 何ものにも縛られず、何ものにも溺れず、ただあるがままに嵐を突き抜けるのよ!」

 荒らぶる魂が響き合った。そして天の助もみなぎる力を爆発的に放出して、雷慶に一気に突っ込んだ。凄い激突、のけぞる雷慶。天の助はすかさず雷慶に強烈なひじ打ちをいれて吹っ飛ばす。まだ負けまいと、体制を立て直す雷慶の胸を、さらに天の助の必殺の当て身が貫いた!

「おおおおおお!」

 強かった。野生の強靭な肉体が、大自然とともにあるゆるぎない魂が、牙をむいた瞬間であった。まさか、雷慶は尻もちをついてそこにいた。

「天の助―!」

 勝ち名乗りを受けた天の助は、雷慶を見おろすように立ち尽くしていた。そして、自分の勝利をかみしめるように、拳を振り上げながら、大きく台地を踏みしめたのだった。湧きあがる歓声、それと同時に、この地に一万年の都を気付いた者たちの強き思いが歓喜の声とともに解き放たれていった。

 京都の最強の力士と、星をあがめる山の民の末裔が戦うことこそが地霊を沈める、神の舞であった。


 そして夕刻、いくつもの熱戦、莫大な賭け金が舞い、悲喜こもごもの人間模様を描き出した辻相撲も、もう夢のあと、為三郎親方の若い衆によって後片付けが始まっていた。海堂はその会場をぼんやり眺めながら思いにふけっていた。

「あ、鉄五郎さん、三吉も…」

「はは、為三郎親方と話をしてたら遅くなっちまって。いやあ決勝戦を見に来られて本当によかったです」

「鉄五郎さん、親方となにを話していたんですか…?」

「…鉄五郎さん、あんたさえよければ、江戸に出てきて、相撲部屋をやってくれないかと、いいお話でね。近い将来には、八角部屋のような、きちんとした相撲部屋が江戸にも沢山できて、こんな賭け金のためではなく、相撲を極めるための相撲を競い合う時代が来る。何年先か、何十年先かはわからないが、今から力を合わせて行こうとね」

 すると三吉が言った。

「そうしたら、父ちゃんの部屋で、横綱になるんだい」

 海堂は三吉を抱き上げて行った。

「そうだ三吉、父ちゃんを助けて頑張るんだぞ!」

「うん」


 同じころ、上野の寛永寺では、天海が駿空の報告を受けていた。

「そうか…山の民の末裔が、虐げられし河原者の代表が勝ったのか…。確かにその時刻あたりに、地霊の怒りが、急速に静まって行ったのを感じたのう…。よかった。お主らにも苦労をかけた。海堂も送り込んだ甲斐があったというもの。心から感謝する」

「とんでもないことでございます。こちらこそ、得難きことを学ばせていただきました。身分や立場に関係なく競い合う相撲は、人々の楽しみにとどまらず、魂の浄化も行えることを知りました」

 庭からは夕陽に染まった江戸が一望できた。彼方には輝く江戸湾も見える。

 天海はそれを遠く眺めていたのだった。

「江戸よ、一つの波を乗り越えたな。また、いくつ波がやってくることか…。だが江戸よ、今のおまえは、あの輝く江戸湾のように、穏やかさを取り戻したようじゃな」

 天海は、眼をほそめてそう囁いたのだった。

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