第十一話 荒事

 その日、朝から笛太鼓堂がまた町内を練り歩いていた。後ろにはたくさんの子どもたちや親子連れが続き、笛太鼓堂の歌をすっかり覚えて口ずさんで歩いていた。

「対決、対決、対決だい。お浜の歌舞伎は牛若丸、若衆歌舞伎は妖狐伝、どっちがかつか対決だ。勝ち負け決めるはお客さん、見に来たあんたが決めるのさ! さあ、きたきた、能楽堂、対決、対決、対決だーい!」

 始まりの太鼓がドンドンと鳴り響く。笛太鼓堂の頑張りが実ったのか、能楽堂にはどんどん人が押し掛けていた。舞台の前には右と左に一つずつ色分けされた大きな箱が用意されていた。右は若衆歌舞伎、左はお浜の歌舞伎狂言のおひねりの箱だという。二本続けて上演し、よいと思った方に銭を投げ込むのだという。今日は前列の左右に特別席が設けられ、若衆側には森村白堂とその取り巻きが、お浜側には浪人姿の海堂と猫面の紫門がすでに陣取っていた。

「白堂様、ご報告します」

「おう、木村か、どうだった?」

「先ほど来ていた辻相撲の力士ですが、お浜たちの楽屋に入って行きました。間違いありません、辻相撲との合同興行で人気を集めようという魂胆らしいです」

 すると森村白堂はさわやかに笑い返した。

「よっぽど切羽詰まったんだろうね。でも、あの才能のあるお浜とも思えないよね」

「…どういうことですか?」

 木村が訊くと、白堂は金箔の扇子をぽんと閉じて説明を始めた。

「だってそうだろ? 人気力士を連れてくればそりゃあ、客は増えるさ。でも若衆歌舞伎だって同じここの会場で続けてやるんだぜ。たくさん人を集めても、若衆歌舞伎の客も同時に増やすことになる。そうだろ? それにこの舞台で力士が戦ったらそりゃあ盛り上がるさ。でも、それは女歌舞伎の出し物とは別物だ。勝負とはあまり関係ないだろう? 力士がすごくても、狂言がしょぼかったら、おまえ、狂言に銭いれるかい?」

「そりゃあ、いれませんよ。相撲のおひねり箱を探しますね」

「相撲のおひねり箱はないけどね。な、そうだろう。お浜の考えていることがわからんなあ。でも、ここにきているお客さんは、人気力士も見られるからそれだけ楽しめる。いいことじゃないの?」

「そうですねえ。得した感じです」

 そこに若衆歌舞伎の座長、岳松のおやじがあいさつに訪れた。中肉中背で目のギョロっとした男である。

「どうだい岳松どの、今日の若衆歌舞伎の出来は…」

「へへへ、白堂様に多大な援助をいただいたおかげで、衣装や小道具もみんな一新しました。まあ、見ていってください、豪華絢爛菜妖狐伝をお見せします」

「…楽しみだねえ。期待してるよ岳松さん…。ここで勝ってさらに人気を上げて、うちの芝居小屋で、大入り取ってよ」

「はい、白堂様のところを満員にして見せますよ。お任せください、では…」

 それから岳松は順番のくじを引くため、舞台へと進んで行った。公正をきすため、この神社の宮司と氏子が目を光らせている。舞台ではお浜も出てきて、二人で竹筒の中に入った二本の竹ひごを観客の前で引いた。岳松が一と書いた札の付いた竹ひごを引き当てた。お浜が二である。

「若衆歌舞伎が先手!」

 宮司の声に観客席からざわめきが起きた。岳松のおやじはもう勝ったとばかりに意気揚々と引き揚げ、公演の準備を始める。お浜は一度客席に戻り、海堂に報告した。

「すみません、後手になってしまいました」

 海堂はやさしく言った。

「…よかったじゃないですか。あとから観客を驚かせてやりましょうよ。お浜さんの考えた、まったく新しいやり方と言うのでね」

「海堂様のおかげです。そうじゃなければ決して思いつかなかった。後は何としてでもやりとげることだけです」

 お浜はそう言って楽屋へと帰って行った。

「紫門さん、やっと森村白堂の考えていることが少しだけ見えてきました」

「ほう、それは…」

「何年もかかって江戸の相撲興業を育ててきた為三郎親方、河原者の特権でいろいろ知恵を出し、技を磨いてきた女歌舞伎に若衆歌舞伎、さらに改修や普請のために寺社で行われる富くじ、これらはいろいろな決まりや立場があり、それぞれの土台を築きあげてきた者たちが興業権や利権を持っていて、それが重要な財源となっている。でも、もしその金の流れを裏からかすめ取ることができたとしたら…。それは普通は無理なことなのだが、白堂は法の目をくぐり、人脈を駆使して、それをやってのけようとしている。張孔先生を祭り上げ、浪人集団をまとめるおぜん立てをするように見せかけ、他の浪人集団の動きを封じ込め、その陰で、辻相撲と、歌舞伎、富くじを牛耳ろうとしているんです」

「なるほど、この間の百瀬の離れの浪人会議の後、どの浪人集団もすっかりおとなしくなったしな。でも牛耳るって、いったいどうやって?」

「辻相撲では白堂はいくつか相撲の組を買収し、辰之進と協力して、本線で上位を独占しようともちかけたらしい。うまくいけば今為三郎親方が持っている辻相撲の興業から、人気力士をごっそり引き抜いて、辰之進と別の辻相撲を作るつもりだったらしい。そして近い将来花形力士がいなくなった為三郎親方の辻相撲にとって代わろうという計画らしい。そのためには八百長まがいの試合もやらなくてはならないと言われ、それで天の助は怒って飛び出したのだ」

「そうだったのか…」

「富くじでは、寺社や普請や改修で儲かる材木屋をうまく使って、寺社に許可を取らせ、その代り実際の富くじの運営をすべて代行し、上前を撥ねるつもりらしい」

「大工業? そんなことを?」

「そして、この若衆歌舞伎だ。最初、やつはお浜に近づき行き場を失っていたあの一座を乗っ取ろうとした。だが、やつはお浜に拒否されると、若衆歌舞伎に乗り換え、お浜の一座を追い出しにかかった。将来性のある若衆歌舞伎に協力して傘下に収め、自分の息のかかった芝居小屋で人気の一座を囲うつもりだ…」

「海堂さんもよく突き止めましたね。、でも、幕府も今までのように力で押しつぶそうとしても、あの狐はズル賢い。なかなか尻尾を出しそうにないですぞ」

「ですから、一つ一つ野望をつぶしていくしかないんですよ。だから今日の対決も負けることはできない。やつはこの勝負をたくらみ、合法的に自分の息がかかった方をかたせて、最後には興行をのっとるつもりですよ」

「ふうむ…」

 そう話しているうちに若衆歌舞伎の用意が整ったようであった。司会の美少年が出てきて出し物を紹介する。

「今日の出し物は、「新妖狐伝」にございまあす」

 そしてついに若衆歌舞伎の幕が上がった。なり物が響き、若衆歌舞伎の奇麗どころが音楽に合わせて、一人ずつ増えて行く。おや、今日はまだまだ入ってくる。

「おお、すごい。人数が倍になり、衣装もぐっと豪華だ」

 岳松おやじが、その力と金をいいことに、他の一座から集めてきたらしい。美少年が増え、最初から観客を豪華絢爛な世界にぐいぐい引き込んでいく。そしてお伴をひきつれて菊丸のお姫様が登場だ。海堂がため息をついた。

「あの菊丸の衣装、お伴と組になって踊る振り付け、すごい、金も手間もかかってるなあ」

そして妖狐が出てきて姫を連れ去るのだが、驚いたのは、狐の衣装が全くの別物になっていたことだった。真っ白な衣装の背中から腰にかけて何本もの白い尾がなびき、狐の面だけでなく、長い白い毛がふさふさ生えている。まあ、振り付けや踊りはお浜がつけたままでかわりはなかったのだが…。

そして第二幕はお浜の歌舞伎狂言のやったことをなぞっているだけの幕であった。ただ、武将役や家来たちには体の大きな若者を割り当て、狐娘たちにはあどけなさの残る美少年を割り当て、メリハリは聞かせている。家来の酔っ払った様子や、木の葉をおいしそうに食べる演技、石の地蔵に抱きつく演技もまったくそのままで、客に大うけだった。お浜の狂言が敵を助けているわけで、複雑な感じだった。

 しかし、第三幕は岳松のおやじのしてやったりの幕だった。武将の家来も、迎え撃つ妖狐の手下も数が増え、きれのある殺陣や身軽に動きまわる場面がさらに増え、厚みを増していたのだ。最後に全員で舞台に出て踊るところも、派手な動きと美少年のかわいらしさのめりはりが、圧巻であった。座長の岳松は、お浜から教えてもらったところをさらに伸ばし、豊富な資金や人脈をいかし、いいとこどりの文句のつけようのない舞台を用意したのだった。

森村白堂は、金箔の扇子をぱっと開き、ゆっくり仰ぎながら一言言った。

「まあ、すごく見応えはあるけれど、想定の範囲内でしょうかね、この出来は。今までで良かった踊りや剣劇がそのままよくなって豪華になった感じかな。ただ…逆にいえば、この舞台をひっくりかえせるような舞台をやるのはまず無理でしょうね。ハハハハハハハ」

 すっかり勝利気分の一抹一座側の客席、だがお浜側の客席に陣取る海堂たちはその圧巻の出来に悲壮感さえ漂わせていた。べつにお浜の考えた新しいやり方を信じていなかったわけでも、軽んじていたわけでもない。ただ、前例がないので、観客に受けるかどうかわからなかったのだ。

 そしていよいよ幕が開く。お浜の側の狂言が始まる。

 まずは始まり、いつもの元気のいい三味線娘が二人飛び出してくる。だがいつもと違うのは笛や三味線に加え、いくつもの打楽器も入り、ぐぐっと迫力が増していることだ。軽やかな三味線には軽やかな打楽器が響き、勇壮な三味線には、迫力の重低音が追いかけてくる。

そしていよいよ牛若丸の登場だ。気がつけば三つあった大岩が五つに増え、一つは舞台のすぐ下に配置されている。

 そして天の声が響く。

「強くなりたいか!」

「ああ、もっと、もっと強くなりたい!」

「ならば手ほどきしてしんぜよう」

 そして大天狗が登場…。おや? 天狗の面も衣装もあまり変わっていないが、一本場の下駄をはいているのを考慮しても、この大天狗、体がとても大きく、がっしりしている…? しかもこの大天狗、舞台の中央に進み出ると、大きな声で、

「われは鞍馬の大天狗なりいいいい!」

 そう叫んで大きく腕を広げて見せたのだ。踊りでも歌いでもなく、こんなことをするのは観客はだれ一人見たことがなかった、だがその瞬間、あの打楽器も大きく打ち鳴らされ、すごい迫力であった。しかも牛若丸が最初に飛びかかれば、さっと飛び上がって交わしたり、自在に動き回って、牛若丸を翻弄するではないか。なんだこのどっしりとした威圧感、すばやい動きと迫ってくる迫力は? 観客は受けるというより、どういうことかと静まってしまった。それだけではなかった。次に鴉天狗と牛若丸の戦いになるのだが、最初の一匹の鴉天狗から、動きが確かで迫力がある。

「この鴉天狗、この間の大天狗だったクレナイではないか。と、いうことは…」

 クレナイの鴉天狗は大健闘の末、牛若丸に倒される。すると、クレナイの鴉天狗は下手に逃げながら叫ぶのだ。

「金鴉様、銀鴉様!」

 するとなんということ、部隊の下においた大岩の上に翼の生えた大きな鴉天狗がひらりと現れ、そいつは、突然大きく飛び跳ねて、大岩から舞台の上に飛び乗り、勢いで前方宙返りを決め、そのまま三つの大岩の上を飛び跳ねて、真ん中の岩の上で、また手を広げて叫んだのだ。

「われこそは、金鴉なりいいいい!」

 同時に打ち鳴らされる打楽器、今度は客席からも声援が起こる。それもつかの間、今度は会場が大きくざわめく、なんと能楽堂の上の屋根瓦の上に、もう一匹の鴉天狗が現れたのだ。その鴉天狗は身軽に屋根瓦の上を飛び跳ねると、そのまま舞台の上にひらりと舞い降り、また、岩から岩を飛び跳ねて、金鴉の隣で、また手を広げて叫んだのだった。

「われこそは、銀鴉なりいい!」

そ してそれに合わせて打ち鳴らされる打楽器の迫力。

「いいぞー!」

もう、観客はこのやり方が分かってきて、大きく盛り上がり、歓声も飛び交うようになる。そして金鴉、銀鴉、大天狗の豪華なそろい踏みで野剣劇が始まった。

 それにしてもなんと言う身のこなし、本物の鴉天狗かと思わせるほどの身軽さだ。しかも、剣劇に入っても岩から岩へ飛び移ったり、トンボを切ったり、まあ、二匹の鴉の派手なこと身軽なこと。さらにそこに重厚ながら動きに切れのある大天狗も絡んできて、すごい迫力だ。そう、観客は気が付いているかどうかもわからぬが、金鴉があの弁天丸、銀鴉が龍神の雷蔵、大天狗が黒獅子なのだ。海堂がお浜に提案したのは剣劇を思い切って力士たちにやらせてはどうかということだったのだ。最低でも黒獅子と点の助は手伝ってくれるだろう、それを計算してのことだった。彼らには踊りや謡は最初から無理なので、両手を振り上げ、台地を踏みしめて名乗る、特別なやり方をお浜が考え、それに合わせて打楽器が迫力の音をかぶせたのだった。これは史上初めての「見得をきる」が舞台で行われた記録となった。そして最初は手も足も出ない牛若丸が、鴉天狗の術をだんだん身につけ、ついに逆転する。

「ぐわあああ!」

 切られた銀鴉は、ひらりとまたもや能楽堂の屋根の上に飛び移ると、覚えて居れと、屋根瓦を身軽に飛んで、後ろへと消えていく。

「く、くそー!」

 追い詰められ、舞台のすぐ下の大岩の上で牛若丸に切られた金鴉は、なんとそこから後ろ向きにい大きく飛び上がり、盛り上がる音楽に合わせ、客席の目前で空中で一回転しながら、舞台の後ろへと消えて行った。すごい、こんな曲芸すら見たことがあったろうか…! 目を点にする観客たち。そして舞台の上では一本歯の下駄を感じさせず、自在に動き回る大天狗と、岩から岩へと飛び回る牛若丸の息もつかせぬ対決だ。すごい、観客の鼓動が伝わってくるようだ。そして免許皆伝となり、一幕は終わりとなる。観客は初めて見る空中技や見得に大興奮だ。

 その頃、森村白堂が陣取る席では動揺が広がっていた。

「白堂様、こんなのは初めて見ました。ど、どうしましょう。まさか力士が狂言をやるとは…。 」

 あせった木村に白堂は涼しげに答えた。

「…さすがお浜だ。やつらには踊りも歌いも無理、ならば、その大きな体をさらに大きく見えるように振りをつけて、打楽器とともに名乗らせる。だが、二幕はどうかな? どうせ弁慶を力士にやらせるんだろうな。今まで出た天狗や鴉天狗は、面をかぶっていた。だが、弁慶はそうはいくまい。あ、あいつは辻相撲で出ていた力士だと観客がさわぎだすのがオチだぞ」

 そう強がった森村白堂だったが、内心はかなり揺れ動いていた…。そして二幕。

 京の五条の橋が用意されると、風に揺れる柳の枝を手に手に持った踊り子と、手の甲にきれいな花をつけた踊り子、そして最前列には京の舞妓姿の踊り子が入場してくる。そして風に柳の枝が揺れ、花がせせらぎに浮かび、そこで舞妓が舞い踊るという、いかにも女性らしい奥行きのある踊りが披露された。お絹も手の甲に美しい花をつけて華やかに踊っている。先ほどの剣劇とはまったく異なる癒される踊りと楽曲であった。観客は、その豪華絢爛な若衆歌舞伎の踊りとは違う、風景を思い起こさせるような奥行きのある舞台にすっかり魅了されていた。そしてついにその場面が終了、弁慶の登場だ。激しい曲とともに、今まで出てきた鴉天狗や大天狗よりもさらに大きく、体の肉づきも、人間とは思えぬような、あの点の助が弁慶のいでたちで大音響とともに入場だ。

「す、すごい! でかい!」

「こいつ、人間か? か、顔を見ろ!」

 さらに観客は、面をかぶっていない天の助の顔を見て圧倒された。力士だとばれて騒ぎ出したわけではない。顔を見られても誰だかわからないように、しかもその役がさらに迫力を増すように、今までにない化粧をしていたのだ。顔を一度真っ白に塗り、そこに大きく赤や金色で、太い線が描かれ、ものすごい形相になっていた。

「おお!」

 観客が見たのはこれも史上初めての「くまどり」だったのだ。それがうまくいったおかげで、だれもあれは力士だとも騒がず、その形相の凄さに仰天したのだ。そして天の助はその筋骨隆々の腕を振り上げ、目をかっと見開き、その獣のような鋭い視線で叫んだのだった。

「われこそは、刀狩り千本を誓った弁慶なありいい」

 そしてその動きに合わせてまた打楽器が打ち鳴らされる。いやはや圧倒される迫力だ。悲鳴を上げて、逃げる踊り子たち、そこに通りがかる美剣士こそはこの間弁慶をやっていたオフジだった。剣を構えて、弁慶に立ち向かう剣士。最初は弁慶ともいい勝負だ。だが、そのうち弁慶が薙刀を取り出すと一気に、形成逆転だ。刀は宙に舞い、弁慶はまんまと刀を手に入れる。

「あと一本で悲願の千本なありいいい」

 悔しそうに引き揚げて行く美剣士、これはこれで名場面だ。

「まて、それ以上の狼藉は許さん!」

 涼しげな笛の音色とともに主役の登場だ。

「何を、こしゃくな!」

 いよいよ牛若丸の登場だ。薙刀を軽々と振り回して睨みつける弁慶。

「行くぞ!」

 ついに戦いが始まる。そしてここでお浜が仕掛けたのが、今までにない楽曲の工夫だ。牛若丸は槍を飛び越えたかと思えば、端の欄干や手すりを自由に行き来して飛び回る。だが、要所要所できちんと曲に合わせて踊りの型をつける。お浜の踊りがすばらしいのは、女のしなやかさと男の迫力、牛若丸の軽やかさと殺陣の重厚さ、気品と親しみやすさなど、いくつもの要素を踊りの型に織り込んで行く…深いのだ。

 でも天の助にそんな踊りははなから無理だ。薙刀をブンブン振り回し、力ずくで牛若丸を抑えにかかる。獲物を追い詰めるような薙刀は凄い迫力だが、そこに曲はない。だが、なんと弁慶が薙刀を振り上げるたび、振り下ろすたび、台地を踏み出すたび、相手を睨むたび、そのすべての動きに合わせて、迫力ある打楽器がかぶさって行くのだ。軽やかな牛若の旋律に、めちゃくちゃな弁慶の打楽器が重なっていく。まったく新しい試みだった。

 そして最後には舞台の右と左から、牛若丸と弁慶が、軽やかな曲と迫力の打楽器が、向かい合い、にらみ合い、突進し、必殺の一撃をお互いに加えるのだった。

「ぐおおおおおお!」

 そして最後は弁慶がやられるのだが、その倒れ方も巨体が前のめりにゆっくり倒れて、とても見応えがあった。そして最後は牛若丸の家来になり、一件落着、牛若丸は、華麗に見得を切る。そして幕…。すごい歓声、観客はまだ一度も見たことのない者を見た興奮に包まれていた。かぶいた格好で、歌や踊りを披露するのではない…くまどりや大きく振りをつけての見得を切る、まったく新しい、やり方と音楽、それはのちの世に「荒事」と呼ばれる人気の出し物となる。

 さあ、勝ち負けをつける投げ銭がおひねり箱に飛び交う、一抹一座か? お浜の歌舞伎狂言か? どちらも評判だが、わずかにお浜の方が見た目にも多いようだった。だが、舞台の裏ではもう、勝負が決していた。あの頑固な岳松のおやじが、お浜に頭を下げて謝っていたのだ。

「お浜さん、悪かった。すごいものを見せてもらった。こっちは玄人だからこそ、そのすごさが分かる。単に力士を使うだけでなく、それを生かすことによって、まったく新しい工夫を生み出したねえ。若衆歌舞伎だって、あと十年は持つまい。そうしたら若衆歌舞伎の役者どもはどうなる…。おれはそれを考えると夜も眠れず悩んでいた。でもお浜さんのやったことは、若衆歌舞伎ではかえってできない大人の歌舞伎だ。女歌舞伎の次の若衆歌舞伎の次が、これで見えてきたかもしれない。お浜さんおれの勝手を許してくれ。それで俺たちに教えてくれ、先の歌舞伎というものを…。」

「岳松のおやじさん、頭を上げてください。そして一緒に作っていきましょう。新しい歌舞伎を…みんなで力を合わせて…!」

 海堂は勝利を確信すると、ほほ笑みながら能楽堂を去って行った。休んではいられない。辻相撲の本戦はもう目と鼻の先に迫っていたのだ。


 その後、若衆歌舞伎も禁止された江戸では、数十年あとの元禄年間に、現在の歌舞伎のもととなる歌舞伎狂言が定着する。今日、力士の手によって始められたかもしれない「荒事」も初代市川団十郎によってさらに高められ、空前のブームを呼ぶこととなるのである…。

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