第十二話 鉄牛太鼓

 その日、あの川越人足の相撲好き、鉄五郎は久しぶりに江戸に出てきていた。乳飲み子の世話をしている母親はまた里に置き、五歳になる息子と一緒であった。

「三吉はえらいなあ、こんなに歩いても、疲れたの一言もでないなあ」

「あったり前だよ。父ちゃんの子だからね。それに亀吉さんが言ってたんだ。お前さんがわがまま言ったり迷惑かけたりしたら、勝負に勝てなくなるから、気をつけるんだよって…」

「…そうか、亀吉の奴、そんなことを…」

 暴れ川の突撃隊のすっぽんの亀吉は、頭のけがは大事に至らなかったが、首と肩の怪我がまだ癒えず、まだまだ相撲は無理そうであった。でも、相撲をまたやりたいと、型の痛みを我慢しながら人足や足腰の鍛錬を頑張っている。亀吉はこうも言っていた。

「そうですか、京都から、最強の関取がやってきて、その相手をすることになったんですか…。すごいなあ、さすが鉄五郎さんだ。そんなすごい関取と鉄五郎さんなら、きっと名勝負になりますね。見てみたいなあ、いけないけど…見てみたいなあ」

その時の亀吉の顔を思い出しながら、鉄五郎はささやいた。

「…名勝負になるかどうかは分からぬが、こんな名誉なことはねえ。おれの相撲人生のすべてをかけて勝負するぜ」

 でも自分だけ呼ばれたのはなぜだろう、どのような試合になるのだろう…。まだ不安は一杯だった。

 そして鉄五郎親子が到着したのは、為三郎親方の相撲道場だった。

「おうおう、よく遠くから来られた。三吉も一緒だな。おいしいお菓子もあるぞ。こちらへ、こちらへ」

 親方に案内されて道場に入る。花車を始め、ここの力士たちは絶好調のようで、気合いの入った掛け声と、肉体のぶつかる激しい音が響き渡っている。奥の間に通されると、なんとそこにあの鉄砲兄弟の名物男、黒牛の五平と未来の横砂と言われる神田太鼓組の時次郎も呼ばれていた。

「急に呼び出してすまなんだ。この間の神の拳事件は返す返すも残念じゃった。そこで今度の本戦の一日目に、最終予選を再び行う運びとなった。でも、鉄砲兄弟も暴れ川も、まだこの間の傷が癒えず、そうかと言って神田太鼓組はまだまだ若すぎる。そこでいろいろ思案した結果、次のように考えてみた」

 親方は、墨で書いた対戦表を取り出した。

 京都から正統派の三人組を招聘し、さらにある筋からぜひにと言われた絶対に反則などしない組を一つ参加させることにした。そして、勝ち抜き戦で勝ち抜け実績のあるものに声をかけ新たなる組を作った。全部で五組、この中から三組を本戦に出すのだという。

「それで五組では足りないので、京都から招聘した強豪相手をどうするか悩んだのだが…、鉄五郎どん、五平さん、時次郎、お前さんたちなら、本物の相撲ができる。三人で新しい組を作って京都の強豪と戦ってはくれまいか。もし勝てれば、そのまま本戦にも出場はできる…」

「え…?」

 そういうことだったのか…。三人が視線を合わせた。

「いいですよ」

「ようがす」

「そんなありがたいことはないです」

「よかった。そう言ってくれると思っていた。お前さんたちの相手はここだ」

 そこにはこうあった。

 京都、八角部屋、雷慶、獏力、鷹王…。

 鉄五郎が言った。

「三人とも、江戸まで噂が聞こえてくるすごい力士たちだ…日本一の組に間違いない。親方、この鉄五郎、勝てるとは言いませんが、相撲人生をかけて挑みたいと思います」

 そして新たなる組の名まえは三人の名前などから「鉄牛太鼓」と決まったのだった。親方がほっと胸をなでおろしていた時、一人の男がすっと部屋に入ってきた。力士のようだが、体はそれほど大きくなく中肉中背、満面の笑顔を浮かべた、しかも上品な男だった。

「鉄牛太鼓とは強そうないい名前ですね。失礼しました。わたくしは、昨日京から江戸に着きました、八角部屋の雷慶と申します」

「ら、雷慶殿?」

「はい、よろしくお願いいたします」

 そうなのだった。日本一の力士はそう言って、深く頭を下げたのだった。

「鉄五郎さんのことは京都でも聞いています。巡業に出かけたうちの関脇が、川越で足止めされたときに、鉄五郎という相撲好きと三回勝負して、二対一で負けたと。そのお方とうちが戦えるのは何かの縁ですね。光栄です」

 鉄五郎たちも、畳に額を擦りつけるほど何度もお辞儀した。相撲は礼に始まり、礼に終わると言うが、それのお手本のような力士であった。もう、最初から一本取られたような気がした。

「あなたたちのような相撲好きな方たちと出会えて、本望です。当日はお互いに悔いのないように頑張りましょう」

 雷慶はそう言って、また礼をして帰って行った。鉄五郎はうるんだ瞳で、親方に深く頭を下げたのだった。

「あんな立派な関取と勝負ができるなんて…。本当にありがとうございました」

 そして、ここに鉄牛太鼓は、燃え上がる魂を持って動き出したのだった。


 その頃森村白堂は、自分のやっている芝居小屋に一人やってきた。「白堂館」、それは今年の春に改修工事を終えたばかりのピカピカの大きな芝居小屋だった。古い物件をちょいと脅しながら安く買いたたき、作り直して大儲けというのが、森村の得意な手だった。本当ならば、今秋から岳松の一抹一座がかかるはずだったが、勝負に負け、ここには来られなくなった。今はがらんとして誰もいないはずだった。だが、そこに三人の怪しい影が入ってきた。

「…待たせてすまん。で、どうだい、守備は? おう、仕掛け屋、花車の方はどうだ?」

 すると仕掛け屋の文治と呼ばれる男が答えた。

「辻相撲の本戦が近づいてきて、いつも仲間と一緒で、付け入る隙がありません。ただ、白堂様が坂崎屋に行っているのを見て、いい方法を考えつきました。今日の夕刻を見ていてください。きっと成功させます」

「さすがだな。稲妻の半七、おまえはどうだ?」

「はい、天の助ってやつはなぜか分かりませんが一日中一人でいる時はすごい速さで駆け回り、とても常人は追いつけません。でも、朝早くによく一人で練習しているので、その時を狙います」

「走り回っている? でもやつは強いって噂だぜ。平気かい」

「いくら強いったって、こっちは刃物の扱いは玄人ですよ。仕損じはあり得ません。明日の朝にでもよい知らせをお持ちしましょう」

「ほう、楽しみだな。それで京平、お前の方は? 得意の変装はうまくいっているのか?」

 その言葉に答えた男は、なんとあの時枝屋の奥の部屋にいた行商人風の男だった。

「やつが何者かに頼まれて、白堂さまを調べているのは間違いないです。釣りに行くとみせかけて、釣竿を持って江戸のあちこちに出かけています。この間は真昼間の吉原に行って、うちの仲間に関係のある尾上にいたようです」

「尾上? やはり、嗅ぎまわっていたのはそいつみたいだな。だが、問題はだれの差し金かだ。お庭番の関係でないとすると、浪士砦か、江戸の騎馬か? それともまさか張孔先生の関係か? とにかく黒幕が誰かが肝心だ。それによって対応も大きく変わってくる…。まずそいつを調べろ。どんな手を使ってもだ…」

「はい、お任せを」

 そして森村白堂は、さわやかに笑いながら3人に恐ろしいことを言った。

「張孔先生の悲願、そして金の鯱の大義、それは浪人の暮らしを守ること。今度の辻相撲は必ず勝たなければなりません。そのためにも為三郎親方の所には優勝されては困るし、辰之進に勝ってしまった天の助には出てもらっては困る。それを嗅ぎまわる犬はつまみ出さねばならないのです。報奨金はいつでも用意してあります。成功したらいつでも来てください。失敗したときは、私の名まえも金の鯱の名まえも決して出さないこと。では仕事の期限は辻相撲の本戦の日の前日までということにします。本戦が始まったら、もう、下手な動きはしないでください。よろしいですね…」

「承知」

 そして三人の怪しい影は白堂館からどこかへと消えて言った。

「さあて、あとはお浜だねえ。あいつに勝たれて岳松の若衆歌舞伎もこの小屋にこなくなっちまったし、まあ、何らかの形で落とし前付けないとね。河原者だから殺すのは簡単だけれど、お浜の才能を考えると惜しい気もするし…。さて面白い幕引きを考えないとね…。さあ、これから一世一代の大芝居が幕を上げますよ。ハハハ…」

 誰もいない舞台に白堂の声が響き渡った…。お浜の命もこのままでは…。


 その頃、為三郎親方の所には、駿空、羅刹、阿修羅の三人の修験僧が訪れていた。

「…さるお方からの紹介で、あなたたちを予選の第一回戦に出すことと決定したわけですが…」

 為三郎親方は約束違いになるかもしれないと、悩みを打ち明けた。もしかするとさらにもう一試合、必要かもしれないというのだ。

「そうですか…この為三郎親方の部屋でも、反対している者がいると…」

「…申し訳ない。千日の荒行をこなしたとか、駿空どのに至っては、さらに超人の神通力を得る荒行をやり遂げたと説明はしたのですが」

 すると駿空はにこっと笑ってうなずいた。

「…でも、当然ですね。いくら我々が荒行を積もうと、相撲の経験は無に等しい。いいでしょう。我々の力をお見せしましょう。どなたでもいい、三人の力士を用意してください。今、ここで修行の成果をお見せしましょう」

「本当ですか? 無理をなさらなくとも…。残りの二名の方はいかがなのです?」

 羅刹も、阿修羅も駿空の申し出に当然のようにうなずいた。

「親方に迷惑がかかっているとは存じませんで。お許しください」

「必要とあらば、我々はいつでも戦いましょう」

 まさかすぐに戦うとは思っていなかった親方だが、三人が気持ちよく引き受けてくれたので、さっそく隣の道場で用意にかかった。

「皆の者、練習を少しの間やめてくれ。これから辻相撲の出場認定試合を始める…」

 やがて花車、嵐車、波車の本戦に出る力士の見ている前で、若い伸び盛りの3人の力士が修験僧と相対した。

「はっけよい、のこった!」

「ま、まさか?」

 為三郎親方の相撲道場は凍りついた。もう、この三人の出場に文句を言うものは一人もいなかった。3人の修験僧は、三ともあり得ない方法で若い力士を倒してしまったのだ。

「…これで納得していただけましたか…? それから私たちの組の名前ですが…」

 彼らが申し出た組の名まえは「清滝」であった。為三郎親方は引き揚げて行く三人の後姿を見送りながらつぶやいた。

「人間は修行によって、あそこまでたどり着けるものなのか。清滝…この三人が嵐を巻き起こすことは間違いない…」

 清滝の三人は時折密教の経を口ずさみながら、世話になっている寺へと歩いて行った。途中羅刹が駿空に言った。

「駿空殿、やはり感じますか?」

 駿空は慎重に答えた。

「天海様のおっしゃる通りだ、増えすぎた浪人たちの不満や荒くれる心が渦巻き、その中心に辻相撲がある。そしてこの辻相撲に、恐るべき地霊を動かす力が終結し始めている。何か遠くから、闇のようなもの、金の亡者の群れ、狼の眼のようなものが近づいてくる。谷は想像以上に深く、どのように越えたものか、考えも及ばぬ」

 すると阿修羅が答えた。

「こうなれば、三人で底知らずの谷に飛び込む覚悟でござる…」

 羅刹も繰り返した。

「命を捨てて飛び込むまで。いつでも覚悟はできておりまする」

 そして三人はさらに密教の真言を唱えながら進んで行ったのだった。


 その日の夕刻、練習が終わった花車は、嵐車と波車とともに、道場の素先にある一杯飲み屋にいつものように出かけた。

 怪力の嵐車は花車に言った。

「いやあ、あの修験僧には参りましたねえ」

「恐れるなあいつらが千日の荒行をやっているなら、おれたちだって何年間も相撲を取り続けている。同じことさ」

 業師の波車が言った。

「そうですよね。練習量なら負けない。つまり、こっちだって何もこわがることはな」

「その通り。我々は…あれ?」

 いつも通っている裏道に植木屋の梯子戸道具が並び、通れなくなっている。すぐに植木屋が出てくる。

「どうもすみません、ちょっと待っていただければすぐに片付けますので」

 すると花車はにこっと笑って答えた。

「ああ、こっちの道から回るから、気にせんでください」

 そして三人の関取は、横の材木屋の前を通ることにして歩き出した。その後ろ姿を見て、植木屋は一瞬にやっと笑い。どこかに合図した。

 三人の力士が材木の立てかけてある通りの真ん中に来た時だった。見えないように材木にからめられていた細い綱が、ぐぐっと引っ張られた。

「おお!」

 前から後ろから、しかも左右同時に太い材木が、挟み撃ちにするように倒れ始めた。

 ガラガラガラドッシャーン…凄まじい音がした。何事かと道場から、若い力士や親方が飛び出してきた。

「親方、た、大変です! 花車三たちが!」

「なんてことだ。一体何が起きたのだ?」

 倒れた何十本もの材木の下に花車たちの着物が見え隠れする…。

「みんな、急げ! 早く助けるんだ!」

 若い力士たちの必死の救出により、材木がどけられた。三人はかばい合うように寄り添い、一番上には花車が立って重い材木を何本も支えていた。額は大きく割れ、腕のあちこちからも血が流れていた。そのおかげで火車と水車は軽症で済んだが、花車は両腕に大けがを負ってしまった。大成功した仕掛け屋の文治は、植木職人のはしごや道具ごと、とっくにどこかに消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る