第十五話 星蓮荘

 その日の夕刻、雨足が遠のいていったころ、まだ明るい時枝屋に例の寄り合いの面々が急きょ集まってきていた。

「エタの連絡網、河原者の人脈を通じてあらゆるところから調べましたが、お浜たち三人は昼ごろに忽然と消えました。午後の練習に来ないと一座の仲間が騒ぎ出したのです。お浜たちは、時枝屋さんでお絹の見舞いをして、帰り道に雨に降られたらしいのですが、そこから先がまったくわかりません。我々エタ・ひにんはいつも差別や虐待のなかにいる。でもお浜たちはその中でも希望の星です。お浜たちが事件に巻き込まれたということになれば日ごろの不満が高まり、大暴動が起こるかもしれません」

 エタ・ひにんのお頭、団衛門が深刻な顔で訴えた。時枝屋がすまなさそうに立ち上がった。

「今度の事件の一日前にも、うちで働いていてお浜の一座の歌舞妓でもあるお絹が、正体不明の泥棒に突き倒され、大騒ぎだった。お浜たちはその見舞いに来た帰りに事件に巻き込まれた。お絹が刺された時点でもっと手を打っておけばよかった。すまん」

 時枝屋の隣で、さらに海堂は団衛門に頭を下げながら言った。

「お絹を刺した犯人は私が隠密なのを調べようとして忍び込んだらしい。すべて私のせいだ。迷惑をかけてすまん」

 そんな海堂に、団衛門は言った。

「でも、海堂殿、お浜たちは直接海堂殿と関係はないようです。以前浪人集団の金の鯱の関係から脅され、それがもとで黒獅子たちが辻相撲の本戦に参加することになったと聞いている。わたしたちは間違いなく、そちらの関係ではないかとにらんでいるのです」

 すると、浪人集団文月の会のまとめ役、藤田陣内が話し出した。

「実は昨日、浪人集団金の鯱が森村白堂の別荘、星蓮荘に集まって何か話し合っておった。内容は分からぬが、今日何かことを起こすという噂だ。やつらがかかわっている可能性は大いにある…」

 だがそこであの猫面の紫門が、決定的な話を出したのだ。

「まだ確かなことが分からないので、これから話すことは秘密でお願いします。…実はつい時枝屋にくる少し前に、わが屋敷に、脅迫文が届きました」

「えっ?」

 なんと脅迫文は宛名も差出人もなく、ただ中を開くと、こう書いてあったというのだ。

「北辰の組が一回でも勝てば、三人の女の命はない。夢夢疑うことなかれ」

「な、なんと」

 すると団衛門がまた深刻な顔をした。

「辻相撲で、勝ち進んでいる北辰の菊丸も天の助もわが一族の者。黒獅子も長年われらの一族に協力してくれた虐げられた者です。それをどちらもつぶそうとするとは…ゆ、許せない」

 すると女衒の鉄がそのこわもての顔をさらに厳しくして言った。

「以前お浜の一座に脅迫をしていたのはだれだか知ってるかい?」

「黒幕は森村らしいが、実際に脅しをかけていたのはわからんなあ」

 海堂の答えに女衒の鉄は眉をしかめて言った。

「なんでも屋の留蔵の一味だ。やつら、金さえ出せばなんでもやるえげつない奴らさ。実は留蔵の一味がまた、何かし始めたと、遊女のもっぱらの噂だぜ。今度の瑠璃宮の仕事はおいしいってな。うまくいったら吉原に通いで来るってな。留蔵がそう言っていたそうだ」

「瑠璃宮…?」

 いったいなんだろう? すると笛太鼓堂が手を打った。

「あ、思い出しました。確か瑠璃宮って、森村白堂が、別荘の庭に作った離れです。骨董屋のおやじが、かなり高価なものを白堂の瑠璃宮に買ってもらったと自慢してました」

「…ではお浜たちは森村にさらわれて、瑠璃宮にいるかもしれないと…?」

 海堂はみんなの顔を見つめながら言った。

「三人の命がかかっている…とにかくことを早く成さなければならない。作戦を決めて、体制が整ったら、すぐに行動を起こそうぞ」

 海堂は寄り合いのみんなの顔をもう一度見回した。

 話し合いが終わると、あの眼力のある犬目屋が小さなお守りを持って海堂に渡した。

「海堂殿が大きなことをなす時に、心がけると言い注意事項が書いた占いの紙が入っております。ここぞという時にお開けください」

 犬目屋の占いはよく当たる。海堂は深くお礼を言って受け取った。


 その頃お浜は見知らぬ場所で目を覚ました。どこだろうここは窓に掛けられたしゃれた紗の布越しに山に沈む夕日が見える。お浜は籐の椅子に置かれた柔らかな布団のようなものの上に寝ていた。昔話に聞いたシャムの国にでも来てしまったのか、不思議なところだ。奥には西洋の甲冑が銀色に光り、南洋の蘭の鉢が揺れ、あちこちに何かキラキラ光る者が置いてある。その時気持ちのいい風が吹いたかと思うと、そこに入ってきたのは森村白堂だった。

「やはり、あなただったのね。クレナイとオフジはどこにいるの」

 すると白堂はさわやかに答えた。

「お浜殿が、素直にこちらの言うことを聞いてくれればすぐにでも会わせてあげるのだけれど…」

「いいわ。そちらの条件を聞かせて!」

「せっかちだなあお浜殿。せっかくこの瑠璃宮に来たんだから、この南蛮の酒でも一杯どうだい」

 お浜は首を振ったが、白堂はそれにお構いなく、西洋のテーブルに腰掛け、料理人に御馳走を並べさせ、グラスに赤ワインを注いだ。

「この酒はね。ワインの仲間でポルト酒と言ってね。長い船旅でも耐えられるように甘くしてあるのさ。おいしいぞ」

 白堂は無理やり乾杯してお浜にワインを強要した。お浜が一口飲むのを確認すると、やっと用件を話し出した。

「こんなことをして…あなた何が狙いなの?」

「今度富くじを始めてね。いや、奉行所に許可を取るのは寺社に任せてその仕事を、材木屋を通して全部こちらで代行する。つまり当たりくじの捜査も、配当もすべてこちらの思いどおりってわけだ。それといま辻相撲やってるだろ? あれも辰之進と組んで、来年にはこちらの者になる。そしたら掛けの胴元として金が飛ぶように入ってくる」

「…だから…どうなの? 大金を集めてどうするっていうの?」

「わたしはねえ、新しい歌舞伎を作りたいのさ…。」

この男の口からそんな言葉が出るとは…。

「女歌舞伎はもう十年も前に禁止された。若衆歌舞伎もそれほど長くないだろう。でも江戸の庶民は芝居が大好きだ。江戸のあちこちに大きい小屋小さい小屋が乱立してきている。わたしはねえ、その中でも何十年も何百年も続くような新しい歌舞伎をやりたいんだ。そう思っていたら、先日、そのものずばりをお前さんがやってくれた。そこで考えた。あちこちの小屋から人気役者を引き抜き、なんなら、女歌舞伎や力士も入れて、新しい歌舞伎ってのを始めようとね」

 さわやかに理想的なことを話す白堂。でもいつでもこの男は理想の裏で汚いことを平気でやるのだ。

「その新しい一座を、やってほしいのさ、君に。お浜殿、悪い話ではないだろう? どうだい、引き受けてくれるかい?」

「…あなた、今まで自分のしたことを覚えている? こっちにいい話を持ちかけて、それを断ると、さっと手のひらを返すように脅して来たわよね。それでこっちが若衆歌舞伎と組んでたら、対抗戦を持ちかけて今度はこっちをつぶす気だった。それで私たちが勝つと、今度はと取り込みにかかる。思い通りにならないと壊し、うまくいけばやさしい言葉で、おいしいところを持って行こうとする…。自分では危険な橋を渡らない…。森村白堂、あなたと組む気持ちは少しもありません。以上です」

「まあ無理もないね。君もいろいろ荒波にもまれているようだから。でも言っておくけど、私は君の言うような悪事は何もしていない、第一証拠も何もないだろう。まあ、でも、お友達のことも考えた方がいいよ。明日中にいい返事がもらえなければどうなるかは、わからないけどね」

 ここでクレナイたちのことを出すとは…なんという卑怯な。しかも言うことを聞いたからと言って、クレナイたちが自由になる保証は何もない。

 バシャ!

 腹にすえかねたお浜は白堂の頭にワインをかけたのだった。

「脅しても無駄よ。私の気持ちが変わることはないわ」

 すると白堂はお浜に近寄り、そっと言った。

「仲間のためにせいいっぱい強がる君も、ぞっとするほどきれいだぜ。では、また明日、答えを聞こう。ちょっと早いがおやすみ…」

 白堂はそう言って去って行った。ここ、瑠璃級は星蓮荘の池の中の中島に作られた宝石を配した離れであった。白堂は小舟に乗って帰って行った。お浜は夕暮れに染まる池を見ながら立ち尽くしていた。


 次の朝早く、偵察に行っていた飴売りの七五郎が帰ってきた。

「海堂様、間違いありません」

「そうか、やはり…」

「星蓮荘の母屋に二人、離れに一人、女が閉じ込められているようです」

「分かった、さっそく行ってみよう。うまくいけば助け出す」

「やつらはいざとなれば、河原者など殺すのはなんでもないやつらですから、無理はできません。慎重に行動せねば」

「忠告ありがとう。無理は禁物だな」

そして海堂は出る前にもう一度、お絹の部屋へと顔を出した。お絹はお浪におかゆを食べさせてもらい、ちょうど食べ終わったところのようだった。

「お浜たちのところにちょっと行ってくるよ」

「やっぱり行くんですね」

 お浪が心配そうに言った。状況をまだ知らされていないお絹は朗らかに言った。

「昨日お浜姉さんたちが来てくれたんですよ。早く元気にならないと、いい役取られちゃうよって。待っているよって。励ましてくれたんですう。よろしく言っておいてください」

「ああ、わかった。よろしく伝えておくよ」

「それから…それから…」

 お絹は突然別人のようになって海堂に言った。

「どんなことがあってもお浜を死なせてはいけない。お浜は鍵となる大事な存在なのだから…」

「え?」

 しかし、そう言い終わると、お絹はまたすうっと横になり、いつの間にか寝息を立てていた。あどけない寝顔だった

「…きのうも、お浜三たちが来たときに、突然別人のようになって…。頭を強く打って、どうかなっちまったのかとも思ったんだけど…なんでも河原者の巫女の家系の者なんですって。この子が突然言い出すことは本当かもしれませんね」

 お絹の元気そうな姿を目に焼き付けた海堂は、立ち上がり、お浪に会釈すると、七五郎と時枝屋を後にした。今日は釣竿を持って出発だ。

 途中、猫面の紫門が打ち合わせ通りに顔をだす。

「紫門さん、海堂新衛門、この命に代えて、結果を出します」

 海堂は短く決意を述べた。

「決して無理はなさらぬよう」

「それから脅迫状のことはもちろん誰にもいっていません。脅迫状に屈しないと決めた、紫門さんや団衛門さんはえらいと思います。だから、辻相撲のことは今まで通り、頑張れと伝えてください。」

「わかりました。もし、間に合うようなら、少しだけでも見に来てください。では、星蓮荘の周りには打ち合わせ通り、瓦ものの仲間が用意を終えています」

「ありがとうございます。そうですね。こっちを早く片付けて、応援に行きます。では」

 お浜たちを人質に取り、北辰に負け試合を要求してきた謎の犯人だったが、紫門や団衛門のお頭は、もちろんどちらも大事であり、脅迫には負けないと、つっぱねたのである。

 去り際に、あのお頭、団衛門の声がして振り向いた。

「わたしたち河原者のために命をかけてくださるお侍がいるとは…感謝の念でいっぱいです。ご武運をお祈りします」

 声の方を見ると、路の奥の空き地に、あのエタのお頭の団衛門と数十人の河原者が並んで、こちらに頭を下げていた。家畜の解体や革細工をする者、庭師たち、竹細工や履物などの職人、神社の芸能、能・狂言、若衆歌舞伎、女歌舞伎の役者、など、実に多様な人々だった。これがみな、虐げられた者たちだった…。そしてお浜たちはみんなの期待の星であった。みんなの強い願いが迫ってくる…。

「じゃあ、参ろうか」

 まだ朝早く、人通りもまばらだった。

「星蓮荘は高級な料亭だったのを森村に買い取られ、改修され、金の鯱の本部として、高級料亭としても使われています。森村が手をいれてから、屋形船もつき、さらに豪華に、料理もおいしくなったと聞きます。でもその実態は三方を川と水路に囲まれた広大な敷地の中にある要塞ですね。敷地に入るには、通常なら厳重な警備と高い塀で守られた門から入るか、水路に掛けられた橋を渡るかです。門にも橋の入り口にも、警備の浪人がごろごろしてますから迂闊には入れません」

「うむ、覚悟はできている、作戦の通り慎重に、心して行こう」

海堂と七五郎は、瑠璃宮があるという星蓮荘を目指して、歩きだしたのだった。

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